親しく見聞したアイヌの生活
宮本百合子
親しく見聞したアイヌの生活 宮本百合子 アイヌの部落も内地人の影響を受けて、純粋のアイヌの風俗はなくなって行きますが、日高国の平取あたりに行ってみると、純粋のアイヌの気分を味う事が出来ます。然し単にアイヌと申しても、北海道全体に渡っての彼等の部落には、各々に特色がありますので、僅ばかりの間の研究で断定的な事は申されません。で三ヵ月ばかりの間に私の眼に映りまし
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宮本百合子
親しく見聞したアイヌの生活 宮本百合子 アイヌの部落も内地人の影響を受けて、純粋のアイヌの風俗はなくなって行きますが、日高国の平取あたりに行ってみると、純粋のアイヌの気分を味う事が出来ます。然し単にアイヌと申しても、北海道全体に渡っての彼等の部落には、各々に特色がありますので、僅ばかりの間の研究で断定的な事は申されません。で三ヵ月ばかりの間に私の眼に映りまし
梶井基次郎
「親近」と「拒絶」 梶井基次郎 「スワン家の方」誌上出版記念會 佐藤君と淀野の譯したこんどの本を讀んで見て第一に感じることは、プルウストといふ人がこの小説において「回想」といふことを完成してゐるといふことだ。その形而上學から最も細かな記述に至るまですつかりがこのなかにあると云つていい。しかし何から何までべた一面に書いたといふのではなくて、これにはプルウストの
尾崎士郎
三十五歳のとき、長女が生れた。昭和八年である。私にとっては、まったく思いがけない出来事だった。そのとき、ある婦人雑誌から、はじめて父親になった感想を求められ、父親たるべき腹の出来ていないことを答えたことを覚えている。当時の日記をひろげてみると、つぎのような感想が書きなぐってあった。 「わが子一枝(カズエ)、一日ごとに変化の兆、歴然たるものあり。成長に向う変化
三木清
親鸞の思想は深い体験によって滲透されている。これは彼のすべての著作について、『正信偈』や『和讃』のごとき一種の韻文、また仮名で書かれたもろもろの散文のみでなく、特に彼の主著『教行信証』についても言われ得ることである。『教行信証』はまことに不思議な書である。それはおもに経典や論釈の引用から成っている。しかもこれらの章句があたかも親鸞自身の文章であるかのごとく響
宮本百合子
観光について 宮本百合子 それを見たことで その人の人生に何かが加わり 或は何かが変る丈の力がなくては 観光の対象として極めて薄弱だ。 「戦災のあとも見て貰って 十分満足させて」云々。これは心ある日本人をして 何となくばつの悪い思いをさせた。日本の戦災の跡が、どんな満足すべきものをもっているだろう ヴェルダンの戦跡には 戦化が様式化されている、殺戮と破壊の悲
岸田国士
私は観光事業に関しては全くの素人で、殊にこの問題は非常に広汎な領域を含んで居りますので、私の申上げることが或は肯綮に当らないかも知れませんが、併し只今この時局下において日本全文化領域のことが考へられて居る際でありますから、観光事業も文化問題として取上げて我々の仕事の一部としたいと思つて居るのであります。これから又此の事業に直接お携はりになつておいでになる専門
岸田国士
自分で思ひ立つて映画を観に行つたことはまづないと云つていゝ。大ていは女たちの御招伴である。これは映画と女とを一緒に軽蔑してゐるやうに聞えるが、決して女も映画も軽蔑してゐるわけではなく、全く無精だからである。――芝居の方はどうかと訊かれると、これはまた一層ひどい。一年に二三度あるかなし、その代り、これは自分で思ひ立つ。 評判になつた封切ものなど、家の誰かゞ観て
宮本百合子
あるがままの姿は決して心理でもなければ諷刺でもない 伊藤整氏の近著『街と村』という小説集は、おなじ街や村と云っても、作者にとってはただの街や村の姿ではなく、それぞれに幽鬼の街、幽鬼の村である。これまでの自身の中途半端な人生のくらしかたが、その街においてもその村においても、いろいろの思い出とそこに登場して来る人物すべてを作者にとって幽鬼としてしまっている。その
坂口安吾
観念的その他 坂口安吾 私の小説が観念的だといふのは批評家の極り文句だけれども、私の方から言ふと、日本の小説が観念的でなさすぎる。 小説が観念的でなければならぬといふ筈はないけれども、日本人の生活には観念の生活が不足だと思はれる。観念も亦実際の生活で食慾色慾物慾、観念なしにそれらのものが野放しにされてゐるやうな生活は、その方が実在するものではない。 我々の思
北原白秋
天地の闢けしはじめ、成り成れる不尽の高嶺は白妙の奇しき高嶺、駿河甲斐二国かけて八面に裾張りひろげ、裾広に根ざし固めて、常久に雪かつぐ峰、かくそそり聳やきぬれば、厳しくも正しき容、譬ふるに物なき姿、いにしへもかくや神さび神ながら今に古りけむ。たまたまに我や旅行き、行きなづみ振さけ見れば、妻と来てつつしみ仰げば、あなかしこ照る日もわかず、暮れゆけば雲巻き蔽ひ、霹
寺田寅彦
ある日、浜町の明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。それは上野の科学博物館とその裏側にある帝国学士院とが意外に遠く離れて見えるということである。この二つの建築物の前を月に一度くらいは通るので、近くで見たときのこの二つの建物の距離というものについてはかなりに正確な概念をもっている、少なくもそのつもりでいたのであるが、今度はじめて約三キロ
幸田露伴
ずっと前の事であるが、或人から気味合の妙な談を聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のように、何処か知らぬところに逸し去っている。 話をしてくれた人の友達に某甲という男があった。その男は極めて普通人型の出来の好い方で、晩学ではあったが大学も二年生まで漕ぎ付けた。というものはその男が最初甚だしい貧家に生れたので
幸田露伴
ずつと前の事であるが、或人から気味合の妙な談を聞いたことがある。そして其話を今だに忘れてゐないが、人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のやうに、何処か知らぬところに逸し去つてゐる。 話を仕て呉れた人の友達に某甲といふ男があつた。其男は極めて普通人型の出来の好い方で、晩学では有つたが大学も二年生まで漕ぎ付けた。といふものは其男が最初甚だしい貧家に生れたので、思ふ
北原白秋
虚と実とは裏と表である。実にして虚、虚にして実なるが故に尊い。何れは先づ実相のまことを観、観て、深く到り得て、更に高く離れむ事をわたくしは願つてゐる。 実相に新旧のけぢめは無い。常に正しく新らしいからである。これを旧しとなすは観て馴れ過ぎたからである。一時の流行は時とともに滅びる。而も人はただ新奇を奔り求める事に於てのみ、その詩境を進め得るものと思つてゐる。
久保田万太郎
……だまつて、一人で、せッせと原稿を書いてゐた石谷さんが急に立ち上り、 「一寸、ぢやァ、行つて来ます。」 万年筆をいそがしく内かくしへしまひながらいつた。 「どこへ?」 「行つていらつしやい。」といふ代りにうッかりわたしはかういつた。……わたしはわたしの席で、用があつて来たある新聞の人と、用をすましたあとの世間ばなしをしてゐた。 「角力へ……」 けゞんさうに
平林初之輔
角田喜久雄の「肉」は高山で霧にとじこめられて飢餓のため、人間しかも友人の肉を食う話。しかも食ったあとですぐ霧がはれて近くに猟師小屋が見つかるという運命の悪戯なのだ。ただそれだけだけれども、それだけで立派なコントだ。はじめの方の描写はもっと感覚的にいかぬものか。読者に飢餓の実感が伝わってこないのは描写の概念的のためだ。 (『東京朝日新聞』一九二九年一〇月四日)
小川未明
町の四つ角に立って、一人の男の子がうろうろしていました。子供ははだしで、足の指を赤くしていましたけれど、それを苦にも感じないようでありました。短い黒い着物をきて、延びた頭髪は、はりねずみのように光っていました。 子供は、このあたりのものではないことはよくわかっています。前には、こんな子供がこの付近で遊んでいたのを、だれも、見たものがないのでありましょう。きっ
三島霜川
解剖室 三島霜川 これ、解剖學者に取ツては、一箇神聖なる物體である、今日解剖臺に据ゑられて、所謂學術研究の材となる屍體は、美しい少女の夫であツた。此樣なことといふものは、妙に疾く夫から夫へとパツとするものだ、其と聞いて、此の解剖を見る級の生徒の全は、何んといふことは無く若い血を躍らせた。一ツは好奇心に誘られて、「美しい少女」といふことが強く彼等の心に響いたの
田山花袋
解脱にも非常に度数があると共に、真剣とか、一心とか言ふことにも矢張度数がある。更にそれを幾種類に別つことが出来る。従つて口で言ふことはわけはないが、そのあらはれた形を見ると、千差万別である。容易に言説することの出来ないのは其処にあると思ふ。
額田六福
松の樹が嫌いだった。 「君、あれは放蕩息子だよ。」 冗談によくそんな事を云われた。誰もが知っている通り、春夏秋冬と、松の木位手入れに手数のかかる木は尠い。自然物入もかさむ。全くやっかい至極な放蕩息子だ。 が、しかし、先生が松を愛されなかったのはそう云う手数がかかるとか、物入が嵩むとか云う理由ではなかった。手入は植木屋にやらせればいいのだし、費用だって先生の懐
宮本百合子
解説(『風知草』) 宮本百合子 「乳房」について 「乳房」は一九三五年(昭和十年)三月に書かれた。発表されたのは中央公論四月号であった。 たいして長い小説ではないけれども、この作品がまとまるまでにはいろいろ当時としてのいきさつがあった。そのいきさつのあらましは、一九三二年の三月下旬「日本プロレタリア文化連盟」にたいする弾圧があった時代にさかのぼって話されなけ
寺田寅彦
解かれた象 寺田寅彦 上野の動物園の象が花屋敷へ引っ越して行って、そこで既往何十年とかの間縛られていた足の鎖を解いてもらって、久しぶりでのそのそと檻の内を散歩している、という事である。話を聞くだけでもなんだかいい気持ちである。肩の凝りが解けたような気がする。 事実はよくわからないが、伝うるところによるとこの象は若い時分に一度かんしゃくを起こして乱暴をはたらい
折口信夫
その頃、目に故障を持つてゐた戸板君が、戦争に出ることになつた。案じてゐると、もうどつかで苦しんでるだらうと思ふ時分、ひよつくり帰つて来た。よかつたねと言つてゐると、其場ですぐ言ひ出した。これもやはり南の方へ出て行つた加藤道夫君が、その以前書いておいた「なよたけ」が、雑誌に出はじめたから、其を読め/\、と大層慂めるのである。其で、三田文学に出てゐる間割合によく
三木清
ギリシア人の産出した文化の一つに修辞学がある。それはなかんずくアテナイ文化において――プラトンの伝えるようにアテナイ人は言葉を愛し、多く語ることを好んだ(φιλ※λγ※ τ κα※ πολ※λογο)――極めて重要な位置を占めていた。しかし今日、修辞学はほとんどまったく閑却されている。アリストテレスの諸著作のうちでも修辞学に関する書は恐らく最も研究されないも