北条民雄 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
黒ぐろとうちつづいた雑木林の間から流れ出る夜霧が、月光を浴びて乳色に白みながら見るまに濃度を加へて視野遠く広がつた農園の上を音もなく這ひ寄つて来る。梨畑が朦朧と煙つた白色の中に薄れてしまひ、つらなつた葡萄棚の輪廓が徐々に融かされてゆくと、はるか向うの薄暗く木立の群がつたあたりにちらちらと見えがくれする病舎や病棟の燈もぼんやりと光芒がただれて、眼のさき六七間の眼界を残したまま地上はただ乳白の一色に塗り潰されてしまふ。やがて湿気を吸ひ込んだ着物のすそにしつとりと重みを感じ始めると、のろのろと歩いてゐる素足にひやりと冷気を覚え、私は立停つて利根子の方にちらりと視線をやつた。彼女は二三歩ゆきすぎてから足を停めたが、さつきから頬をふくらませておこり続けてゐ、立停つても私の方を見ようともせず仄白くつつ立つたまま体を堅くしてゐる。声をかけて見ようと思つた気持もそれに圧さへられて、私は黙々とまた歩き出した。一体どうしてみづ江と私とが結婚することをこんなに強く利根子が望んでゐるのか、私にはまことに不可解であつた。みづ江に頼まれたのであらうかと一応は考へて見たが、みづ江の日頃の態度を考へて見ると、決してさ
北条民雄
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