安吾の新日本地理 08 宝塚女子占領軍――阪神の巻――
坂口安吾
宝塚少女歌劇というものは、現代の神話的存在の一ツである。とにかく私のようなヤジウマ根性の旺盛な人間が今まで実物を見たことがなかった。同様に他の殿方の大部分も実物は御存知あるまい。 東京公演で男の見物姿を見かけることは少いそうだが、本場の宝塚大劇場では男姿も珍しくないという。なるほど、私のような図体の大きいのが最前列で見物していても、ジロジロ視線をあびることも
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坂口安吾
宝塚少女歌劇というものは、現代の神話的存在の一ツである。とにかく私のようなヤジウマ根性の旺盛な人間が今まで実物を見たことがなかった。同様に他の殿方の大部分も実物は御存知あるまい。 東京公演で男の見物姿を見かけることは少いそうだが、本場の宝塚大劇場では男姿も珍しくないという。なるほど、私のような図体の大きいのが最前列で見物していても、ジロジロ視線をあびることも
坂口安吾
私は犬が好きだ。何匹いても邪魔にはならないが、小犬一匹の遊び場にも足りないぐらい家も庭もせまいから、欲しい犬も思うように飼えないのである。目下生後五ヶ月のコリーと一歳三ヶ月ぐらいの中型の日本犬がいるだけだ。 コリーは利巧な犬である。牧童の代りに羊の群を誘導して、群をはなれる羊があればつれもどり、また外敵から守って、人間以上の働きをする犬だ。シェパードには専門
坂口安吾
今日では埼玉県入間郡高麗村ですが、昔は武蔵の国の高麗郡であり、高麗村でありました。東京からそこへ行くには池袋駅から西武電車の飯能行きで終点まで行き、吾野行きに乗りかえ(同じ西武電車だが池袋から吾野行きの直通はなく、いっぺん飯能で乗りかえなければならない)飯能から二ツ目の駅が高麗です。高麗村の北側背面は正丸峠を越えて秩父に通じ、東南は高麗峠を越えて飯能に、また
坂口安吾
予告して申し上げるほどの言葉はまだないのです。しかしとにかく土地々々には生き生きと働く人々は云うまでもなく町や風物や山河や歴史にもそれぞれ自らを語っている個性的な言葉があるもので、私はそれを現地で見また聞きわけたいと思っているだけです。そしてそれを私自身の生存の意義と結び合せ、私自身の言葉で語り直してみたいと思っているだけです。何を見て何を聞きわけてくるかは
坂口安吾
私たちが羽田をたつ日、東京は濃霧であった。私が東京で経験した最も深い霧。半マイルの視界がないと飛行機の離着陸ができないそうで、八時にでるはずの福岡直行便が十二時ちかくようやく飛びたった。しかし乗客一同出発をうながしたり怒ったりする者が一人もいなかったのはイノチの問題だからやむをえない。むろん私も怒らない。待合室で待っていられる私たちはむしろ幸福なのだ。着陸で
坂口安吾
先月日向を旅行したとき、宮崎市内の鉄道沿線に「クスリは富山の広貫堂」という広告板を見た。富山の薬は販売員が各地の家庭を一々訪問して薬袋を預けて行く特別な商法であるが、南の果の日向にまでその行商の足がのびているのかと思うと、本拠地を訪問したい意欲がうごいたのである。 私もずいぶん富山の薬をのんだものだ。ちょッとした病気になる。壁や柱に富山の薬袋がぶらさがってい
坂口安吾
立川文庫の夢の村 私たちの少年時代には誰しも一度は立川文庫というものに読みふけったものである。立川文庫の主人公は猿飛佐助、百地三太夫、霧隠才蔵、後藤又兵衛、塙団右衛門、荒川熊蔵などという忍術使いや豪傑から、上泉伊勢守、塚原卜伝、柳生十兵衛、荒木又右衛門などの剣客等、すべて痛快な読み物である。子供たちはそれぞれヒイキがあった。私は猿飛佐助が一番好きであったが、
小酒井不木
安死術 小酒井不木 御話の本筋にはいる前に、安死術とは何を意味するかということを一寸申し上げて置こうと思います。といっても、別にむずかしい意味がある訳ではなく、読んで字の如く「安らかに死なせる法」というに過ぎないのでありまして、英語の Euthanasia の、いわば訳語であります。「安らかに死なせる法」とは、申すまでもなく、とても助からぬ病気ならば、死に際
狩野亨吉
安藤昌益 狩野亨吉 一 安藤昌益と其著書自然眞營道 今から二百年前、安藤昌益なる人があつて、萬物悉く相對的に成立する事實を根本の理由とし、苟くも絶對性を帶びたる獨尊不易の教法及び政法は皆之を否定し、依て此等の法に由る現在の世の中即ち法世を、自然の道に由る世の中即ち自然世に向はしむるため、其中間道程として民族的農本組織を建設し、此組織を萬國に普及せしむることに
楠山正雄
安達が原 楠山正雄 一 むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関を越えて奥州に入りました。磐城国の福島に近い安達が原という原にかかりますと、短い秋の日がとっぷり暮れました。 坊さんは一日寂しい道を歩きつづけに歩いて、おなかはすくし、のどは渇くし、何よりも足がくたびれきって、この先歩きたくも歩かれなくなりました。どこぞに百姓家でも見つけ次第、頼んで一晩
喜田貞吉
去る五月の中旬、大和の榛原町に行つた時、同町字足立といふ部落が、鬼筋だといふ説について、土地の人に尋ねて見たところが、昔こゝに安達ヶ原の鬼婆々が居つたといふ話があると教へてくれた。奧州安達ヶ原から、鬼婆々は同じ地名の縁故で、こゝまでも飛んで行つたのだ。武藏の足立郡にも、同じ話のあることが、古い地誌に見えて居る。豐前企救郡の足立村にも、同じ説があるといふ。 鬼
中山太郎
「東北文化研究」創刊號の餘白録に、喜田先生の「安達ヶ原の鬼婆々」を讀んで、先生の御高見もさる事ながら、これに就いては小生も先年から多少考へてゐるところがあるので、こゝに異考として先生の驥尾に附し、敢て御笑ひ草までに書きつけるとした。そしてこゝには結論だけを申上げる。 我國には古く妊婦が胎兒を分娩せずして産の上で死亡すると、妊婦の腹を割いて(産婦の死後は産道の
谷譲次
時。一九〇九年八月、十月。 所。小王嶺、ウラジオストック、ボグラニチナヤ、蔡家溝、ハルビン。 人。安重根、禹徳淳、曹道先、劉東夏、劉任瞻、柳麗玉、李剛、李春華、朴鳳錫、白基竜、鄭吉炳、卓連俊、張首明、お光、金学甫、黄成鎬、黄瑞露、金成白、クラシノフ、伊藤公、満鉄総裁中村是公以下その随員、ニイナ・ラファロヴナ、日本人のスパイ、売薬行商人、古着屋の老婆、ロシア人
小山清
下谷の竜泉寺町という町の名は、直接その土地に馴染のない人にも、まんざら親しみのないものでもなかろう。浅草の観音さまにも遠くはないし、吉原遊廓は目と鼻のさきだし、お酉さまはここが本家である。若しもその人が小説好きであるならば、「たけくらべ」にゆかりのあるこの町を、懐かしくも思うであろう。だいぶまえのことであるが、一葉の記念碑がその住居の跡に建てられて、電車通り
宮本百合子
宋慶齢への手紙 宮本百合子 尊敬する宋慶齢夫人に。 中華人民共和国の輝やかしい一九五〇年の新春を慶賀いたします。 二〇世紀は、人類にとって、すばらしい人間的理性の勝利の世紀となりつつあります。一九一七年の十月には、地球の六分の一を占める地域にソヴェト同盟の社会主義建設が着手されました。そして、現在ソヴェト同盟は、その人民の、強大な実力と成果によって、人民の歴
沈約
倭國在高驪東南大海中、世修貢職。高祖永初二年、詔曰、倭讚萬里修貢、遠誠宜甄、可賜除授。太祖元嘉二年、讚又遣司馬曹達奉表獻方物。讚死弟珍立、遣使貢獻、自稱使持節都督倭・百濟・新羅・任那・秦韓・慕韓六國諸軍事・安東大將軍・倭國王、表求除正、詔除安東將軍・倭國王。珍又求除正倭隋等十三人平西征虜冠軍輔國將軍號、詔並聽。二十年、倭國王濟、遣使奉獻、復以爲安東將軍・倭國
酒井嘉七
○月 ○日 私はいつものように、まだ川の面や町全体に深い靄のかかっているうちに朝の散歩を急いだ。人に顔を見られることを、これほど嫌うようになったのも、精神的な病気が昂進しているためであろう。平静に思索することが可能なのは、このミルクの海を泳いでいるような、深い靄の中の散策をつづけている十数分数十分のうちに過ぎない。それとても、突然として白い幕の中から現われる
甲賀三郎
ドイルを宗とす 甲賀三郎 私が探偵小説を書いて見ようという気を起したのは疑いもなくコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物語の示唆である。中学生だった私には、ホームズの推理は驚異であった。最初に読んだのは佐川春水氏が「銀行盗賊」と改題して訳述した「赤髪組合」か、それでなければ訳者を失念したが、太陽か又は太陽と同型の雑誌に発表された「青い宝石」で、どっちが先だ
知里真志保
座長(小林高四郎)では知里さんにお願いします。 知里(真志保)私ははじめ、言語から見たいわゆる貞操帯の起源、というような演題でお話しようかと思い、いささか資料も準備して来たのでありますが、はからずも先刻に河野広道氏がその問題にふれられ、ご親切にも私の持参した新資料―樺太アイヌのチャハチャンキ(chax-chanki)までも自発的に紹介の労をとって下さったので
宮沢賢治
まくろなる流れの岸に 根株燃すゆふべのけむり こらつどひかたみに舞ひて たんぽゝの白き毛をふく 丘の上のスリッパ小屋に 媼ゐてむすめらに云ふ かくてしも畑みな成りて あらたなる艱苦ひらくと ●図書カード
宮沢賢治
そらの微光にそゝがれて いま明け渡る甲板は 綱具やしろきライフブイ あやしく黄ばむ排気筒 はだれに暗く緑する 宗谷岬のたゝずみと 北はま蒼にうち睡る サガレン島の東尾や 黒き葡萄の色なして 雲いとひくく垂れたるに 鉛の水のはてははや 朱金一すぢかゞやきぬ 髪を正しくくしけづり セルの袴のひだ垂れて 古き国士のおもかげに 日の出を待てる紳士あり 船はまくろき砒
岸田国士
官立演劇映画学校の提唱 岸田國士 演劇と映画とは元来なら別々に論ぜられなければならぬ要素をそれぞれにもつてゐるのであるが、現在の日本では、この二つの部門が、その芸術的水準と文化的役割とに於いて、寧ろより多く共通な問題を含んでゐることを見逃してはならぬと思ふ。つまり、現代の日本演劇に最も欠けたものがあるとすれば、それは今日の日本映画に於いても同様に最も欠けたも
萩原朔太郎
「青猫」の初版が出たのは、一九二三年の春であり、今から約十年ほど昔になる。その後ずつと絶版になつて、市上に長く本を絶えて居た。元來、詩集といふものは、初版限りで絶本にするところに價値があるので、版を重ねて増册しては、詩集の人に貴重される稀本の價値が無くなつて來る。しかも今日、あへてこの再版を定本にして出す所以は、著者の私にとつて種種の理由があるのである。 第
ファン・ゴッホフィンセント
ゴオガン兄 お手紙ありがたう。殊に二十日には來るといふ兄の約束に感謝する。たしかに、兄の言ふ理由(ゴオガンの痢病)は、愉快な汽車旅行をさせないに違ひない。厭な思をせずに旅行の出來るまで兄の旅行を延ばすとしても無理ではない。しかし、其を別にすれば、私はこの秋のすばらしい色々違つた自然の諸國の土地々々を通りすがりに兄に見せる旅行が殆ど羨ましい。此冬パリからアアル