貧農のうたえる詩
長沢佑
春―― 三月―― 薄氷をくだいて おらあ田んぼを打った めっぽー冷こい水だ 足が紫色に死んで居やがる 今日は初田打 晩には一杯飲めるべーと気付いたので おらあ勇気を出した ベッー 手に唾をひっかけて鍬の柄をにぎった だがやっぱりだめ 手がかじかんで動かない ちきしょう おらあやっぱり小作人なんだ それから夏が来た 煮えかかるような田の中で 俺達は除草機の役を
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長沢佑
春―― 三月―― 薄氷をくだいて おらあ田んぼを打った めっぽー冷こい水だ 足が紫色に死んで居やがる 今日は初田打 晩には一杯飲めるべーと気付いたので おらあ勇気を出した ベッー 手に唾をひっかけて鍬の柄をにぎった だがやっぱりだめ 手がかじかんで動かない ちきしょう おらあやっぱり小作人なんだ それから夏が来た 煮えかかるような田の中で 俺達は除草機の役を
太宰治
異国語においては、名詞にそれぞれ男女の性別あり。 然して、貨幣を女性名詞とす。 私は、七七八五一号の百円紙幣です。あなたの財布の中の百円紙幣をちょっと調べてみて下さいまし。あるいは私はその中に、はいっているかも知れません。もう私は、くたくたに疲れて、自分がいま誰の懐の中にいるのやら、あるいは屑籠の中にでもほうり込まれているのやら、さっぱり見当も附かなくなりま
太宰治
七月三日から南伊豆の或る山村に來てゐるのだが、勿論ここは、深山幽谷でも何でもない。温泉が湧き出てゐるといふだけで、他には何のとるところも無い。東京と同じくらゐに暑い。宿の女中も、不親切だ。部屋は汚く食事もまづい。なぜこんな所を選んだのかと言へば、宿泊料が安いだらうと思つたからである。けれども、來て見ると、あまり安くもない。一泊五圓以上だ。一日の豫定の勉強が濟
折口信夫
貴種誕生と産湯の信仰と 折口信夫 一 貴人の御出生といふ事について述べる前に、貴人の誕生、即「みあれ」といふ語の持つ意味から、先づ考へ直して見たいと思ふ。 私は、まづ今日の宮廷の行事の、固定した以前の形を考へさせて貰はうと思ふ。有職故実の学者たちの標準は、主として、平安朝以来即、儒風・方術の影響を受けた後の様式にある様である。尤、此期に入つて、記録類が殖えて
永井荷風
船橋と野田との間を往復してゐる総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出しをする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言ふとなく買出電車と呼ばれてゐる。車は大抵二三輛つながれてゐるが、窓には一枚の硝子もなく出入口の戸には古板が打付けてあるばかりなので、朽廃した貨車のやうにも見られる。板張の腰掛もあたり前の身なりをしてゐては腰のかけやうもないほど壊れたり汚れたり
永井荷風
船橋と野田との間を往復している総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出をする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言うとなく買出電車と呼ばれている。車は大抵二、三輛つながれているが、窓には一枚の硝子もなく出入口の戸には古板が打付けてあるばかりなので、朽廃した貨車のようにも見られる。板張の腰掛もあたり前の身なりをしていては腰のかけようもないほど壊れたり汚れたり
三宅やす子
買ひものをする女 三宅やす子 買ひものといふ事は、女性とは大変に密接な関係があるやうである。買ひものをする女の心持や態度は、千種万様である。 娘の頃は学用品や身の廻りの一寸した買物、女学校でも卒業すると、反物の選び方に腐心するやうになるが、家庭にはいつて、買物の範囲はグツとひろめられて来る。 新家庭時代、少くともそれから暫くの間は八百屋、魚屋、それから醤油は
片山広子
むかし私がまだむすめ時代には、家々の奥さんたちが近所の若い主婦やおよめさんの悪口をいふとき、あの人は買食ひが好きですつてね、毎日のやうに買食ひをしてゐるんですつて! といふやうなことを言つて、それが女性の最大の悪徳のやうであつた。それが美徳でないことは確かであるが、それでは買はないであまい物は何が食べられたかといふと、到来物の羊かんの古くかたくなつたのとか、
柴田宵曲
如何なる富豪が、どれだけの金を費したにしても、自分の欲しい書物を悉く所有することは出来ない。資力に恵まれぬのを原則とする一般の読書子に在つては猶更の話である。書物の貸借は必然の結果として生ずる。それに伴つて又いろ/\な問題も起つて来る。 藤原惺窩の時代は兵戈戦乱が全くをさまらず、学を講ずる者も乏しかつたが、書物の入手も至つて困難であつた。「十八史略」を角倉与
林芙美子
貸家探し 林芙美子 山崎朝雲と云うひとの家の横から動坂の方へぽつぽつ降りると、福沢一郎氏のアトリエの屋根が見える。火事でもあったのか、とある小さな路地の中に、一軒ほど丸焼けのまま柱だけつっ立っている家のそばに、サルビヤが真盛りの貸家が眼についた。玄関が二つあるけれども、がたがたに古い家で、雨戸が水を吸ったように湿っていた。ビール瓶で花園をかこってあるが、花園
高田保
貸家を探す話 高田保 私はいま伊豆の温泉宿にゐて、のんびりした恰好で海を眺めてゐる。だが人間を恰好だけで判断するわけにはいかない。この私も実はのんびりどころか、屈托だらけなのである。海を眺めてゐるのは恰好だけで、私の眼は貸家札を探してゐるのである。 今朝の都新聞を見ると、『読者と記者』といふ欄に、「この一月以来私は貸家探しをしてやつと見つかり五ヶ月ぶりにホッ
小川未明
春の長閑な日で、垣根の内には梅が咲いていた。私は、その日も学校から帰ると貸間を探がしに出かけた。 その日は、小石川の台町のあたりを探がして歩るいた。坂を登って、細い路次にはいって行った。赤い煉瓦塀についたり、壊れかけた竹垣に添ったりして、右を見、左を見たりして行くと、ふと左側のすぐ道ばたの二階家に、「貸間あり」の紙札が下っていた。 私は、先ず外から立ってその
田中貢太郎
賈后と小吏 田中貢太郎 盗尉部の小吏に美貌の青年があった。盗尉部の小吏といえば今なら警視庁の巡査か雇員というところだろう。そして、その青年は厮役の賤を給し升斗の糧を謀ったというから、使丁か雑役夫位の給料をもらって、やっと生活していたものと見える。 その美貌の青年が某日、晋の都となっている洛陽の郊外を歩いていた。上官の命令で巡回していたか、それとも金の工面に往
クスミンミカイル・アレクセーヴィチ
表の人物 Aemilius Florus 主人 Mummus 老いたる奴隷 Lukas 無言の童 Gorgo 田舎娘 Calpurnia 主人の友の妻 老いたる乳母 差配人 医師 獄吏 跣足の老人 従者等 裏の人物 Malchus 賊 Titus 商人 赤毛の女 兵卒等 一 エミリウス・フロルスは同じ赤光のする向側の石垣まで行くと、きつと踵を旋らして、蒼くな
岸田国士
橋本夫人 渥美登 静間氏 静間弓子 女中 東京の郊外――初冬――午後二時頃。 橋本家の奥座敷。 紫檀の机を囲んで座蒲団が四つ。 女中が火鉢に炭をついでゐる。 橋本夫人が現れる。 橋本夫人 その炭は跳ねるから、気をつけてね。女中 はい。橋本夫人 それから、きいちやんが、また、お玄関を泥だらけにしたよ。女中 はい。橋本夫人 (順々に座蒲団の上に坐つてみ
羽田亨
春興殿の南門外、左(東)に鏡と玉を、右(西)に劍を、それ/″\頂きに懸けた一對の大眞榊の間を進み門を入つて左右の幄舍につくことすべて昨日賢所大前の儀の通りである。見上ぐれば殿上南面の中央に垂れさせられた御簾を挾んで、南廂に坐する黒衣の掌典二人、その左に續いて茜袍が九人、末なる一人が南、東兩廂の角、いづれにも見透しの利く場所に位置したのはすべて相圖に任ずるため
宮原晃一郎
賢い秀雄さんの話 宮原晃一郎 日吉さんの秀雄さんは今年七つ。ほんとに賢い子供だ。毎日、ランドセルをせおつていきほひよく、 「いつてまゐります。」と、ごあいさつをして、家を出る。まつすぐに、道草なんかくはないで、さつさと学校へいつて、教室では先生のおつしやることを、よく聞いてゐて、よくそのとほりにするし、問はれたことには一番早く手をあげて、答をする。家へかへつ
鈴木三重吉
ダマスカスの賢者 鈴木三重吉 一 むかし、ダマスカスといふ町に、イドリスといふなまけものがゐました。貧乏なくせに、はたらくことがきらひなのですからたまりません。或とき、もういよ/\食べるものもなくなり、売りはらふものと言つたつて、ぼろッきれ一つさへないはめになりました。おかみさんは、 「これではもう二人でかつゑて死ぬばかりです。後生だから、どうぞ今日からお金
北村透谷
賤事業弁 北村透谷 事業を賤しむといふ事は「文学界」が受けたる攻撃の一なり。而して此攻撃たるや、恐らく余が「人生相渉論」を誤読したるより起りたる者なるべしと思へば、爰に一言するの止むべからざるを信ずるなり。 余は先づ「事業」とは如何なる者なりやを問はざるべからず。次に文学は「事業」といふ標率を以て論ずべき者なりや否やを、問はざる可からず。 余は文学といふ女神
宮本百合子
質問へのお答え 宮本百合子 一 芸術も人の心に慰めと喜びをあたえるものであるということでは、「楽しさ」において娯楽に通じているようですけれども、普通のわけ方では芸術と娯楽は二ツの別のものです。音楽にも軽音楽やダンス・ミュージック、みんなが口ずさむようないろいろな歌。舞踊でもこのごろはやっているスクウェアー・ダンスのようなものが娯楽のためのダンスであって、芸術
宇野浩二
最早や昨年のことになるかと思ふが、私はこの雑誌に『質屋の小僧』といふ文章を書いたことがある。すると、一二ヶ月後、私のその文章を見たと云つて、あべこべに以前その質屋の暖簾をくぐつた頃の私の印象を、その『質屋の小僧』が書いたことがある。その頃から一年程たつた今、彼は既に質屋の小僧でなく番頭であつた。名は金井源蔵と云ふ。 以前、その小僧時代に私がよく世話になつた金
宇野浩二
私がどんなに質屋の世話になつたかといふ事は、これまで、小説に、随筆に、既にしばしば書いたことである。だが、私だとても、あの暖簾を単独でくぐるやうになる迄には、余程の決心を要した。私が友人を介して質屋の世話になり始めてから、友人なしに私一人でそこの敷居をまたぐやうになつた迄には、少なくとも二年の月日がかかつた。 それは私が二十四歳の秋の末のことであつた。その秋
薄田泣菫
質屋の通帳 薄田泣菫 京都に住んでゐた頃、たしか花時の事だつたと思ひます。私が縁端でぼんやり日向ぼつこをしてゐると、女中が来客の名刺を取次いで来ました。名刺にはK――とありました。K氏は私には初めての客でしたが、友人H氏の弟子筋にあたる人で、その頃新進作家として一寸売出してゐました。 K氏は座敷に入つて来ました。細面の色の白い、言葉数の至つて少さうな人でした
徳田秋声
或る日捨三は或るところから届いた原稿料を懐ろにして、栄子の宿を訪問した。訪問といつても、彼に取つてはその宿の帳場の前を通つて行くことが、ちよつと極りのわるいことであつたゞけで、此の頃さう改まつた心持ではなくなつた。勿論最近まで、彼は栄子を訪問したことは、絶体になかつた。若し栄子を訪問するに適当な年輩であつたら、彼も或ひはこの三年間のあひだに、一度や二度くらゐ