Vol. 2May 2026

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コロラド通信

中谷宇吉郎

アメリカの地図を頭に浮べてみよう。太平洋岸の太陽と水とに恵まれた細長い地域、即ちカリフォルニア州の一部は、大部分の土地が、一年二毛作、作物によっては三毛作も可能といわれる地上の楽園である。 しかし一旦ネバダ山脈を越し、太平洋の水域を離れると、急に荒涼たる沙漠地帯にはいる。ネバダ州、ユタ州から南方にかけての諸州は、大部分の土地が恐しい沙漠であって、わずかに緑の

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はがき通信

牧野信一

あちこちと出歩いて居りましたため御返事申おくれました。御手紙の御趣き承知いたしました。小生また/\転居と申すべきか、当分の間左記へ滞在いたします。三四日前からであります。一昨日三笠を見物し、日露戦争が恰度小生の七八歳の頃でさかんにこの軍艦の画を描いた昔を思出しました。 横須賀市山王町六八、浅尾方 牧野信一 ●図書カード

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ネバダ通信

中谷宇吉郎

ネバダ通信は、まずネバダ大学の教授チャーチ博士の話から始めなければならない。チャーチ博士の名を初めて知ったのは、一九三六年だったかと思う。国際雪氷委員会のエヂンバラ総会の報告書が届いた時、その総裁としてのチャーチ博士を初めて知ったのである。 それから今年で十三年になる。その間戦争の期間を除いて、ずっと親しい交際をつづけてきた。ただしそれは手紙と論文とによる交

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通魔

田中貢太郎

旧幕の比であった。江戸の山の手に住んでいる侍の一人が、某日の黄昏便所へ往って手を洗っていると手洗鉢の下の葉蘭の間から鬼魅の悪い紫色をした小さな顔がにゅっと出た。 その侍は胆力が据っていたので、別に驚きもせずに、おかしなものが出たな、と、平気な顔をしていると、その顔は直ぐ消えて無くなった。 で、侍は静に室に入っていると、間もなく右隣の邸が騒がしくなった。何ごと

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逝ける辻野君

中原中也

辻野君とは会で五六回、会の流れで二回会つたばかりであるから余り深いつきあひであつたわけではない。からだの弱さうな人だと思つてゐた。からだの弱さうな、気の弱さうな人であるけれども、あれで却々野心家だとも思つてゐた。彼の出した本にどんな本があるかも知らないが、リヴィエールのランボオ論とモオリヤックのイエス伝――結局彼の死の前年に出した此の二つの翻訳書だけが私の頭

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逢魔の刻

豊島与志雄

逢魔の刻 豊島与志雄 昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。必ずしも真夜中丑満の頃ばかりでなく、白昼かっと日が照ってる時、眼に見えぬ影――魔気――が街路を通っていったり、薄暗がりの夕方、魔物が厠に潜んでいたりした。 現在、吾々の生活にも――特に精神生活には、そういう逢魔の刻がいろいろある。「こんなことをして一体に何になるか。」というのがそれだ。物を書いたり

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ソ連の人工衛星

中谷宇吉郎

八月十五日のシカゴ・サン・タイムスに、ソ連の人工衞星の研究の話が出ていた。見出しは「動物を三百マイルの高空まで打ち揚げる」というのである。 先日、アイクが、アメリカの人工衞星の豫算を承認したことは、日本の新聞でも大々的に報道されたが、この人工衞星の問題でも、目下米ソは眼に見えない競爭で、しのぎを削っている傾きがある。 人工衞星の計畫は、もとはヒットラーの夢と

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連句雑俎

寺田寅彦

連句雑俎 寺田寅彦 一 連句の独自性 日本アジア協会学報第二集第三巻にエー・ネヴィル・ホワイマント氏の「日本語および国民の南洋起原説」という論文が出ている。これはこの表題の示すごとく、日本国語の根源が南洋にある事を論証し、従って国民祖先の大部分もまた南洋から渡来したものだと論断しようとするものである。この学説の当否についてはもちろん種々の議論があるであろうが

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連城

蒲松齢

喬は晋寧の人で、少年の時から才子だといわれていた。年が二十あまりのころ、心の底を見せてあっていた友人があった。それは顧という友人であったが、その顧が没くなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰がひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。そして二人が交際しているうちに、その邑宰が没くなったが、家に貯蓄がないので家族達は故郷へ婦ることができなかった。喬は家産

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連環記

幸田露伴

慶滋保胤は賀茂忠行の第二子として生れた。兄の保憲は累代の家の業を嗣いで、陰陽博士、天文博士となり、賀茂氏の宗として、其系図に輝いている。保胤はこれに譲ったというのでもあるまいが、自分は当時の儒家であり詞雄であった菅原文時の弟子となって文章生となり、姓の文字を改めて、慶滋とした。慶滋という姓があったのでも無く、古い書に伝えてあるように他家の養子となって慶滋とな

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連翹の花

新村出

私のすきな春の花に連翹の花がある。白井さんの『植物渡来考』には、支那からの渡来としてあり、『延喜式』にあちこち諸国から産出したのを朝廷に貢献したことが記るされてゐるのは、薬園に培養したものであつて、それぞれの国土の自生ではあるまいとのことである。然し奈良朝の『出雲風土記』をみると、意宇郡と秋鹿郡との産物として、「凡そ諸山野所在草木」として、その中に此のイタチ

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進むべき俳句の道

高浜虚子

こゝに雑詠といふのは明治四十一年十月発行の第十二巻第一号より四十二年七月一日発行の第十二巻第十号に至るホトトギス掲載の「雑詠」並に、明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号より大正四年三月発行の第十八巻第六号に至るホトトギス掲載の「雑詠」を指すのである。 第一期の雑詠即ち明治四十一年十月以降一年足ずの間の雑詠は期間も短く且つ句数も極めて少なかつた。けれども当

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進化論より見たる沖縄の廃藩置県

伊波普猷

沖縄在来の豚は小さいが、この頃舶来したバークシャーは大きい。しかし二者は至って縁の近い方で、その共同の祖先はもと南支那にいたということである。同一の祖先から出た豚でも、甲乙と相隔った所にもって行くと、地味や気候の関係で、それから生れる仔の間に多少の相違が出来、なお五代十代と時の経つにつれて変化するが、それに人間の力が加わると、その変化がもっと甚しくなる。さて

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『進み行く娘達へ』に寄せて

宮本百合子

『進み行く娘達へ』に寄せて 宮本百合子 かなしい昔の母たちが最愛の娘のためにととのえてやる生涯の仕度は、幾重ねかの嫁入衣装と一ふりの懐剣とであった。現代の若い母が、わが娘への深い愛情をひろく次の世代の女性たちの幸福への建設というところまでひろげて感じ、その暖いたすけとして一冊の本を書くようにもなって来たのは何とよろこばしいことだろうかと思う。 〔一九四〇年十

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進むべき道

野呂栄太郎

進むべき道 野呂栄太郎 時代の第一線に立たんとする青年大衆はいかなる準備を必要とするか 質問(A) 貴下が、現在の職業にはいられた理由、もしくは動機 質問(B) 貴下関係の職業に進まんとする青年は、特にいかなる資格を必要とするか 質問(C) 貴下の職業で特に楽しいこと、特に苦しいことはいかなることか A・植民地の一開拓者の子として生まれた私は、幼時から、一方

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逸見猶吉詩集

逸見猶吉

ソノ時オレハ歩イテヰタ ソノ時 外套ハ枝ニ吊ラレテアツタカ 白樺ノヂツニ白イ ソレダケガケワシイ 冬ノマン中デ 野ツ原デ ソレガ如何シタ ソレデ如何シタトオレハ吠エタ ≪血ヲナガス北方 ココイラ グングン 密度ノ深クナル 北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘ――≫ 暗クナリ暗クナツテ 黒イ頭巾カラ舌ヲダシテ ヤタラ 羽搏イテヰル不明ノ顔

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遁げて往く人魂

田中貢太郎

二人の仕事師が某夜夜廻りに往っていると、すぐ眼の前でふうわりと青い火が燃えた。二人は驚いて手にしていた鳶口で、それを敲こうとすると、火の玉は吃驚したように向うの方へ往った。 二人は鳶口を揮りながら追っかけた。そして、数町往ったところで、その火の玉は唯ある巷へ折れて、その突きあたりの家の櫺子窓からふわふわと入ってしまった。と、家の中から苦しそうな呻きが聞えて来

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遁走

小山清

私は中学校の三年生のとき、家出をしたことがある。原因はいまだから話すが、幾何の宿題をなまけて、先生から叱られるのが恐かったからである。 私の学校の幾何を担任していた先生は、とても恐かった。まだ若い人だったが。独身だったか、妻帯していたか、そんなことはわからない。いま想像してみても、どちらとも見当はつかない。独身であったかも知れないし、あるいは妻帯していたかも

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遁走

葛西善蔵

神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊外行きの電車に乗った。 笹川の下宿には原口(笹川の長編のモデルの一人)が来ていた。私がはいって行くと、笹川は例の憫れむようなまた皮肉な眼

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遅くはない

岸田国士

遅くはない 岸田國士 畑中蓼坡君、遂に「黒幕万歳」を唱ふ。 此の「黒幕」が「裸の舞台」を意味するとすれば、こゝに始めて、築地小劇場に対立する新劇協会存在の意義が生れた。 一つは演劇より戯曲を排除せんとする意図をほのめかし、一つは演劇の本質を戯曲の生命に托さうとする。近代劇運動の此の二つの傾向は日本に於て、今後如何なる消長を示すか正に刮目して観るべきであるが、

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ソヴェトのピオニェールはなにして遊ぶか

宮本百合子

ソヴェトのピオニェールはなにして遊ぶか 宮本百合子 夏になると、ソヴェトのピオニェールは、たいてい避暑にでかける。避暑といっても、ブルジョアの子供たちみたいに、おしゃれした母親といっしょに、海岸の宿やへ行ったりするんじゃない。 ピオニェール分隊が、景色のいい田舎や海べに野営地をもっていて、ピオニェールたちは、無料で、一ヵ月ぐらい、楽しくそこで暮すのだ。 モス

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遊動円木

葛西善蔵

私は奈良にT新夫婦を訪ねて、一週間ほど彼らと遊び暮した。五月初旬の奈良公園は、すてきなものであった。初めての私には、日本一とも世界一とも感歎したいくらいであった。彼らは公園の中の休み茶屋の離れの亭を借りて、ままごとのような理想的な新婚の楽しみに耽っていた。私も別に同じような亭を借りて、朝と昼とは彼らのところで御馳走になり、晩には茶屋から運んでくるお膳でひとり

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遊園地工作

宮沢賢治

歳は世紀に曾つて見ぬ 石竹いろと湿潤と 人は三年のひでりゆゑ 食むべき糧もなしといふ 稲かの青き槍の葉は 多く倒れてまた起たず 六条さては四角なる 麦はかじろく空穂しぬ このとききみは千万の 人の糧もてかの原に 亜鉛のいらか丹を塗りて いでゆの町をなすといふ この代あらば野はもつて 千年の計をなすべきに 徒衣ぜい食のやかららに 賤舞の園を供すとか ●図書カー

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遊びの芸術

相馬御風

○ 短歌が滅亡するかしないかといふやうなことが先頃だいぶ問題になつてゐたやうである。尤もそれは最初誰かその方面の人が問題にしたのではなくて、雜誌編輯者の提出した問題がもとゝなつて一部の人々がそれについての意見を述べたのであるらしい。だから嚴密にいへばそれは或る歌人の心におのづから切實な問題として來たのでなくて、偶然第三者から問題を提出されたことがもとゝなつた

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