野村胡堂 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
「あら松根様の若様」 「――――」 恐ろしい魅力のある声を浴せられて、黙って振り返ったのは、年の頃二十三四、色の浅黒い、少し沈鬱な感じですが、何となく深味のある男でした。 不意に呼びかけられて、右手に編笠を傾げるうちにも、左手は一刀の鯉口を、こう栂指で押えていようといった嗜みは、敵持ちか、要心深さがさせる業か、とに角容易ならぬ心掛の若者です。 「余吾之介様――ではいらっしゃいませんか」 「お前は?」 「秋、乳母の元の娘の秋でございます」 嫣然とした年増、隔てもなくニッコリすると、桃色の愛嬌が、その辺中へまきちらされそうな女でした。 余吾之介はその魍魎をかきのけるように、思わず二三歩引き退きました。精々二十二三、年増といっても、余吾之介より一つ二つ若いでしょう、その頃から流行りはじめた派手な模様の幅の存分に広い帯を少し低くしめて、詰め袖の萌えでたような鮮やかな草色を重ね、片頬をもたらせるように品を作ると、ほのかな靨が、凝脂の中にトロリと渦をまきます。 「お、なるほどお秋か、久しぶりであったな」 「お詣りでいらっしゃいましたか」 浅草観音の仁王門をでたところへ声をかけられたのですから、これ
野村胡堂
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