手紙 113 慶応三年十月中旬 後藤象二郎あて
坂本竜馬
唯今田生に聞候得バ、小松者おふかた蒸気船より帰るろふとの事なり。思ふニ中島作太郎も急ニ、長崎へつかハし度。紀州の事をまつろふ。陸からなれバ、拾五金もやらねばならず。小弟者御国ニて五十金、官よりもらいしなり。夫お廿金人につかハし自ら拾金計つ(か)い申、自分廿拾金計持居申候。中島作につかハさんと思ふニよしなし。 (東京 静嘉堂文庫)夫ニ三条侯の身内小沢庄次と申も
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坂本竜馬
唯今田生に聞候得バ、小松者おふかた蒸気船より帰るろふとの事なり。思ふニ中島作太郎も急ニ、長崎へつかハし度。紀州の事をまつろふ。陸からなれバ、拾五金もやらねばならず。小弟者御国ニて五十金、官よりもらいしなり。夫お廿金人につかハし自ら拾金計つ(か)い申、自分廿拾金計持居申候。中島作につかハさんと思ふニよしなし。 (東京 静嘉堂文庫)夫ニ三条侯の身内小沢庄次と申も
坂本竜馬
拝啓 然ニ小弟宿の事、色たずね候得ども何分無レ之候所、昨夜藩邸吉井幸輔より、こと伝在レ之候ニ、未屋鋪ニ入事あたハざるよし。四條ポント町位ニ居てハ、用心あしく候。其故ハ此三十日計後ト、幕吏ら龍馬の京ニ入りしと謬伝して、邸江もたずね来りし。されバ二本松薩邸ニ早入候よふとの事なり。小弟思ふニ、御国表の不都合の上、又、小弟さへ屋鋪ニハ入ルあたハず。又、二本松邸ニ身を
坂本竜馬
此書や加七来りて是非手紙かきて、陸奥先生に送りくれよと、しきりにそふだんゆへ、目前ニしたゝむ、かしこ。 御案内の沢やの加七と申候ものゝ咄、(是ハ御手下のひしや某が聞得所なり。) 度小弟ニ参り相談致し候。某故ハ仙台の国産を皆引受候て、商法云云の事なり。小弟が手より金一万両出セとのこと也。上件を是非と申相願候間、商法の事ハ陸奥に任し在レ之候得バ、陸奥さへウンとい
坂本竜馬
唯今は御使被レ下難レ有、然ニ越前行は今日出達仕候よふ、後藤参政より昨日申被レ聞候。是も、ものゝついでに鳥渡聞候事故、今日四ツ時に彼是取遣候為、私より後藤の方参り候はずニ致候。 大兄御同行のことはまだ不レ申候得ども、今日は申出シ必御同行と存居申候。 夫であなた及私し家来一人〆三人ニて今日出足七ツ時頃よりも出かけ致度、其御心積ニて、先キ触大津の方迄御出し可レ被レ
坂本竜馬
追白、御手もとの品いかゞ相成候か、御見きりなくてハ又ふのと相成。 世界の咄しも相成可レ申か、此儀も白峯より与三郎より少うけたまハり申候。此頃おもしろき御咄しもおかしき御咄しも実に/\山ニて候。かしこ。 拝啓。 然ニ先生此頃御上京のよし、諸事御尽力御察申上候。 今朝与三郎参、咄聞候所、先生の御周旋ニて長崎へ参り候よし、同人の事は元ト大郎が船の引もつれより、我々
坂本竜馬
尊書よく拝見(但再度の)仕候。然ニ船一条甚因循のよし御苦心御察申上候。 別紙山崎へ送り候間、内御覧の上山崎へ御送り(但シ其封へのりを付て)奉レ願候。 此上君をして船からでよの、なんのと云へバ、道理ニ於、私し不ルレ論ゼを得不レ申」思ふニ唯君のミならず、久年積学、もふ此頃ハ船の一ツも、私より御渡し可レ申ハ当然の所なるを、御存(知)の通の次第、ここに於ては私シ汗顔
坂本竜馬
十日御認の御書、十一日ニ相達拝見仕候。段の御思召能相わかり申候。そが中ニも蝦夷の一条は別して兼而存込の事故、元より御同意仕候。別紙二通此度愛進ニさし送り申候間、内御一覧の上、其上を封じ御送り可レ被レ成、然レバ愛進より何ぞ申出候べしと奉レ存候。 其上御考可レ被レ成、私儀もひまを得候へバ下坂可レ仕、外に用向も在レ之候。 ○扨、今朝永井玄蕃方ニ参り色談じ候所、天下
坂本竜馬
一、さしあげんと申た脇ざしハ、まだ大坂の使がかへり不レ申故、わかり不レ申。一、御もたせの短刀は(さしあげんと申た)私のよりは、よ程よろしく候。(但し中心の銘及形。) 是ハまさしくたしかなるものなり。然るに大坂より刀とぎかへり候時ハ、見せ申候。一、小弟の長脇ざし御らん被レ成度とのこと、ごらんニ入レ候。十三日謹言。陸奥老台自然堂 拝 ●図書カード
坂本竜馬
追白す 明朝より大坂へ下り小野惇助に謀り其上長崎行を思ひ立候得は蒸気の船便両三日中に在レ之候又出崎仕候得ハ海隊援を□い候月俸を相談出可申とも存候此儀御決心の彼ニも萬一故申さんかと婆心より申上候敬白龍馬事 楳太郎拝坂野先生 ●図書カード
宮沢賢治
むかし、あるところに一疋の竜がすんでいました。 力が非常に強く、かたちも大層恐ろしく、それにはげしい毒をもっていましたので、あらゆるいきものがこの竜に遭えば、弱いものは目に見ただけで気を失って倒れ、強いものでもその毒気にあたってまもなく死んでしまうほどでした。この竜はあるとき、よいこころを起して、これからはもう悪いことをしない、すべてのものをなやまさないと誓
小泉八雲
拝啓 先に長崎からお手紙を差し上げると申しておりましたが、それはかなわない事になりました。というのは、実際、私は長崎から逃げ帰って来たからです――何があったか、そのいくつかをお話しします。 七月二〇日の早朝、私は、一人、熊本を出発し、百貫経由で長崎へ向かうつもりでした。熊本から百貫までは人力車で一時間半あまりの距離でした。百貫は水田の中の、くすんだ小さな村で
宮沢賢治
普通中学校などに備え付けてある顕微鏡は、拡大度が六百倍乃至八百倍ぐらいまでですから、蝶の翅の鱗片や馬鈴薯の澱粉粒などは実にはっきり見えますが、割合に小さな細菌などはよくわかりません。千倍ぐらいになりますと、下のレンズの直径が非常に小さくなり、従って視野に光があまりはいらなくなりますので、下のレンズを油に浸してなるべく多くの光を入れて物が見えるようにします。
宮沢賢治
印度のガンジス河はあるとき、水が増して烈しく流されていました。 それを見ている沢山の群集の中に尊いアショウカ大王も立たれました。 大王はけらいに向って「誰かこの大河の水をさかさまにながれさせることのできるものがあるか」と問われました。 けらいは皆「陛下よ、それはとても出来ないことでございます」と答えました。 ところがこの河岸の群の中にビンズマティーと云う一人
宮沢賢治
わたくしはあるひとから云いつけられて、この手紙を印刷してあなたがたにおわたしします。どなたか、ポーセがほんとうにどうなったか、知っているかたはありませんか。チュンセがさっぱりごはんもたべないで毎日考えてばかりいるのです。 ポーセはチュンセの小さな妹ですが、チュンセはいつもいじ悪ばかりしました。ポーセがせっかく植えて、水をかけた小さな桃の木になめくじをたけてお
堀辰雄
一九三三年六月二十日、K村にて こつちへ來てから、もう二十日になる。それだのに、まだ何も仕事をしないで、散歩ばかりしてゐる。この頃の散歩道としては、あのM病院の向うの、小川に沿つた一本道がそれはいい。アカシアの花がいま眞つ盛りだ。何ともかんとも云へぬ好い香りがして、その下を歩いてゐるとぞくぞくしてくるくらゐだ。そこでM博士らしいものを見かける。いつもパイプを
坂口安吾
手紙雑談 坂口安吾 (上) スタンダアルやメリメのやうに死後の出版を見越して手紙を書残した作家がある。私も少年の頃はさういふ気持が強く一々の手紙に自分の存在を書き刻むやうな気持であつたが、その努力が今ではすべて小説にとられ、手紙は用件を書きなぐるのが精一杯で、死後の出版を見越した魂胆は微塵もない。 自分の存在を書残したい願望は誰の心にもあることで、日記なり手
折口信夫
歌舞妓の春を謳歌するには、稍物寂しいが、其でも尚最後の花盛りに見呆けて愉しむことの出来る「手習鑑」昼夜通しの興行である。無理算段して百花繚乱たる様を見せようとするのは、見物の心を知らぬ興行者の老婆心である。 尚二三度、菊五郎自身が洗ひあげる必要のある「平家の曲」はまだしも、夜の「蛇柳」は全く驚される。歌舞妓の癲癇患者も、之を見たら恐らく其心酔から解脱して、忽
折口信夫
その写実主義が、意外に強靭であり、理論的に徹したところのあるものだといふことを、こんどの幸四郎の舞台に見て、しみ/″\快く感じた。日本の自然派のまだ現れなかつた明治三十年前半の写実主義時代から、ともかくこれを貫いて来たのは、この人だけであらう。そのことが、喜寿の賀を舞台の「白太夫」とともに受ける今日になつても、彼の芸の自由を奪ひ、空想を失はせ、何処か完成感の
折口信夫
私どもの、青年時代には、歌舞妓芝居を見ると言ふ事は、恥しい事であつた。つまり、芝居は紳士の見るべきものではなかつた。だから今以て、私には、若い友人たちの様に、朗らかな気持ちで、芝居の話をする事が出来ない。私の芝居に就いての知識は、謂はゞ不良少年が、店の銭函からくすねて貯めた金の様な知識で、理くつから言へば何でもないことだが、どうもうしろめたい。どうも私の話に
宮本百合子
手芸について 宮本百合子 切角お尋ねを受けましたが、私は何も手芸を存じません。編物や刺繍の或る物はひとのしている様子、出来上り等見るのを愛しますけれども。 非常に不器用で困ります。 〔一九二二年八月〕
小酒井不木
手術 小酒井不木 ×月×日、私の宅で、「探偵趣味の会」の例会を開きました。随分暑い晩でしたが、でも、集ったのは男の人が五人、女の人が三人、私を加えて都合九人、薄暗い電燈の光の下で、鯰の血のような色をした西瓜をかじり乍ら、はじめは、犯罪や幽霊に関するとりとめもない話を致しました。 「……それにしても九人というのは面白いですねえ。西洋の伝説にある妖婆は、九という
堀辰雄
丁抹の若い貴族マルテ・ラウリッツ・ブリッゲがその敗殘の身をパリの一隅によせ、其處でうらぶれた人々にまじつて孤獨な生活をはじめる。 第一部の前半は、先づ、マルテをとりかこむパリの怖ろしい印象でうづまつてゐる。 ボオドレエル、死、憑かれた男、盲目の物賣り、古い家の癩病やみのやうな壁、それからマルテの病氣、いよいよつのる不安…… マルテはかかる不安を告白したのち、
ダ・ヴィンチレオナルド
* おお、神よ。爾は、一切の善きものを、勞力の價を以て、我等に賣り給へり。 * 古人を模倣する事は、今人を模倣する事より、賞贊に値する。 * 「生」に於て、「美」は死滅する。が、「藝術」に於ては、死滅しない。 * 感情の至上の力が存する所に、殉教者中の最大なる殉教者がある。 * 我等の故郷に歸らんとする、我等の往時の状態に還らんとする、希望と欲望とを見よ。如
喜田貞吉
三才図会に長脚国・長臂国がある。「長脚国は赤水の東にあり、其の国人長臂国と近く、其の人常に長臂人を負ひて、海に入つて魚を捕ふ。長臂国は※僥国の東にあり、其の国人海東にありて、人手を垂るれば地に至る」とある。全く空想の国には相違ないが、我が清涼殿の荒海の障子には、これを絵に書いてある事が枕草子にも見えて、人口に膾炙しているところである。信州諏訪には手長大明神・