小熊秀雄全集-22 火星探険―漫画台本
小熊秀雄
[目次] 星野博士 火星への通信 火星の運河 火星に人間が住んでゐるか 空中飛行 火星の首都ミルチス・マヂョル市 大歓迎会 腹痛 トマト騒動 火星の看護婦さん 地球に向つて テン太郎の報告 人間のヒゲと猫のヒゲ コオロギと蛙 星野博士 ○ テン太郎や お昼のおべんとうを 天文台のお父さんに とどけておくれ ハイ 行つてきます ○ ニヤン子とピチクン 僕につい
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小熊秀雄
[目次] 星野博士 火星への通信 火星の運河 火星に人間が住んでゐるか 空中飛行 火星の首都ミルチス・マヂョル市 大歓迎会 腹痛 トマト騒動 火星の看護婦さん 地球に向つて テン太郎の報告 人間のヒゲと猫のヒゲ コオロギと蛙 星野博士 ○ テン太郎や お昼のおべんとうを 天文台のお父さんに とどけておくれ ハイ 行つてきます ○ ニヤン子とピチクン 僕につい
槙村浩
サガレン。絶北の植民地。―――こゝに小熊秀雄かつて行商の鍬と共に放浪し数年後藤原運またショベルを携えて徘徊した 小熊秀雄は自然を最もよく背后の凹影に見た藤原運は自然を最もよく前面の凸影に見た 小熊秀雄は社会を痴呆せる自然の背后におしかくした藤原運は社会を麻痺せる自然の前面におしすゝめた 小熊秀雄は生来の饒舌でしゃべりにしゃべりまくった藤原運は労働者の簡素さで
寺田寅彦
小爆発二件 寺田寅彦 昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響の
鈴木三重吉
小犬 鈴木三重吉 一 村のとほりにそうた、青い窓とびらのついた小さな家に、気どりやの、そのくせ、お金にかけては、をかしなほどこまかな、おばあさんが、女中と二人で、ひつそりとくらしてゐました。 二人は、家のまへの小さな庭へ、いろんな野菜ものなぞをつくつてゐました。 ところが或晩、だれかゞその畠へはいりこんで、玉ねぎを十ばかりぬすんでいきました。女中のローズが、
槙村浩
或所に太郎といふ子供がありました。太郎は大へん犬ずきでした。或日太郎はお母さんに二十銭お小づかいをいたゞきました。太郎は「何を買はうかなあ」といひ乍ら町を歩いて居ました。太郎はあちこち歩いて居ますと、二匹の小犬が今にも殺されさうに成ってゐました。太郎は情深い人でしたから「モシ/\その犬はどうしたのですか」「アヽ此の犬かね、此奴家へ入って来て私達が食事してるそ
谷崎潤一郎
貝島昌吉がG県のM市の小学校へ転任したのは、今から二年ばかり前、ちょうど彼が三十六歳の時である。彼は純粋の江戸っ児で、生れは浅草の聖天町であるが、舊幕時代の漢学者であった父の遺伝を受けたものか、幼い頃から学問が好きであった為めに、とう/\一生を過ってしまった。―――と、今ではそう思ってあきらめて居る。実際、なんぼ彼が世渡りの拙い男でも、学問で身を立てようなど
北大路魯山人
小生のあけくれ 北大路魯山人 山というほどの山ではないが、山中での朝夕起臥三十余年、ほとんど社交のない生活を営みながら、小生は時に快速船のように、何事をも進ませずにはいられないクセを持っている。 自慢ではないが、ソレッというと、すべてに超スピードで活動するために、周辺の助け舟は目のまわるようなテンテコ舞いをさせられるが、小生から見るとすべてが鈍速で見ていられ
牧野信一
「暑さ、涼しさの話。」 おや/\、もう夏なのか! 僕は忘れてゐた。――それで、壁の鏡をのぞいて見ると僕の額は玉の汗だ。なるほど僕は薄いシヤツ一枚だ、白いパンツだ。いつ頃僕はこんな身なりに着換へてゐたことか? この机の一輪ざしには桃の花が活けてある。だから僕は、未だ、夏になつてゐるとも思はなかつた、誰が活けたものなのか知らないが、何時にも窓をあけることもなしに
小川未明
親たちは、生き物を飼うのは、責任があるから、なるだけ、犬やねこを飼うのは、避けたいと思っていました。けれど、子供たちは、日ごろから、犬でも、ねこでも、なにかひとつ飼ってくださいといっていました。 ちょうど、そのころ、近所でかわいらしいねこの子が産まれたので、それを見てきた男の子は、これを姉さんや、小さい兄さんに話したので、三人は熱心に、お母さんのところへいっ
末弘厳太郎
概念的に美しく組み立てられた法律学がだんだんと世間離れしてゆくことは悲しむべき事実である。そうしてそれは従来の法律学がその対象たる「人間」を深く研究せずして単純にそれを仮定したことに由来するのである。その意味において私は現在の法律学を改造する第一歩として一種のロマンチシズム運動が必要だと考えるのである。この文章は元来「法律学における新浪漫主義」と題して大正一
宮本百合子
小祝の一家 宮本百合子 一 二月の夜、部屋に火の気というものがない。 乙女は肩当てが穢れた染絣の掻巻をはおり、灰のかたまった茶色の丸い瀬戸火鉢の上へヘラ台の畳んだのを渡したところへ腰かけ、テーブルへ顔を伏せて凝っとしている。 厳しい寒気は、星の燦く黒い郊外の空から、往来や畑の土を凍らし、トタン屋根をとおし、夜と一緒に髪の根にまでしみて来る。 テーブルの前に低
宮沢賢治
赤き鳥居はあせたれど 杉のうれ行く冬の雲 野は殿堂の続きかな よくすかれたる日本紙は 一年風に完けきと 雪の反射に知りぬべし かしこは一の篩にて ひとまづそこに香を浄み 入り来るなりと云ひ伝ふ 雪の堆のなかにして りゝと軋れる井戸車 野は楽の音に充つるかな ●図書カード
蒲松齢
王太常は越人であった。少年の時、昼、榻の上で寝ていると、空が不意に曇って暗くなり、人きな雷がにわかに鳴りだした。一疋の猫のようで猫よりはすこし大きな獣が入って来て、榻の下に隠れるように入って体を延べたり屈めたりして離れなかった。 暫くたって雷雨がやんだ。榻の下にいた獣はすぐ出ていったが、出ていく時に好く見るとどうしても猫でないから、そこでふと怖くなって、次の
梶井基次郎
自分は人通りを除けて暗い路をあるいた。 耳がシーンと鳴っている。夢中にあるいている。自分はどの道をどう来たのかも知らない。つく杖の音が戞々とする。この太い桜の杖で今人を撲って来たんだ。 ここは何という町かそれもわからない。道を曲って、曲って、暗い道、暗い道をあるいて来たのである。新京極から逃げて来てからあまり時間を経たとも思わない。しかし何分程経たということ
林芙美子
小さい花 林芙美子 1 ずゐぶん遠いむかしの話だけれど、由はうどんやの女中をした事がありました。短いあひだではありましたが、はじめての奉公なので、これがお前の寝るところだと云はれた暗い納戸のやうな部屋へ這入りますと、いつぺんに涙が噴きあげて体がちつとも動かないのです。 そのうどんやは尾道と云ふ港町から船に乗つて小一時間位ありました。みんな「いんのしま」と云つ
豊島与志雄
小さき花にも 豊島与志雄 すぐ近くの、お寺の庭に、四五本の大きな銀杏樹がそびえ立っている。そばへ行って調べてみると、三本で、それが見ようによって、四本にも五本にも見える。こんもり茂っているのだ。その樹に、雀がたくさん巣くっている。朝早くから起きて、ピイチク、チュクチュク、ピイチク、チュクチュク、騒がしいったらない。朝日の光りがさしてくると、ぱっぱっと、一群れ
片山広子
むかしの世では、あづまから京へ、京から筑紫のはてへと、手紙を書いたり書かれたりすることが、非常に珍しひことであり、又一生のうちの幾つかに数へられるよろこびでもあつたらうと思ふ。その時代の人々の静かな余裕ある心では、その手紙のためにたくさんの時間と真心と技巧をも与へることが出来た。かれらは手紙によつて多くを与へ多くをうけることが出来たのである。あの鎌倉の月影が
小川未明
垣根の内側に、小さな一本の草が芽を出しました。ちょうど、そのときは、春の初めのころでありました。いろいろの花が、日にまし、つぼみがふくらんできて、咲きかけていた時分であります。 垣根の際は、長い冬の間は、ほとんど毎朝のように霜柱が立って、そこの地は凍っていました。寒い、寒い天気の日などは、朝から晩まで、その霜柱が解けずに、ちょうど六方石のように、また塩の結晶
小川未明
詩や、空想や、幻想を、冷笑する人々は、自分等の精神が、物質的文明に中毒したことに気付かない人達です。人間は、一度は光輝な世界を有していたことがあったのを憫れむべくも自ら知らない不明な輩です。 芸術は、ほんとうに現実に立脚するものです。童話は、芸術中の芸術であります。虚無の自然と生死する人生とを関連する不思議な鍵です。芸術の中でも、童話は小説などと異って、直ち
新村出
編者はさきに『言林』を編集したが、全国書房社長田中秀吉氏は、更に適切な学習用国語辞典の乏しいことを遺憾として、これが編集を懇請された。編者もまたその趣旨には大賛成であり、且つこの大過渡期に際し、同氏が社運をかけて、国語文化の復興と向上とのためにまい進される熱意に感じ、各編集員の協力を求め再び印刷・校正・事務各員の奮励を得た結果、幸いにしてこゝに完成を告げたの
中原中也
此処に家がある。人が若し此の家を見て何等かの驚きをなしたとして、そこで此の家の出来具合を描写するとなら、その描写が如何に微細洩さずに行はれてをれ、それは読む人を退屈させるに違ひない。――人が驚けば、その驚きはひきつゞき何かを想はす筈だが、そして描写の労を採らせるに然るべき動機はそのひきつゞいた想ひであるべきなのだが。(断るが、茲でいふ想ひとは思惟的なのでもイ
平山千代子
小説 平山千代子 私つて、まあ、一体どういふんだらう。 本がよみたいけど、何か本をかして下さらない? ツて言つたので、お母様が明治大正文学全集の森鴎外をかして下さつた。 文章がきれいだから、ワケなんか考へずに、大ザツパによんでごらんなさいとおつしやる。 仰せかしこみて棒ヨミにずら/\とやつてみた。だけどワケがわかんないのだから、一寸も面白うない。ア――小説ツ
田山花袋
バザンの田園小説を二三册讀んだ。描寫などに稍々新らしい匂ひのする處がないでもないが、何うも全體の上の感じは餘りよくなかつた。“This, my son”など親と子といふ深い關係を材料にして居りながら、其中心にはねつから觸れたところはなく、其親に背いて巴里に出た息子の末路なども、作者に豫め成心があつて、さうした運命を得させたやうな氣がした。殊に息子の戀に就ての
堀辰雄
この頃私は逢ふ人ごとにモオリアックの小説論の話をしてゐる位だ。 私はつい最近、彼の小説論を二册ばかりと、「癩者への接吻」といふ小説を一つ、立て續けに讀んだところなのだ。彼の小説論は、勿論本格小説論だが、讀んですこぶる啓發されるところがあつたし、小説の方は彼としてはかなり初期のものらしいが大へん氣に入つた。これこそこの頃私の一番讀みたいと思つてゐた小説であるや