旅
中原中也
夕刊売 来てみれば此処も人の世 散水車があるから 汽車の煙が麦食べた 実用を忘れて 歯ブラッシを買つてみた 青い紙ばかり欲しくて それなのに唯物史観だつた 砂袋 スソがマクレます パラソルを倒に持つものがありますか 浮袋が湿りました ●図書カード
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中原中也
夕刊売 来てみれば此処も人の世 散水車があるから 汽車の煙が麦食べた 実用を忘れて 歯ブラッシを買つてみた 青い紙ばかり欲しくて それなのに唯物史観だつた 砂袋 スソがマクレます パラソルを倒に持つものがありますか 浮袋が湿りました ●図書カード
正岡子規
○旅はなさけ、恥はかきずて、宿屋に著きて先づ飯盛女の品定め、水臭き味噌汁すすりながら、ここに遊君はありやといへば、ござりまする、片田舎とて侮り給はば思はぬ不覚を取り給ふべし、などいふ、今の世の中に旅といふもの可愛い子にはさせまじき者なり。白河二所の関とは一夫道にあたりて万夫も進まざる恐ろしき嶮岨、鬼も出づべしと思ひきや、淋しき町はづれにいかめしき二階づくり、
豊島与志雄
ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。何かの職業について、一つ処に住居を定めてる者もありますが、多くは、各地をわたり歩いてる流浪の者です。それで、数は少いけれど、到るところに見かけられます。彼等は自分でロマ人だとかコラ人だとかいつてゐますが、フランスではボヘミアンと呼ばれ、イタリヤではツンガリーと呼ばれ、イギリスではジプシー
中谷宇吉郎
十月の初め、急に樺太〔サハリン〕へ行くことになった。 目的は、樺太の北、敷香〔ポロナイスク〕の町近いあるツンドラ地帯で、冬期間の凍上を防止したいという問題が起って、その予備調査をしようというのであった。一行は某省のA技師と、私と、私の方で凍上の実験を主としてやっているS君との三人であった。 十月の宗谷海峡は、もう海の色も冷く、浪がざわざわとざわめいていた。朝
中谷宇吉郎
昭和二十四年七月六日に羽田を立って、三カ月の予定で、アラスカ、米本国、カナダを廻って、十月五日に、南方空路経由、羽田へ帰り着いた。その間、わずか九十日の間に、十年前ならば、一年以上もかかるくらいの旅行をして来た。 そういうことが出来たのは、ほとんど全部飛行機を使ったからである。飛行機というものが、ほんとうに実用になったことがよく分った。現在では、東京からアメ
堀辰雄
「我々はエマオの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。」これは芥川さんの絶筆「續西方の人」の最後の言葉である。「我らと共に留れ、時夕に及びて日も早や暮れんとす。」さうクリストとは知らずにクリストに呼びかけたエマオの旅びとたちの言葉はいまもなほ私たちの心をふしぎに動かす。私たちもいつか生涯の夕べに、自分の道づれの一人
水野葉舟
旅からのはがき 水野葉舟 今、花巻に着いた 九時、今、花巻に着いた。目的地の遠野行きの馬車はすぐ出るんだが、道はずいぶん遠いそうだし、それにそういそぐわけではなし、昨晩はろくに眠れなかったから、今日は一日ここで眠ろうと定めた。こんな事なら仙台で降りればよかった、と思ってる。 ここに来て、今、S君に電報を打った。花巻。斉藤旅館にて。 寂しいもんだ 知らぬ土地の
林芙美子
斷崖絶壁の山道を往復四十里して、吉野川の下流、白地の村まで下つて來ると、恍惚の景色にも大分辟易して來てゐて、乘合自動車もろとも、河の中へ眞逆さまに落ちこんでしまひたくなつてゐる。 祖谷の山々が黄昏の彼方にかすみ、東京も遠いのであつたし、何も彼もが夢のやうである。谷間のなかには、大した人の名もなければ、大した富もなく、侘しさは侘しさのまゝに麥を植ゑ、河に魚をと
豊島与志雄
旅人の言 豊島与志雄 はて知らぬ遠き旅に上った身は―― 木影に憩うことをしないのだ。 春の日に恵まれた若き簇葉の間から、小さな光りの斑点が地に印して、私の視線を引きつけるであろう。見つめる眼が次第に濡んで来るだろう。遠い昔の彼方の景色が記憶に蘇って来るからだ。青々とした草や木や、清い流れや、物を芽ぐます黒い土地、私が生れた黒い土地、それが私の心を呼び戻すから
田山花袋
私達の思つたり、考へたり、行つたりする一段上に本当の生活があるやうな気がする。そしてその生活は、今私達がやつてゐるやうな、そんな喧しい、または利害一遍な、何うしても自分達の欲するまゝを通さずには置かないといふやうなものではなくて、もつと自然な、静かな、平和なものに近いやうに私には思はれた。 戦闘と言ふことが高調せられたり、征服被征服といふ字が用ゐられたりする
正岡子規
旅の旅の旅 正岡子規 汽笛一声京城を後にして五十三亭一日に見尽すとも水村山郭の絶風光は雲煙過眼よりも脆く写真屋の看板に名所古跡を見るよりもなおはかなく一瞥の後また跡かたを留めず。誰かはこれを指して旅という。かかる旅は夢と異なるなきなり。出ずるに車あり食うに肉あり。手を敲けば盃酒忽焉として前に出で財布を敲けば美人嫣然として後に現る。誰かはこれを指して客舎という
種田山頭火
旅日記 種田山頭火 年頭所感―― 芭蕉は芭蕉、良寛は良寛である、芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところで初まらない。 私は私である、山頭火は山頭火である、芭蕉にならうとも思はないし、また、なれるものでもない、良寛でないものが良寛らしく装ふことは良寛を汚し、同時に自分を害ふ。 私は山頭火になりきればよろしいのである、自分を自分の自分
長塚節
旅の日記 長塚節 一 九月一日 金華山から山雉の渡しを鮎川の港までもどつた。汽船で塩竈へ歸らうとしたのである。大分まだ時刻があつたので或旅人宿の一間で待つことにした。宿には二階がある。然し其案内されたのは表の店からつゞいた二間のうちの一間である。他の一間には宿の娘らしい紺飛白の衣物を着た十六七の子が針仕事をして居るのであつた。余は旅裝がみすぼらしいので何處の
寺田寅彦
旅日記から(明治四十二年) 寺田寅彦 一 シャンハイ 四月一日 朝のうちには緑色をしていた海がだんだんに黄みを帯びて来ておしまいにはまっ黄色くなってしまった。船の歩みはのろくなった。艫のほうでは引っ切りなしに測深機を投げて船あしをさぐっている。とうとう船が止まった。推進機でかきまぜた泥水が恐ろしく大きな渦を作って潮に流されて行く。右舷に遠くねずみ色に低い陸地
種田山頭火
五月廿八日 廿九日 澄太居柊屋。 やうやく旅立つことが出来た(旅費を送つて下さつた澄太緑平の二君にこゝで改めてお礼を申上げる)。 八時出発、朝飯が足らなかつたから餅屋に寄つて餅を食べる、それから理髪する(ずゐぶん長う伸びてゐた)。 四辻駅で、折よくやつて来た汽車に乗る、繁村の松原、佐波川の流、あの山この道、思ひ出の種ならぬはない。 富海下車、一杯ひつかけて歩
種田山頭火
曇。 夕方になつてやうやく出立、藤井さんに駅まで送つて貰つて。―― 春三君の芳志万謝、S屋で一献! 白船居訪問、とめられるのを辞して、待合室で夜明の汽車を待つて広島へ。 春の夜の明日は知らない かたすみで寝る 句はまづいが真情也。
堀辰雄
……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やっと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寝ている見知らない部屋の中を見まわした。見たこともないような大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちょろの鏡台、じゅくじゅく音を立てているスティム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちゃになって載っている私のふだん吸ったことのないカメリヤの袋(私はそれを何処の停車場で買ったのだ
堀辰雄
竹中郁に ……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やつと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寢てゐる見知らない部屋の中を見まはした。見たこともないやうな大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちよろの鏡臺、じゆくじゆく音を立ててゐるステイム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちやになつて載つてゐる私のふだん吸つたことのないカメリヤの袋(私はそれを何處の停車場で
幸田露伴
旅行に就いて何か経験上の談話をしろと仰ゃるのですか。 どう致しまして。碌に旅行という程の旅行を仕た事も無いのですもの、御談し仕度くっても是といって御談し申上げるような事も有りません。いくら経験だと申して、何処其処の山で道に迷ったとか、或は又何処其処の海岸で寄宿をしたとかいうような談は、文章にでも書いて其の文章に詩的の香があったらば少しは面白いか知れませぬが、
長塚節
余は旅行が好きである、年々一度は長途の旅行をしなければ氣が濟まぬやうになつた。兎に角全國歩いて見たい積りで地圖の上に朱線の殖えるのを樂みの一つにして居る。時には汽車や汽船の便を借りることもあるが、大抵は徒歩である。隨つて身體には苦勞を掛けて、歸りには顏が黒くなつて頬骨が出る。それで苦勞をすればする程、旅行の面白味が増して、話の種が殖えて來る。人に旅中の話をす
宮本百合子
ジイドとそのソヴェト旅行記 宮本百合子 『中央公論』の新年号に、アンドレ・ジイドのソヴェト旅行記(小松清氏訳)がのっている。未完結のものであるが、あの一文に注目をひかれ、読後、様々の感想を覚えた読者は恐らく私一人にとどまらなかったであろうと思う。 間もなく、去る一月六日から四日間、『報知新聞』の学芸欄に「ジイドの笑いと涙」という題で、『プラウダ』が社説として
原民喜
この頃よく雨が降りますが、今日は雨のあがつた空にむくむくと雲がただよつてゐます。今日は八月六日、ヒロシマの惨劇から五年目です。僕は部屋にひとり寝転んで、何ももう考へたくないほど、ぼんやりしてゐます。子供のとき、僕は姉からこんな怪談をきかされたのを、おもひだします。ある男が暗い夜道で、怕い怕いお化けと出逢ふ。無我夢中で逃げて行く。それから灯のついた一軒屋に飛込
織田作之助
旅への誘い 織田作之助 喜美子は洋裁学院の教師に似合わず、年中ボロ服同然のもっさりした服を、平気で身につけていた。自分でも吹きだしたいくらいブクブクと肥った彼女が、まるで袋のようなそんな不細工な服をかぶっているのを見て、洋裁学院の生徒たちは「達磨さん」と称んでいた。 しかし、喜美子はそんな綽名をべつだん悲しみもせず、いかにも達磨さんめいたくりくりした眼で、ケ
豊島与志雄
今年二十四歳になる中山敏子には、終戦後二回ほど、縁談がありました。最初の話は、あまり思わしいものでなく、本人の耳に入れずに、母のもとで打ち切ってしまいました。二度目のは、副島の伯母さんから持ちこまれたもので、母もたいへん気乗りがし、副島さんの家で、それとなく、敏子と先方の当人とを会わせました。 先方の当人、筒井直介は、りっぱな人柄だそうでありました。副島の伯