髪の毛と花びら
岸田国士
「もつと早く読んでいゝよ」 机の上におつかぶさるやうな姿勢で、夫は点字機を叩いてゐた。 美津子は、コタツにあたりながら、文庫版のメリメの短篇「マテオ・ファルコオネ」を、区切り区切り、調子をつけて読みあげてゐる。 結婚このかた、美津子は、かうして、夫が打ちこんでゐる仕事を助けて来た。夫の念願は、世の失明者のために点字図書館を作ることであつた。中学を終へて、高等
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岸田国士
「もつと早く読んでいゝよ」 机の上におつかぶさるやうな姿勢で、夫は点字機を叩いてゐた。 美津子は、コタツにあたりながら、文庫版のメリメの短篇「マテオ・ファルコオネ」を、区切り区切り、調子をつけて読みあげてゐる。 結婚このかた、美津子は、かうして、夫が打ちこんでゐる仕事を助けて来た。夫の念願は、世の失明者のために点字図書館を作ることであつた。中学を終へて、高等
小酒井不木
それは寒い寒い一月十七日の朝のことです。四五日前に、近年にない大雪が降ってから、毎日曇り空が続き、今日もまた、ちらちら白いものが降っております。 塚原俊夫君と私とは、朝飯をすましてから、事務室兼実験室で、暖炉を囲んで色々の話をしておりました。と、十時頃、入口の扉を叩く音がしましたので、私が開けてみると、二十歳ばかりの美しいお嬢さんが、腫れあがった瞼をして心配
折口信夫
髯籠の話 折口信夫 一 十三四年前、友人等と葛城山の方への旅行した時、牛滝から犬鳴山へ尾根伝ひの路に迷うて、紀州西河原と言ふ山村に下りて了ひ、はからずも一夜の宿を取つたことがある。其翌朝早く其処を立つて、一里ばかり田中の道を下りに、粉河寺の裏門に辿り着き、御堂を拝し畢つて表門を出ると、まづ目に着いたものがある。其日はちようど、祭りのごえん(後宴か御縁か)と言
上村松園
髷 上村松園 ちいさい頃から、いろいろの髷を考案して近所の幼友達にそれを結ってあげ、ともにたのしんだのがこうじて、年がつもるにしたがって女の髷というものに興味を深くもつようになった。 ひとつは私の画題の十中の八、九までが美人画であったために、女と髷の不可分の関係にあった故でもあろう――髷については、画を描く苦心と平行して、それを調べていったものである。 私自
太宰治
鬱屈禍 太宰治 この新聞(帝大新聞)の編輯者は、私の小説が、いつも失敗作ばかりで伸び切っていないのを聡明にも見てとったのに違いない。そうして、この、いじけた、流行しない悪作家に同情を寄せ、「文学の敵、と言ったら大袈裟だが、最近の文学に就いて、それを毒すると思われるもの、まあ、そういったようなもの」を書いてみなさいと言って来たのである。 編輯者の同情に報いる為
織田作之助
鬼 織田作之助 一 はじめのうち私は辻十吉のような男がなぜそんなに貧乏しなければならぬのか、不思議でならなかった。 人は皆彼のことを大阪人だと言っている。大阪生れだという意味ではない。金銭にかけると抜目がなくちゃっかりしていると、軽蔑しているのである。辻という姓だから、あの男は十にをかけたような男だと、極言するひとさえいる位だ。 それはひどいと私はそんな噂を
豊島与志雄
むかし、関東地方を治めてゐた殿様がありまして、江戸に住んでゐられました。その殿様が、病気にかかられて、いろいろ手当をなさいましたが、病気はおもくなるばかりで、いつ亡くなられるかわからないありさまとなりました。 家来たちはたいそう心配しました。ことに、江戸から遠いところにゐる家来たちは、殿様のごやうすがよくわからないので、ひどく心をいためました。 秩父のおくに
海野十三
鬼仏洞事件 海野十三 見取図 鬼仏洞の秘密を探れ! 特務機関から命ぜられた大陸に於けるこの最後の仕事、一つに女流探偵の風間三千子の名誉がかけられていた。 鬼仏洞は、ここから、揚子江を七十キロほど遡った、江岸の○○にある奇妙な仏像陳列館であった。 これは某国の権益の中に含められているという話だが、今は土地の顔役である陳程という男が管理にあたっているそうだ。 わ
楠山正雄
鬼六 楠山正雄 一 ある村の真ん中に、大きな川が流れていました。その川は大へん流れが強くて速くて、昔から代々、村の人が何度橋をかけても、すぐ流されてしまいます。村の人たちも困りきって、都で名だかい大工の名人を呼んで来て、こんどこそけっして流れない、丈夫な橋をかけてもらうことにしました。 大工はせっかく見込まれて頼まれたので、うんといって引き受けてはみたものの
夏目漱石
百里に迷ふ旅心、 古りし伽藍に夜を明かす。 甍漏る音の雨さびて 憂きわれのみに世死したり。 風なく搖らぐ法幢の、 暗き方へと靡くとき、 佛も寒く御座すらん。 黄金と光る蛛の眼の、 闇を縫ふべき計、 銀糸に引く見れば 冥府の色より物凄し。 折しもあれや枕邊に、 物の寄り來る氣合して、 圓かならざる夢冴えつ、 夜半の燈に鬼氣青し、 吾を呼ぶなる心地して、 石を抱
北村透谷
悲しき事の、さても世には多きものかな、われは今読者と共に、しばらく空想と虚栄の幻影を離れて、まことにありし一悲劇を語るを聞かむ。 語るものはわがこの夏霎時の仮の宿とたのみし家の隣に住みし按摩男なり。ありし事がらは、そがまうへなる禅寺の墓地にして、頃は去歳の初秋とか言へり。 二本榎に朝夕の烟も細き一かまどあり、主人は八百屋にして、かつぎうりを以て営とす、そが妻
尾崎紅葉
むかし/\翁は山へ柴刈に、 媼は洗濯の河にて、拾 ひし桃實の裏より 生れ出でたる桃太郎、 猿雉子犬を引率して この鬼个島に攻來り、 累世の珍寳を分 捕なし、勝矜らせて 還せし事、この島末 代までの耻辱なり、 あはれ願はくは武勇 勝れたる鬼のあれかし 其力を藉てなりともこの 遺恨霽さばやと、時の王鬼 島中に觸を下し、誰にても あれ日本を征伐し、桃太郎奴が 若衆
牧野信一
鬼涙村 牧野信一 一 鵙の声が鋭くけたたましい。万豊の栗林からだが、まるで直ぐの窓上の空ででもあるかのようにちかぢかと澄んで耳を突く。きょうは晴れるかとつぶやきながら、私は窓をあけて見た。窓の下はまだ朝霧が立ちこめていたが、芋畑の向方側にあたる栗林の上にはもう水々しい光が射して、栗拾いに駈けてゆく子供たちの影があざやかだった。そして見る見るうちに光の翼は広い
牧野信一
鵙の声が鋭く気たゝましい。万豊の栗林からだが、まるで直ぐの窓上の空でゞもあるかのやうにちかぢかと澄んで耳を突く。けふは晴れるかとつぶやきながら、私は窓をあけて見た。窓の下は未だ朝霧が立ちこめてゐたが、芋畑の向方側にあたる栗林の上にはもう水々しい光が射して、栗拾に駈けてゆく子供たちの影があざやかだつた。そして、見る見るうちに光の翼は広い畑を越えて窓下に達しさう
田中貢太郎
鬼火を追う武士 田中貢太郎 鶴岡城下の話であるが、某深更に一人の武士が田圃路を通っていると、焔のない火玉がふうわりと眼の前を通った。焔のない火玉は鬼火だと云う事を聞いていた武士は、興味半分に其の後を跟けて往った。 火玉は人間の歩く位の速度でふうわりふうわりと飛んでいた。武士は其の時其の火玉を斬ってみたくなった。武士は足を早めて火玉に近づいて往った。と、火玉は
北村四海
鬼無菊 北村四海 信州の戸隠山麓なる鬼無村という僻村は、避暑地として中々佳い土地である、自分は数年前の夏のこと脚気の為め、保養がてらに、数週間、此地に逗留していた事があった。 或日の事、自分は昼飯を喫べて後、あまりの徒然に、慰み半分、今も盛りと庭に咲乱れている赤い夏菊を二三枝手折って来て、床の間の花瓶に活けてみた、やがてそれなりに自分はふらりと宿屋を出て、山
沖野岩三郎
にらめつくらの鬼瓦 沖野岩三郎 今雄さんは、五年級甲組の一番でした。 京一さんは、五年級乙組の一番でした。 今雄さんのお父さまは、ごん七さんといふ名で、東山の中ほどに、大きな家を建てて、瓦屋をしてゐました。 京一さんのお父さまは、ごん八さんといふ名で、西山の中ほどに、りつぱな家を建てて、瓦屋をしてゐました。 東山の瓦屋と、西山の瓦屋とは、いつも競争をして、お
宮本百合子
鬼畜の言葉 宮本百合子 メーデーからはじまって、五月は国民一般の祝日の多い月だった。憲法記念祭、子供の日、母の日。どれをとっても、それぞれに新しい日本に生きるよろこびとはげましと慰藉とを意味しないものはなかった。そしてそれらすべての心がめざすところは、世界の平和であった。四月末の、政府のきめた婦人週間にしろ、ことしは、はっきりと百数十万の日本の未亡人の問題が
北条民雄
あれからもう三年経つた。考へて見ると、今更のやうに月日の速さに驚かされる。しかしあれはなんといふ奇怪な事件だつたことだらう。あれがあつてからまだ日の経たない時は、どうしたのか私はそれがさほどに陰惨な事件だとも思はないでゐた。ところが日が経つにつれて、私の思出の中で次第に陰惨な、いはば一種の凄みを帯びて来るのだ。とりわけこの頃では、眠られない夜など――私は毎晩
折口信夫
鬼の話 折口信夫 一 おにと神と 「おに」と言ふ語にも、昔から諸説があつて、今は外来語だとするのが最勢力があるが、おには正確に「鬼」でなければならないと言ふ用語例はないのだから、わたしは外来語ではないと思うてゐる。さて、日本の古代の信仰の方面では、かみ(神)と、おに(鬼)と、たま(霊)と、ものとの四つが、代表的なものであつたから、此等に就て、総括的に述べたい
折口信夫
鬼を追い払う夜 折口信夫 「福は内、鬼は外」と言うことを知って居ますか。此は節分の夜、豆を撒いて唱える語なのです。此日、村や町々の家々へ、鬼が入り込もうとするものと信じて居ました。それに対して、豆を打ちつけて追うのだと言います。今年はそれがちょうど、二月四日に当るのです。これは家々ですることですが、又社や寺でも、特別に人を選んで、豆撒き役を勤めさせます。 又
下村千秋
頭は少々馬鹿でも、腕っぷしさえ強ければ人の頭に立っていばっていられるような昔の時代であった。常陸の八溝山という高い山の麓の村に勘太郎という男がいた。今年十八歳であったが、頭が非常によくって、寺子屋で教わる読み書きそろばんはいつも一番であった。何を考えても何をしても人よりずばぬけていた。しかしその時代にいちばん必要な腕っぷしの力がなかった。体は小さく腕や脚はひ
牧野信一
『ヒストリイ・オヴ・デビルズ』 『デビルズ・デイクシヨナリイ』 『クラシカル・マヂシアンズ・ボキアブラリイ・ブツク』 私は、その頃右の如き表題の辞書を繙きながら、 「クリステンダム物語」 「ドクトル・フアウスタスの巡遊記」 「ジークフリード遠征録」 「セント・ジヨージ快挙録」 その他の、これに類する種々の物語を耽読した。これらの辞書を翻すと、大概の物語や伝説
徳田秋声
チビの魂 徳田秋声 彼女も亦人並みに――或ひはそれ以上に本能的な母性愛をもつてゐた。間歇的ではあつたが、五年も六年も商売をしてゐたお蔭で、妊娠の可能率が少ないだけに、尚更ら何か奇蹟のやうに思へる人の妊娠が羨ましかつたり、子持の女が、子をもつた経験のないものには迚も想像できない幸福ものであるやうに思へたりしてならないのであつた。子供といへば豕の仔でも好きな彼女