新渡戸稲造 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
あるいは東、あるいは西といえば如何にも両者の間に懸隔あるように聞ゆる。文章家はかくの如き文字を用いて相容れざる差を示す。かの有名な詩篇の内にも西と東の隔たる如く云々とある。この言に限らず総ての対照的文字は濫用され易い。近頃世間に用いらるる左傾右傾の如きもまた同じである。しかしこれらは何れも実在するものを指すのでなく、二者の関係を示すに過ぎない。東なくして西はない、西なくして東はない、右があればこそ左があり、左の存在は右を認むるようなもの。しかし少し高き見地より窺えば、何れも反対の観念を示すものでなくして、寧ろ両者の間に共通点あることを教うるものと思う。如何にも左傾右傾といえば右の指の尖端と左の指の尖端と、両極端を聯想せしめるけれども、この両極端とても、人間が両腕を拡げた時にこそ隔りの大なるを知るが、合掌したり両手の指を組む時は極端が相合う。また両腕を拡げた時にも、左右の腕は胴によりて結びつけられているではないか。胴があればこそ左右の区別が起る。思想に於て左傾と右傾とを区別するも、中庸があればこそ両者間に差別が起るのである。故に中道を歩むものから見れば、両者共に区別ある如くして区別がない
新渡戸稲造
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