Vol. 2May 2026

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岩魚

佐藤垢石

岩魚 佐藤垢石 一 石坂家は、大利根川と榛名山と浅間火山との間に刻む渓谷に水源を持つ烏川とが合流する上州佐波郡芝根村沼之上の三角州の上に、先祖代々農を営む大地主である。この三角州は幕末、小栗上野が官軍の東上に抗することの不可能であるを知って、江戸城を脱け出し、金櫃に似た数個の箱を運んで上総国行徳地先から舟に乗って家来十人ばかりと共に所領の上州群馬郡三の倉の邸

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岩魚 ――哀しきわがエレナにささぐ――

萩原朔太郎

瀬川ながれを早み、 しんしんと魚らくだる、 ああ岩魚ぞはしる、 谷あひふかに、秋の風光り、 紫苑はなしぼみ、 木末にうれひをかく、 えれなよ、 信仰は空に影さす、 かならずみよ、おんみが靜けき額にあり、 よしやここは遠くとも、 わが巡禮は鈴ならしつつ君にいたらむ、 いまうれひは瀧をとどめず、 かなしみ山路をくだり、 せちにせちにおんみをしたひ、 ひさしく手を

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岩魚の怪

田中貢太郎

村の男は手ごろの河原石を持って岩の凹みの上で、剥いだ生樹の皮をびしゃびしゃと潰していた。その傍にはまだ五六人の仲間がいて潰した皮粕を円めて笊の中へ入れたり、散らばっている樹の皮を集めてその手許に置いてやったりした。 そこは木曾の御嶽つづきの山の間で、小さな谷川の流れを中にして両方から迫って来た山塊は、こっちの方は幾らか緩い傾斜をして山路なども通じているが、む

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岬の春霞

牧野信一

いつまでつゞくか、仮寝の宿――わたしは、そのとき横須賀に置いた家族から離れて湘南電車で二駅離れた海ふちの宿にゐた。東京からあそびに来てゐる若い友達のRと、文学と人生のはなしに耽つてゐると、飛行機の爆音が、屋根裏にとゞろいて、耳を聾し、はなし声を消して、ふたりは黙劇の人物のやうに、眼を視合せたり、上眼をつかつたりするだけだつた。 窓に乗り出して、さかさまに見る

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岷山の隠士

国枝史郎

岷山の隠士 国枝史郎 1 「いや彼は隴西の産だ」 「いや彼は蜀の産だ」 「とんでもないことで、巴西の産だよ」 「冗談を云うな山東の産を」 「李広の後裔だということだね」 「涼武昭王の末だよ」 ――青蓮居士謫仙人、李太白の素性なるものは、はっきり解っていないらしい。 金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。 偉人や金持になることも、ちょっと

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岸田劉生の日本画

木村荘八

岸田劉生の日本画 木村荘八 これが森田恒友さんについての書きものならば、日本画とはいはずに水墨とするところであるが、岸田は「水墨」が似合ひでない。のみならず、岸田当人も絹紙に墨の仕事を特別の名で呼んだことがなく、たゞ日本画々々々といふ。森田さん風にこれを水墨といへば、これはまた言外に文人画の意味をこめてゐるやうである。その文人画の意味も岸田の場合には特別の匂

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岸辺

蔵原伸二郎

冬の日がかんかん照つていた 川岸の枯草の中から首だけ出して 八十九歳の老人が釣をしていた 釣竿をもつたまま 水に映るちぎれ雲の間をおよぐ 冬の魚たちと昔話をしながら 老人は死んでいた ちかちかと 日はかたむいていた 一匹の紋白蝶が よたよたと向う岸に渡つていつた 魚たちが老人を呼んでいた 赤い小さなうきが かすかな波紋をおこして 沈んだり浮いたりしている

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木暮理太郎

峠は「たむけ」の音便であるといわれている。そしてそれが山脈又は丘陵を横断する通路の最高所に与えられた名であることは、峠路即ち上り下りの路を坂と呼んでいることから推して疑いないようである。峠への上り口に坂下或は坂本又は坂元などいう地名のあることは、峠路を坂と称したことを語っているものであろう。つまり坂は道路に相当な或はそれ以上の勾配のある処をいい、其頂上が即ち

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土田耕平

その時、太郎さんは七つ、妹の千代子さんは五つでありました。太郎さんはお父さんに背負はれ、千代子さんはお母さんに背負はれてゐました。 春三月とはいへ、峠の道は、まだきつい寒さでした。夜あけ前の四時ごろ、空にはお星さまが、きら/\と氷のやうにかゞやいてゐます。山はどちらを見ても、墨を塗つたやうに真黒で、灯のかげ一つ見えません。お家を出てから、もう一里あまり山の中

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土田耕平

その時、太郎さんは七つ、妹の千代子さんは五つでありました。太郎さんはお父さんに背負われ、千代子さんはお母さんに背負われていました。 春三月とはいえ、峠の道は、まだきつい寒さでした。夜あけ前の四時ごろ、空にはお星さまが、きらきらと氷のようにかがやいています。山はどちらを見ても、墨を塗ったように真黒で、灯のかげ一つ見えません。お家を出てから、もう一里あまり山の中

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「峠」という字

中里介山

「峠」という字 中里介山 「峠」という字は日本の国字である。日本にも神代から独得の日本文字があったということだが、それは史的確証が無い、人文史上日本の文字は、支那から伝えられたものであって、普通それを漢字と云っているが、日本で創製した文字もある、片仮名や平仮名はそれであって、寧ろ国字といえば、この仮名文字こそ国字であるが、普通に国字といえば、仮名を称せずして

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マカーガー峡谷の秘密

ビアスアンブローズ

マカーガー峡谷は、インディアン山から、まっすぐに九マイル西北の地点にある。峡谷とはいうものの、じつはあまり高くもない、木のはえた二つの尾根にはさまれたくぼみにすぎず、上流の口から下流の口まで――峡谷も河とおなじように、それ自身の構造をもっていて、かみてとしもてがある――長さ二マイル以上ではなく、幅も十二ヤード以上のところは、一ヵ所しかない。というのは、冬は流

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アラン島

片山広子

アラン島 片山廣子 雨ばかり多い春であつたが、今日は珍らしくよく晴れて空気も寒いくらゐ澄んでゐる。南むきの硝子戸のそとのコンクリに配給のイモを出して乾した。かなり沢山の、五貫目くらゐもあらうか、イモたちの顔も天日に乾されることを喜んでゐるらしくみえた。これだけあれば相当ながく食べられると思ふ満足感が、イモたちが喜んでゐるやうな錯覚とつながつてゐるのかもしれな

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島の便り

折口春洋

(東京都品川区大井出石町五〇五二 折口信夫先生(はがき)千葉県木更津郵便局気付 膽七八三八部隊玉井隊 藤井春洋)やつと第一報の機会を得ましたが、近況申しあげる訣にもまゐりません。たゞ健やかにゐることのみをお喜び願ひます。すつかり冴えきつた月星の空に向つて、この頃しきりに大森の様子が回想されることです。こちらは、永原鉦斎翁の志を継いでと思つても、たゞ名に負ふの

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島原一揆異聞

坂口安吾

島原一揆異聞 坂口安吾 (上) 島原の乱に就て、幕府方の文献はかなり多く残つてゐる。島原藩士北川重喜の「原城紀事」は最も有名であり、この外に城攻めの上使松平伊豆守の子甲斐守輝綱の「島原天草日記」を始め諸藩に記録が残つてゐるが、いづれも城攻めの側の記録であつて、一揆側の記録といふものはない。 尤も、一揆三万七千余人すべてが殺されて、有馬、有家、口之津、加津佐、

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島原の乱雑記

坂口安吾

島原の乱雑記 坂口安吾 一 三万七千人 島原の乱で三万七千の農民が死んだ。三万四千は戦死し、生き残つた三千名の女と子供が、落城の翌日から三日間にわたつて斬首された。みんな喜んで死んだ。喜んで死ぬとは異様であるが、討伐の上使、松平伊豆守の息子、甲斐守輝綱(当時十八歳)の日記に、さう書いてあるのである。「剰至童女之輩喜死蒙斬罪是非平生人心之所致所以浸々彼宗門也」

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島原の夢

岡本綺堂

島原の夢 岡本綺堂 『戯場訓蒙図彙』や『東都歳事記』や、さてはもろもろの浮世絵にみる江戸の歌舞伎の世界は、たといそれがいかばかり懐かしいものであっても、所詮は遠い昔の夢の夢であって、それに引かれ寄ろうとするにはあまりに縁が遠い。何かの架け橋がなければ渡ってゆかれないような気がする。その架け橋は三十年ほど前から殆ど断えたといってもいい位に、朽ちながら残っていた

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島の唄

田山花袋

あゝ焼けたな――ある日の朝、Bは新聞を見ながら思はずかう独語した。本町と言へば、たしかにあの宿屋のあたりだが、その記事では、もつと此方の税務所や郡役所が焼けて、もう少しでその前にある大きな門と前庭とを持つた旧式な二階建の建物に火が移らうとしたのを、やつとのことで消し留めたといふことが書いてあつた。では、好い塩梅にあの宿屋は焼けずにすんだかも知れないな同時にあ

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島守

中勘助

これは芙蓉の花の形をしてるという湖のそのひとつの花びらのなかにある住む人もない小島である。この山国の湖には夏がすぎてからはほとんど日として嵐の吹かぬことがない。そうしてすこしの遮るものもない島はそのうえに鬱蒼と生い繁った大木、それらの根に培うべく湖のなかに蟠ったこの島さえがよくも根こぎにされないと思うほど無惨に風にもまれる。ただ思うさま吹きつくした南風が北に

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島からの帰途

田山花袋

KとBとは並んで歩きながら、 『向うから見たのとは、感じがまた丸で違ふね?』 『本当だね……』 『第一、こんな大きな、いろいろなもののあるところとは思はなかつた。医者もあれば、湯屋もある。畠もある。野菜だツて決して少い方ではない。立派な別天地だ……。こゝなら配流の身になつても好いね?』 『一月ぐらゐ好いね……』 『いや、僕はもつと長くつても好い。一年ぐらゐか

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島の暮れ方の話

小川未明

南方の暖かな島でありました。そこには冬といっても、名ばかりで、いつも花が咲き乱れていました。 ある早春の、黄昏のことでありました。一人の旅人は、道を急いでいました。このあたりは、はじめてとみえて、右を見たり、左を見たりして、自分のゆく村を探していたのであります。 この旅人は、ここにくるまでには、長い道を歩きました。また、船にも乗らなければなりませんでした。遠

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