夏目漱石 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
「それから」を脱稿したから取あへず前約を履行しやうと思つて「額の男」を讀んだ。讀んで仕舞つて愈批評をかく段になると忽ち胃に打撃を受けた。さうして二三日の間は殆ど人と口を利く元氣もない程の苦痛に囚へられた。漸く床の上に起き直つて、小机を蒲團の傍まで引張つて來て胃の膨滿を抑へながら、原稿紙に向かつた時は、もう世の中が秋の色を帶びてゐた。時機を失して著者に對しては甚だ濟まないと思つたが、書かないよりは増しだらうと己惚れて所感を記す事にした。 「額の男」の著者が普通の小説家を以て任ずる人でない事は云ふまでもない。從つて尋常の小説を書く積りで、「額の男」を書いたのでない事丈は誰の目にも明らかである。こゝ迄は此の書を一寸二三頁でも引剥がしたものにはすぐ氣がつく。けれども其れ以上の問題になると中々分からない、「額の男」を通讀して其の批評を書くつもりの余にも述作上にあらはれたる如是閑とは如何なる人で、如何なる意味で此の書を著はして、又何が故にかゝる調子の變つたものを公にして、又何が故に斯う云ふ變り方を選んだものであるか甚だ不明瞭である。それ所ではない。此書の普通の小説と變つてゐる所はどこが特色だらうと
夏目漱石
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