Vol. 2May 2026

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早稲田大学の教旨

大隈重信

閣下、諸君、今日は早稲田大学の三十年の祝典を挙ぐるに当り、見渡す限りこの大なる式場にほとんど溢れる如く参列されたのを感謝するのである。ことに吾人の最も光栄と致すのは、欧米諸国先進なる文明諸国の百有余の大学から祝辞を送られたのを衷心より感謝するのである。ことに著名な欧米の名誉ある大学から参列者を送られたことを早稲田大学の名誉として深く感謝致すのである。私はここ

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明治文明史上に於ける福沢翁

大隈重信

塾長、閣下、諸君、今日は慶應義塾五十年の祭典にご案内を受けまして祝辞を述ぶることは私にとって最も光栄、且つ最も興味を感ずる次第である(拍手)。既にただいままで福沢〔諭吉〕先生に対する種々の御話は、先生の薫陶を受けられた尾崎君に依て、ほとんど遺憾なく説明されたのであります。私の言わんとすることも大部分は既に言い尽されたのであります。しかしながらまだ残っている事

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平和事業の将来

大隈重信

諸君、私はただいま報告された通り、この壮厳なる儀式の下に、会長に推薦せられたのであるが、私はこれに対して、何という言葉を以て御請けして宜いか、甚だ私は当惑した。全体、年内に江原〔素六〕先生、寺尾〔亨〕先生、その他の諸君が御出で下すって、今日の会のこと、同時にこの会に於て会長に推薦するから承諾しろ、ということのご相談に与って、その時に私は切りにご辞退をしたので

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東亜の平和を論ず

大隈重信

諸君、近来支那朝鮮という問題がよほど世間の注意を惹くことになった。ことに満韓という問題は政治家、学者は勿論、事業家の間などにも、よほど注意せらるることになったのは甚だ喜ぶべきことであります。我輩はほとんど十数年以来支那の問題を研究している。しかし今までは社会はあまりこれに耳を傾けなかった。然るに近来は全社会を通じて、この問題によほど重きを置くということになっ

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勢力の中心を議会に移すべし

大隈重信

およそ国家は如何なる時代にも、勢力の中心が必要である。この勢力の中心が適当の地位を保ち、最も適当な所にあれば、必ず国家は盛んになる。専制時代、封建時代を問わず、この勢力の中心にして必ず適当の地位を占め適当の処に在るならば、国家は健全に発達するに相違ない。これを失えば、なんらか国家に異状を呈し、すべての方面に害を及ぼす。ここに於てか、更に改革が起って再び勢力の

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外交の方針

大隈重信

諸君、今日私はこの神聖なる衆議院に向って口を開きますことは初めてであります。諸君と此処に御会い申して私の説を述べることは、甚だ私の光栄とするところであります。先日予算委員会に於て、色々外務省の費用について質問が起りまして、その時に外交の方針を聴きたいということでありましたが、この外交の方針というものは、直接に予算に関係しない、ただ間接に予算に関係するものであ

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〔憲政本党〕総理退任の辞

大隈重信

諸君、今日は憲政本党の大会に際しまして、諸君に向って私の意見を吐露することは最も喜ぶところであります。例年の大会に於ては誠に寂寥でありまして、少しく物足らぬような感じを起しました。然るに当年の大会に於て、諸君が党に対する熱心の度がよほど増したと存じますのであります。あるいは党則の改正、あるいは党勢の拡張、あるいは宣言に於ける種々の意見に付いて、盛んなる討論が

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学問の独立と東京専門学校の創立

大隈重信

諸君、今日は東京専門学校にとって最も喜ぶべき卒業式、且つ十五周年の祝典をも同時に挙行するというこの喜ぶべき式場に臨んで、卒業生諸君に向って一言陳ぶることを得るは私の大いに喜ぶところであります。しかしながら既に鳩山〔和夫〕校長の式辞とかあるいは近衛〔篤麿〕公爵の演説とかあって、諸君に向って大抵同じようなことを繰返された様でもあり、且つ随分暑い処に長く時を費やす

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憲政に於ける輿論の勢力

大隈重信

帝国議会は解散されました。今まさに旬日の後に選挙が行われて、今全国は選挙の競争が盛んに起っておる時でありますのであります。 この時にあたって、憲政に於ける輿論の勢力を論ずるのは、最も必要なりと信じますのであります。憲政そのものは頗る複雑の政治にして、人文の発達によって起った事は、諸君のご承知の事であります。人文の発達に伴えば、自ずから輿論が此所へ成立つのであ

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妻の座

壺井栄

広いアスファルトの道路をへだてて、戦災をのがれた向う方には大きな建物が並び、街路樹も青々と繁っている。もとは兵営だったその建物も今は占領軍の宿舎になっているとかで、ぬり替えられた白い壁にくっきりと窓々のブルーの被いが、晴れた夏空に、いかにも暑さを静めるかのように並んでいる。目のさめるような色どりだった。繁った街路樹の下かげに幾台ものジープなどのとまっているそ

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雑居家族

壺井栄

この家のあるじは――といっても、同じ部屋の下に住む六人のあるじのうち、この場合は女房の安江のことになるが、彼女は腹が立ったときと、うれしいときとに花を買うという妙なくせがある。 ぷいと家を出ていって、ゆきあたりばったり、いろんな花を買いこんでくるとき、それは腹を立てている証拠であった。金があってもなくても、ないときには花屋で借金してでも、とにかく花をかかえて

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二十四の瞳

壺井栄

十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。 百戸あまりの小さなその村は、入り江

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偽悪病患者

大下宇陀児

(妹より兄へ) ××日附、佐治さんを接近させてはいけないという御手紙、本日拝見致しました。 いつも通り、いろんなことに気を配って下さるお兄様だけれど、喬子、今度の御手紙だけはよく判んない。佐治さんは、喬子が接近したのでもないし、接近させたんでもないの。お兄様だって御承知の通り、お兄様や漆戸と同期生だったんですって。アメリカから帰られると、すぐ漆戸を訪ねていら

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大下宇陀児

小野村伯太郎には、まだ何一つ分ってはいなかった。前のママちゃんのことを覚えているには覚えていた。いつも優しい微笑を浮べていて、その癖に、どこか愁の籠った眼附をした前のママちゃんの顔が、今でもどうかすると、お居間の片隅だの天井だのからひょっと覗き込んでいるような気がするけれども、そのママちゃんが、ほんとうはどういう訳で急にいなくなってしまったのか、それからまた

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大下宇陀児

沖野鳳亭が何故竹中格之進を殺さねばならなかったか、その根本の理由に就いては、出来るだけ簡単に述べて置く。この譚の主な目的が、実は沖野鳳亭の選び出した奇妙な殺人方法及びそれがどんな結果になったかということ、その二つを説明するのにあるからなのだ。そして又一方では、殺人の動機そのものが余り珍らしいものでもなく、それを詳しく述べ立てていた日には読者諸君が或は退屈して

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金魚は死んでいた

大下宇陀児

「おやおや、惜しいことしちまつたな」 思わず口から出たひとりごとだつたが、それを聞きとがめた井口警部が、ふりむいて、 「なんだい。何が惜しいことしたんだね」 というと平松刑事が、さすがに顔を赤らめひどく困つた眼つきになつて、 「いえ……その……金魚ですよ。こいつは三匹ともかなり上等のランチュウです。死んでしまつているから、どうも惜しいことしたと思いまして」

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擬似新年

大下宇陀児

さて、新年の御慶を申そう。 明けましておめでとう。 貴家の万福を祈り、併せて本年もよろしく御交誼のほどを。 ああ、しかし、こう書いてみて、この御挨拶の空々しさは、なんとしたことであろうか。いま私は、駅の向うに火事があり、その火事を見に行つてきたところだ。かなりの大火で、はじめのうち、行こうかどうしようかと思案したあげく、火の見当からいうと、ある程度親しくして

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乱歩分析

大下宇陀児

畏友江戸川乱歩は、還暦のお祝いをしてもらうことを、たいそう喜び楽しんで待っている。そのお祝いに、彼は、 「ぼくも一つ力作を書く。君も書いてくれ。」 と直接私にいった。 めったに書かない彼が、本気に書く気になっていることは、私を少し驚かせもしたし、よし、それならば私も書かねばなるまいぞ、という気持にならせもした。たしか、木々高太郎が、探偵作家クラブ会長を引受け

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大和古寺風物誌

亀井勝一郎

推古天皇の御代、上宮太子が摂政として世を治めておられた飛鳥の頃は、私にとって最も懐しい歴史の思い出である。私ははじめ史書によってこの時代を学んだのではなかった。大和への旅、わけても法隆寺から夢殿、中宮寺界隈へかけての斑鳩の里の遍歴が、いつしか私の心に飛鳥びとへの思慕をよび起したのである。海岸を思わせる白砂と青松、そのあいだを明瞭に区ぎっている法隆寺の土塀、こ

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水の上

安西冬衛

中央公会堂の赤煉瓦 緑青色の高裁のドーム 中洲の葉柳をかすめて とび去る水中翼船の渦巻から ムツとするような水苔の匂い。 ついさつきまで ランチ・タイムを愉しんでいた BGやホワイト・カラー達も みんな今は引き揚げていつてしまい あとには 濡れ手で銭勘定の 貸ボート屋ののどかな浮世哲学。 上げ潮にむつかしい家裏をみせた川魚料理の 昼もほのぐらい煤天井に うら

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大大阪のれいめい

安西冬衛

光は東方からかわらぬ真理の曙に立つて今、大淀の流れに影を映すわれらの都大大阪。私は思う。この水に生きるわれらの姿こそかのハドソンの河口に立つ自由の女神の精神に協う永遠の平和の象徴であることを。そして又それは告げる。キユーバの島から砂糖をカンガルーの国から羊毛をともどもに齎し私たちを繁栄に導く博い愛の道に通うことを。やがてそれは私たちの内で燃えあがる一つの力と

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大阪の朝

安西冬衛

川に張り出した道頓堀の盛り場は、仇女の寝くたれ姿のように、たくましい家裏をまざまざと水鏡に照し出している。 太左衛門橋の袂。 舟料理の葭すだれは、まき上げられたままゆうべの歓楽の名残をとどめている。 宗右衛門町の脂粉の色を溶かしたのであろうか、水の上に臙脂を流す美しい朝焼けの空。 だが、宵っ張りの町々は目ぶた重く、まだ眼ざめてはいない。 「朝は宮、昼は料理屋

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ゴリオ爺さん

バルザックオノレ・ド

ヴォーケ夫人、ド・コンフラン家の生まれの老婦人で、四十年来パリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通[1]で賄い付きの下宿をしっかりと営んできた。そこはカルチェ・ラタンとフォーブール・サンマルソーの中間にあった。この下宿はメゾン・ヴォーケの名で知られ、老若男女を問わず等しく受け入れてきた。誹謗中傷がこの立派な施設の品性を傷つける様なことは一度もなかった。その一

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