宮本百合子 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
九月の或る日 宮本百合子 一 網野さんの小説集『光子』が出たとき私共はよろこび、何か心ばかりの御祝でもしたいと思った。出版記念の会などというものはなかなか感情が純一に行かないものだし、第一そういう趣味は網野さんから遠い故、一緒に何処かで悠くり御飯でも食べて喋ろう。夏休みの間からたのしみにしていた。沓掛から、きっちり予定通り八月三十一日に網野さんは帰って来た。一日の晩、八時頃、私共は一つ机のところにかたまって一冊の綴込みを読んでいた。夕暮から雨になったので門を潜戸しかあけてなかった。ふと玄関に女の声がした。 「おや――網野さんじゃないか」 何だか淋しいような宵の口だったので、網野さんが自分でも今頃来るとは思いがけなかったように笑った顔を見たら、変にぞーっとなった。亢奮したためであった。風呂をあびてから、互に離れていた間に読んだ作品や本のことなど話し合った。昨日帰ったばかりだのに、もう丸善に行った、そして 「ロシアの雑誌が来ていますでしょう。ジャール・プティツァとかっていう――あれ、始め三十五銭と間違えてひどくやすいから変だと思ってたら、弟が又見て来て三円五十銭らしいって云うんですもの……
宮本百合子
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