牧逸馬 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
ブライトンと言えば、倫敦を控えて、英国第一の海岸の盛り場である。 殊に週末旅行に持って来いのところから、日曜が賑う。 この三月二十九日も、日曜日だった。 海の季節としては、すこし早過ぎるが、ちょうど復活祭のお休みとかち合ったのと、何しろお天気がいい。英吉利のこの時候は、大抵嫌な氷雨が降り続くのだが、今日はからりと晴れ渡って、微笑する海だ。潮のにおいを運んで来る風だ。外套を脱いだ女達、霧と煤煙と事務机を忘れたサラリイマンの群、大変な人出だった。 有名な磯伝いの散歩街は、着飾った通行人の行列で、押すな押すなである。みんな、何か素晴らしいいたずらはないかといったような噪気ぎ切った顔で歩き廻っている。 エンマ・ダッシュも、その華やかな散歩者の一人だった。最初の若さはずっと通り越したがそれでも、まだ充分美しいところの残っている女で、実際、自分では、「約二十九歳」などと言っていた。 が、血色のいい、綺麗な顔をしていて、身体つきも、すんなりと悪くない。殊に、眼に魅力があった。本人もその眼には絶大な自信があって、老嬢らしい冒険心から、よく男達へ秋波のような視線を送っては、ひとりで悦んでいたものとみえる
牧逸馬
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