北条民雄 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
都美は、このごろ、夕暮になると、その少年に逢ひに行くのが、癖になつて、少年に逢はない日は、ホツケスに逢ふのも、嫌になつてしまつた。もともとホツケスが嫌ひではないのだが、西と東の感情の相違のために、その抱擁に全身をもつて、飛び込むには今一歩といふ心の焦立つ何かがあつた。それが彼女を淋しくした。三十に近くなつて、強烈なホツケスの愛情に身を任せながら、日本的な優しい愛情を、あこがれた。彼女は、子供の欲しくなつた自分を識つた。さういふ彼女は、時どき、何のためにその少年に逢ひ度いのか、考へても判らなかつた。 少年は何時も、大きな欅の幹に凭れて、彼女を待つてゐた。彼女の姿が、林の向うに、ぽかんと浮んだ白い綿の一片のやうに、小さく見え出すと、胸のボタンを、一つびとつ、あらためて、息を早めた。さうすると、片頬に浮かんでゐる小さな斑紋が、朱の一点となつて、輝かしく紅らんだ。都美は、頬紅を際立たせたやうなその美しさに、心を奪はれた。初めてそれを発見した時、彼女は何と形容したら良いか、処女湖の波に、浮き、ゆらめいてゐる月影や、砂漠の彼方にいま沈まうとする太陽の赤さ――彼女は、こんな誇張した形容を幾つも考へて
北条民雄
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