Vol. 2May 2026

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広島という名の由来

薄田太郎

広島城のことを鯉城というが、この鯉城というのはこの土地が己斐の浦に臨んでいたので、己斐が鯉の音に通じるところから、こう名付けられたものといわれる。 講談調になって恐縮だが、豊臣秀吉が天下をとると、西の方で気になるのは毛利輝元であった。秀吉はなんとなく毛利氏の本城、安芸の吉田にある郡山の城を、どこかよそに移転させようと考えはじめたのである。西の毛利氏の山城、吉

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広島の牧歌

原民喜

鶴見橋といふ名前があるからには、比治山に鶴が舞っていたのだらう。私の亡父はその舞っている鶴を見たことがあるといふ。 比治山の鶴が飛んだ ビンロイ と、箸ですくった茶碗の御飯を幼児の口にあてがってやる、おどけた習慣は今も広島の女に残っていることだらうか。比治山には要塞があった〔。〕大砲が松の間に隠されて、海の方を覘ってゐた。県師の附小生だった私は、学校の帰りに

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広東葱

国枝史郎

夕飯の時刻になったので新井君と自分とは家を出た。そして自分の行きつけの――と云っても二三回行っただけの――黄華軒という支那料理店へ夕飯を食いに這入って行った。 「日本人は一人も居ないんだね」 新井君は不意にこう云ったが、自分にはその意味が解らなかった。 「日本人が一人も居ないとは?」 「料理人もボーイも支那人だね……屹度主人も支那人だろう」 「何故?」と自分

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『広辞苑』後記

新村出

昭和十年の初頭以来、粒々の辛苦を積んで完成を急ぎつつあった『改訂辞苑』の原稿も組版も、二十年四月二十九日の戦火に跡形もなく焼け失せ、茫然たる編者の手許にはただ一束の校正刷のみが残された。しかも戦火に続く敗戦と戦後の混乱とは、如何に辞典に妄執を抱く編者を以てしても、直ちに復興を企図し得べき底のものではなかった。焦土の余熱は、容易に冷ゆべくもなかったのである。

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『広辞苑』自序

新村出

いまさら辞典懐古の自叙でもないが、明治時代の下半期に、国語学言語学を修めた私は、現在もひきつづいて恩沢を被りつつある先進諸家の大辞書を利用し受益したことを忘れぬし、大学に進入したころには、恩師上田万年先生をはじめ、藤岡勝二・上田敏両先進の、辞書編集法およびその沿革についての論文等を読んで、つとに啓発されたのであった。柳村上田からは『新英大辞典』の偉業の紹介を

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床屋

宮沢賢治

床屋 宮沢賢治 本郷区菊坂町 ※ 九時過ぎたので、床屋の弟子の微かな疲れと睡気とがふっと青白く鏡にかゝり、室は何だかがらんとしてゐる。 「俺は小さい時分何でも馬のバリカンで刈られたことがあるな。」 「えゝ、ございませう。あのバリカンは今でも中国の方ではみな使って居ります。」 「床屋で?」 「さうです。」 「それははじめて聞いたな。」 「大阪でも前は矢張りあれ

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翻訳済み対訳

序(『乳房』)

宮本百合子

序(『乳房』) 宮本百合子 この一冊に集められている作品の中には、「一太と母」のように随分古く書かれたものもあり、本年の一月に発表した「雑沓」のようなものもある。旅行記は小説ではない訳であるが、私の作家としての生涯に、このような旅行記を書いた時代の生活は忘られないものであるし、同時に、今日では、五六年前に書かれた旅行記も却って或る味いをもって読まれるので、収

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序に代えて

北大路魯山人

私たちが料理をとやかく言ったり、美味い不味いを口にしますと、ぜいたくを言っているように聞えて困るのですが、私が言うのはそうじゃないのです。 料理の考え方ひとつで、仕方ひとつで、物を生かして美味しくいただける工夫、すなわち経済で美味……それです。心なしの業で物を殺してしまっていることが往々にありますが、それをもったいないと言うのです。よいものをわるいものにして

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序に代えて人生観上の自然主義を論ず

島村抱月

私は今ここに自分の最近両三年にわたった芸術論を総括し、思想に一段落をつけようとするにあたって、これに人生観論を裏づけする必要を感じた。 けれども人生観論とは畢竟何であろう。人生の中枢意義は言うまでもなく実行である。人生観はすなわち実行的人生の目的と見えるもの、総指揮と見えるものに識到した観念でないか。いわゆる実行的人生の理想または帰結を標榜することでないか。

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序(『伸子』)

宮本百合子

序(『伸子』) 宮本百合子 この小説は、大正十三年の九月から十五年の九月までの間に、一部分ずつ改造に掲載されたものだ。 書き始めてから、終るまでの間に足掛三年経って居る。其故、擱筆当時に見てさえも、最初の部分は、旧作の感があった。其後、全体を一纏めにする為にひどく時間をかけたし、印刷にかかってからも手間どり、今は事実上旧作になった。然し、この作品は自分の生活

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序(『文学の進路』)

宮本百合子

序(『文学の進路』) 宮本百合子 世界の歴史は大きく動いていて、日本の生活と文化文学も、この数年の間に示して来たうつりかわりを、これからは一層つよく広汎に現してゆくことだろうと考える。 日本文学は、それが世界史的な規模で観られ、また生まれてゆかなければならないことを益々明白にして来ている。刻々の裡に最善をつくして生きようとしている私たちの意欲の表現としての文

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序(『日本の青春』)

宮本百合子

序(『日本の青春』) 宮本百合子 歴史の可能は、いつの時代にも青春のうちに見出されて来た。日本の青春が明日に可能としている運命は、何と大きく画期的であるだろう。 この予想は、きのうまで日本の青春が、あのようにもむごたらしく戦争の轍にひしがれて来たことについて、きょうの青春が熱烈に抗議している、その事実の上にこそ展望される。激しい歴史の動きにさらされながら、世

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序(『昼夜随筆』)

宮本百合子

序(『昼夜随筆』) 宮本百合子 この集にまとめられている感想評論は、大体一九三四年の秋から一九三五年の春ごろまでに書かれたもの、及び一年ばかりとんで、一九三六年の初夏から今日に至るまでの間に書かれたものである。 文章としてここに収めるべき何ものをも持つことが出来なかった一ヵ年程の期間の生活の経験は、おのずから、その後にかかれたものの内容の裡に蓄積されていると

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序(『歌声よ、おこれ』)

宮本百合子

序(『歌声よ、おこれ』) 宮本百合子 こんにち、わたしたちの生活と文学との建設のために、いくつもの大きい課題があらわれて来ている。苦しく、いきどおろしい人間理性否定の暗黒がすぎて、明るい光のさしそめるときになったが、過去十数年の惨澹たる傷あとは、日本の知性の上から、そう急に消え去らない。日本の現代文学の苦痛は、こんなに急なテムポで世界の歴史は前進しているのに

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チェーホフ序説 ――一つの反措定として――

神西清

チェーホフは自伝というものが嫌いだった。――僕には自伝恐怖症という病気がある。自分のことがかれこれ書いてあるのを読んだり、ましてやそれを発表するために書くなどということは、僕には全くやりきれない。……そんな意味のことを、一八九九年の秋、つまり死ぬ五年ほど前に、同窓のドクトル・ロッソリモに書き送っている。 これが単なるはにかみであるか、それともほかに何かわけが

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序〔『逃げたい心』〕

坂口安吾

「海の霧」は私が始めて職業雑誌といふものへ書いた、つまり原稿料といふものを貰つた最初の作品で、昭和六年夏、私は二十六であつた。まるで私の身辺小説、何か愛人があつてその人との何かのやうな書き方であるが、全然ウソ、私小説ではない。 このときの文藝春秋は新人号といふので、井伏鱒二その他数名の執筆がすでに定まつてゐたのを、急に私が一枚加はつた。私は同人雑誌に短篇三つ

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庚娘

蒲松齢

金大用は中州の旧家の子であった。尤太守の女で幼な名を庚娘というのを夫人に迎えたが、綺麗なうえに賢明であったから、夫婦の間もいたってむつましかった。ところで、流賊の乱が起って金の一家も離散した。金は戦乱の中を両親と庚娘を伴れて南の方へ逃げた。 その途中で金は少年に遇った。それも細君と一緒に逃げていく者であったが、自分から、 「私は広陵の王十八という者です。どう

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府中のけやき

中勘助

昭和三十五年三月三十一日 いつだつたか新聞に蓮の研究で有名な大賀博士が府中の大国魂神社のすばらしい欅の並木が滅びてゆくのを惜まれる記事が載つてたのを読んだ。さうしたらそのつぎなにかの雑誌に戸塚文子さんだつたか同じ処のくらやみ祭と烏の団扇のことを書いてゐられるのを見た。そしてこの偶然に出来た三題話がしきりに私の好奇心?をそそつていつかは行つてみようと私に決心を

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座右第一品

上村松園

座右第一品 上村松園 縮図の帳面 もう大分と前の話ですが、裏ン町で火事があって火の子がパッパッと飛んで来て、どうにも手のつけようがないと思ったことがありました。火の手があまり急に強くなりましたので、家財道具を取り出すという余裕もありませず、イザ身一つで避難しようとします時、何ぞ手に提げて行けるほどの物でもと、そこらを見廻しながら、咄嗟のうちにこれをと思って大

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座興に非ず

太宰治

座興に非ず 太宰治 おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。九月もなかば過ぎた頃のことである。私の白地の浴衣も、すでに季節はずれの感があって、夕闇の中にわれながら恐しく白く目立つような気がして、いよいよ悲しく、生きているのがいやになる。不忍の池を拭って吹

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太宰治

庭 太宰治 東京の家は爆弾でこわされ、甲府市の妻の実家に移転したが、この家が、こんどは焼夷弾でまるやけになったので、私と妻と五歳の女児と二歳の男児と四人が、津軽の私の生れた家に行かざるを得なくなった。津軽の生家では父も母も既になくなり、私より十以上も年上の長兄が家を守っている。そんなに、二度も罹災する前に、もっと早く故郷へ行っておればよかったのにと仰言るお方

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庭園の雨

北原白秋

松の葉の青きに しとしとと雨はふる。 凄まじき暴風雨の後に 針のごと雨はふる。 色黄なる毛虫は 土に沁みつき、 月見草は 萎れて白し。 桐、樅、無花果、 人工の盆栽の梅、 犯されし小娘か、みな、 泣き伏して声もなし。 しとしとと雨はふる。 浜の砂庭に吹き散り、 陸橋の下には 傷つきし犬瞳を凝らす。 あまりにも静かなり、ただ、 腹切りし苦しさに 肩衣をはねのけ

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庭の怪

田中貢太郎

加茂の光長は瓦盃に残りすくなになった酒を嘗めるように飲んでいた。彼はこの二三日、何処となしに体が重くるしいので、所労を云いたてにして、兵衛の府にも出仕せずに家にいた。未だ秋口の日中は暑くて、昼のうちは横になったなりに体の置き処のないようにしているが、ついうとうとして夕方になってみると、幾らか軽い気もちになっているので、縁側に円蓙を敷かして、一人でちびりちびり

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庭の追憶

寺田寅彦

庭の追憶 寺田寅彦 郷里の家を貸してあるT氏からはがきが来た。平生あまり文通をしていないこの人から珍しい書信なので、どんな用かと思って読んでみると、 郷里の画家の藤田という人が、筆者の旧宅すなわち現在T氏の住んでいる屋敷の庭の紅葉を写生した油絵が他の一点とともに目下上野で開催中の国展に出品されているはずだから、暇があったら一度見に行ったらどうか。 という親切

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