合唱
萩原朔太郎
にくしん、 にくしん、 たれか肉身をおとろへしむ、 既にうぐひす落ちてやぶれ、 石やぶれ、 地はするどき白金なるに、 にくしん、 にくしん、 にくしんは蒼天にいぢらしき涙をながす、 ああ、なんぢの肉身。 ――八月作―― ●図書カード
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萩原朔太郎
にくしん、 にくしん、 たれか肉身をおとろへしむ、 既にうぐひす落ちてやぶれ、 石やぶれ、 地はするどき白金なるに、 にくしん、 にくしん、 にくしんは蒼天にいぢらしき涙をながす、 ああ、なんぢの肉身。 ――八月作―― ●図書カード
金鍾漢
きみは 半島から来たんぢやないですか だうりで すこし変つた顔をしてゐると思つた でも そんな心細い思ひをすることはないですよ ほら 松花江の上流からも はろばろ 南京の街はづれからも 来てゐるではないか スマトラからも ボルネオからも いまには 重慶の防空壕からも やつてくるでせう では みんな並んで下さい おお 砲口のやうだ 整列されてゐる口の横隊 それ
宮本百合子
合図の旗 宮本百合子 日本の民主化と云うことは実に無限の意味と展望を持っている。 特に一つ社会の枠内で、これまで、より負担の多い、より忍従の生活を強いられて来た勤労大衆、婦人、青少年の生活は、社会が、封建的な桎梏から自由になって民主化するということで、本当に新しい内容の日々を、もたらされるようになるからである。 婦人問題、その問題を何とか解決してゆこうとする
寺田寅彦
さるかに合戦と桃太郎 寺田寅彦 近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。詳細な事実は確かでないが、なんでもさるかに合戦の話に出て来るさるが資本家でかにが労働者だということになっており、かにの労働によって栽培した柿の実をさる公が横領し搾取することにな
佐々木邦
「瑞竜、お前は養子に行く気はないか? 相手にもよりけりだろうが、随明寺なら申分あるまい?」 と兄貴がニコ/\して切り出した。さては来たなと僕は思った。随明寺の総領娘錦子さんはナカ/\綺麗な子だった。此方が又、自慢ではないが、秀才の誉れ高かった。その辺は寺町といって、お寺ばかり十何軒並んでいるから、皆お互に見知り越しだった。中学生と女学生だから親しい面晤はなか
折口信夫
昼の部四時間夜興行四時間半、其に狂言が三つ宛。刈りこんでは居ても、みのある見物は出来る筈である。其に関らず進度の早い感じのしたのは、如何にも貴重な時間だつたと、あの感謝したくなる、歎息のじわを誘はれることがなかつたからである。でも「合邦」に稍其に近いものを、玉手の動きから得た。其に似た感動が起る筈の「団七」「藤弥太」は、さうは行かなかつた。藤弥太は人形ぶりば
木村荘八
山川秀峰 大兄 この便遅延失礼。矢来町より御指図につき早速ハネ橋について誌します。実はぼくの見おぼえだけでは昔のことでもあるし危険と考へ、今日実地見聞をなし、土地の人にも聞いて、大体自信がつきました。 さて、ハネ橋といつぱ―― 垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやらちやら忙しげに横抱きの小包は問はでもしるし、茶屋の
正岡容
吉原百人斬 正岡容 序章 随分久しい馴染だつた神田伯龍がポツクリ死んで、もう三年になる。たび/\脳溢血を患つてゐた彼だつたから、決してその死も自然でなかつたとは云へまいが、兎に角直つて平常に高座もつとめ、酒も煙草も慎んでゐた丈けに、やはりその死は唐突の感をおぼえないわけには行かなかつた。 死ぬ前日、彼はある寄席の高座で、必らずいつもは、 「……云々と云ふ物語
中谷宇吉郎
ついさき頃の『心』の中に、吉右衛門氏と小宮(豊隆)さんとの対談が載っていた。近来にない面白い対談で、芸というものの面白さと恐ろしさとがよく出ていた。 その中で、一見あまり芸とは関係のないように見える話が一つある。それは吉右衛門氏が、非常な神鳴嫌いだという話である。神鳴が出そうな日は、何時間も前から、気分が悪くなって、今日は雷がきそうだということが分る。そして
小宮豊隆
吉右衛門に初めて会つた時の印象を書いてくれといふ注文を受けたのであるが、その後引き続いてずつと会つてゐるせゐか、今私の頭の中にある「吉右衛門」の内のどの部分が第一印象の「吉右衛門」で、どの部分がその後の印象の「吉右衛門」であるか、どうも判然と区別をつける事が出来ない。古い日記のやうなものを引張り出して、あれこれ探して見たけれども、会つた日と、会つた時の連れの
小川未明
遠い、あちらの町の中に、宝石店がありました。 ある日のこと、みすぼらしいふうをした娘がきて、 「これを、どうぞ買っていただきたいのですが。」 といって、小さな紙包みの中から、赤い魚の目のように、美しく光る石のはいった指輪を出してみせました。 ちょうど、主人の留守で、トム吉が手にとってながめますと、これほど、性のいいルビーは、めったに見たことがないと思いました
織田作之助
吉岡芳兼様へ 織田作之助 御たより拝見しました。 拙作を随分細かく読んで下すって、これでは作者たるものうっかり作品が書けぬという気がしました。もっとも、うっかり書いたというわけでもないのですが。 自作を語るのは好みませんが、一二お答えします。 まず「新潮」八月号の「聴雨」からですが、高木卓氏が終りが弱いといわれるのも、あなたが題が弱いといわれるのも、つまりは
平野零児
「母が生きるに疲れはてて、燃え絶える最後まで、母からはただの一言でも、愛の伴わない言は聞かされたことはない」 吉川さんの著『四半自叙伝、忘れ残りの記』の中にこんな一章がある。 数多くの弟妹、古い友達に対して限りない愛情を持ち続けている吉川さんの心情には、このような母の血が一パイに溢れているといってもよかろう。 どんな場合にも微笑を失わない、そして柔和な眼が吉
正宗白鳥
「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。……疾かれ遲かれ、ある吉日に自分は死ぬるのだ。」 「私は、それ以上の確信を有つてゐる。私はある惡日に生れたのだ。」 年少の頃、『浴泉記』といふロシア小説の飜譯を讀んだ時に、私はかういふ會話のやり取りに心を打たれたことがあつた。(後年英譯で讀み直すと、「美しい朝」と「いやな晩」といふ文句が、吉日惡日を言葉と
谷崎潤一郎
私が大和の吉野の奥に遊んだのは、既に二十年ほどまえ、明治の末か大正の初め頃のことであるが、今とは違って交通の不便なあの時代に、あんな山奥、―――近頃の言葉で云えば「大和アルプス」の地方なぞへ、何しに出かけて行く気になったか。―――この話はまずその因縁から説く必要がある。 読者のうちには多分ご承知の方もあろうが、昔からあの地方、十津川、北山、川上の荘あたりでは
牧野信一
吊籠と月光と 牧野信一 僕は、哲学と芸術の分岐点に衝突して自由を欠いた頭を持てあました。息苦しく悩ましく、砂漠に道を失ったまま、ただぼんやりと空を眺めているより他に始末のない姿を保ち続けていた。 いつの頃からか僕は、自己を三個の個性に分けて、それらの人物を架空世界で活動させる術を覚えて、幾分の息抜きを持った。で、なく、あの迷妄を一途に持ち続けていたらあの遣場
ドイルアーサー・コナン
「いいかね。」とシャーロック・ホームズは、ベイカー街の下宿でふたり暖炉を囲み、向き合っているときに言い出した。「現実とは、人の頭の生み出す何物よりも、限りなく奇妙なものなのだ。我々は、ありようが実に普通極まりないものを、真面目に取り合おうとはしない。しかしその者たちが手を繋いで窓から飛び立ち、この大都会を旋回して、そっと屋根を外し、なかを覗いてみれば、起こっ
牧野信一
自分は今、凝つと自分自身を瞶め得らるゝやうな気がして来た。何たる悦びであらう。「君は馬鹿だよ」と多くのビジネスマンから何辺云はれたか知れない。そうして云はれる度に悲しむだ。弱い自分、弱くてもいゝ「馬鹿には異ひないのだ」弁解の言葉を知らないから。文句は云へないから小説でも書かうと思ふ。然し親友よ僕の小説を文句代りのものだと思つて呉れるな。いろ/\な用事で直接「
宮本百合子
同じ娘でも 宮本百合子 「御隠居様よ、又お清が来ましたぞえ何なりと買ってやりなんしょ」と頬を赤くして火を吹いて居下女の正は台所から声をかけた。「そうかえ」と云いながら茶の間から出ていらっしゃったお祖母様は、玉の大きいがんこな目がねを片ににぎったまま中の に行らっしゃる。私も何かと思ってそっと後からついて行って肩越にのぞくと年は私と同じぐらい、うすよごれた袷を
小西茂也
荷風先生をわが陋屋の同居人(?)として迎える光栄を有したのは昭和廿二年一月七日から翌年十二月廿八日までの約二ヶ年の間であった。年少より秘かに敬愛していた先生に昼夜親炙することを得たのは、僕の生涯の喜びであり、つぶさにその間、僕は先生を観察し、その言行を毎日微細にノートしてきた。大判のノートで四冊にも及ぶその「荷風先生言行録」は、僕にとって古い恋文の如くであり
宮本百合子
いとこ同志 宮本百合子 今からもう二十一二年昔、築地の方に、Sと云う女学校がありました。その女学校の一年の組に、政子さんと芳子さんと云う生徒が居りました。私はこれから此の両人と、両人のお友達だった友子さんと云う人との間にあった事を皆さんに聞いて戴こうとするのです。 政子さんと芳子さんとは、従姉妹同志で、小学校の時分から、一緒の家に住んでいました。政子さんのお
槙村浩
―――同志よ固く結べ 生死を共にせん ―――いかなる迫害にも あくまで屈せずに ―――われら若き兵士プロレタリアの それは牢獄の散歩の時間だった 独房の前で彼のトランクを小脇に抱えているむかしの友 同志下司と彼の口笛に七年ぶりで出あったのは! 彼は勇敢な、おとなしい、口笛の上手な少年だった だが夏の朝の澄明さに似たあわたゞしい生活が流れてから 境遇と政治
槙村浩
彼は越知の狭い町はづれの小作兼自作農の家に生れたそしてこんな南国の山麓の息子たちがそうであるように十八の彼は嶺を越え花崗岩のはすに削られた灰青色の岬の燈台をぐっと海のはてに斜めに回転させそして戸畑の炭坑にスコップをとった 彼は間もなくたくましい労働組合の一員だった彼の上にはすぐれた同僚今村恒夫氏がいた彼等の突撃隊は耳朶の後にピストルを聞きながら断崖のきりぎし
豊島与志雄
同感 豊島与志雄 私は動物が好きだ。金と余暇と土地とがあったら、出来得る限りさまざまの動物を飼いたい。それも、狭い檻や籠や水器にではない。少くとも見た目に彼等の不自由を感じないほどの場所に、伸びやかに放ち飼いにして、その中に自分をも置きたい。――そういうことを云うと、誰でも大抵は賛成する。そういう欲求は、誰でも大抵持っているものとみえる。ところが、二三の友人