Vol. 2May 2026

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14,981종 중 14,712종 표시

馬の顔

田中貢太郎

暗い中から驟雨のような初夏の雨が吹きあげるように降っていた。道夫は傾斜の急な径を日和下駄を穿いた足端でさぐりさぐりおりて往った。街燈一つないその路は曲りくねっているので、一歩あやまれば転がって尻端折にしている単衣を赭土だらけにするか、根笹や青薄に交って漆の木などの生えた藪畳の中へ落ちて茨に手足を傷つけられるかであった。そこは――学校の傍から――町へおりる捷径

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イワンの馬鹿

トルストイレオ

一 むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。百姓には兵隊のシモン、肥満のタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と、つんぼでおしのマルタという娘がありました。兵隊のシモンは王様の家来になって戦争に行きました。肥満のタラスは町へ出て商人になりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、家に残って背中がまがるほどせい出して働きました。兵隊のシモンは高い位と広い領地

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馬鹿七

沖野岩三郎

馬鹿七 沖野岩三郎 一 紀州の山奥に、狸山といふ高い山がありました。其所には、大きな樫だの、樟だのが生え繁つてゐる、昼でも薄暗い、気味の悪い森がありました。森の中には百穴といふのがありました。其の穴の中から、お腹の膨れた古狸が、夕方になると、百疋も二百疋も、ノソノソと這ひ出して来て、ポンポコ/\/\と腹鼓を打つて踊つたり跳ねたりするといふので、村の人達は皆な

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駄パンその他

古川緑波

武者小路先生の近著『花は満開』の中に、「孫達」という短篇がある。先生のお孫さんのことを書かれた、美しい、たのしい文章である。 その中に、四人のお孫さん達が、食べものの好き嫌いがあるということを書いて、 ……僕は勿体ないとか行儀が悪いとか言うので、たべたがらないものを無理に食べさすことにはあまり賛成ではなく、偏食はよくないと思うが、食慾が起らないものを無理に食

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駄馬と百姓

小川未明

甲の百姓は、一ぴきの馬を持っていました。この馬は脊が低く、足が太くて、まことに見たところは醜い馬でありましたが、よく主人のいうことを聞いて、その手助けもやりますし、どんな重い荷物をつけた車でも引き、また、あるときは脊の上に荷物を積んで歩いたのであります。 他の馬は、よく主人の意にさからったということを聞きますけれど、この馬にかぎって、けっして、そんなことはな

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I駅の一夜

中谷宇吉郎

まだ戦争中の話である。 三月十日の未明、本所深川を焼いたあの帝都空襲の余波を受けて、盛岡の一部にも火災が起きた。丁度その時刻には、私は何も知らずに、連絡船の中でぐっすり寝ていた。 青森に着いても何事も知らされず、いつものように乗客は先を争って汽車に乗ろうとし、それを制止する駅員の声がとぎれとぎれに雑沓の中に響く、普段通りの連絡駅風景であった。雪が少しばかり降

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駅夫日記

白柳秀湖

駅夫日記 白柳秀湖 一 私は十八歳、他人は一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂れてじっと考えながら、多摩川砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢に見る影もなく穢れたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈をかけに行ってその戻りである。 目黒の停車場は、行人坂に近い夕

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駆ける朝

牧野信一

「苦労」は後から後から、いくらでもおし寄せてくる。どんな風に撥ねかへし、どんな風に享けいれるか? に、思案がいるが、思案の浮んだためしがない。 ――早朝に起きる。机に、十八型程の大きさの磁石が載つてゐる。文鎮の代りである。此間まで懐中時計を重しに使つてゐたが、悲しい時には、僕にはあのセコンド針の小刻みの音がとても息苦しくなるのだ――そんなことをはなしたら理学

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駆逐されんとする文人

内田魯庵

▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。余の住居は往来から十間奥へ引込んでいたゆえ、静かで塵埃の少ないのを喜んでいた。処が二三年前市区改正になって、表通りを三間半削られたので往来が近くなった。道路が広くなって交通が便利になったお庇に人通りが殖えた。自働車が盛んに通るようになった。自然商店が段々殖えて来

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駈落

佐左木俊郎

駈落 佐左木俊郎 一 朝日は既に東の山を離れ、胡粉の色に木立を掃いた靄も、次第に淡く、小川の上を掠めたものなどは、もう疾くに消えかけていた。 菊枝は、廐に投げ込む雑草を、いつもの倍も背負って帰って来た。重かった。荷縄は、肩に焼け爛れるような痛さで喰い込んだ。腰はひりひりと痛かった。脛は鍼でも刺されるようであったし、こむらは筋金でもはいっているようだった。顔は

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駈込み訴え

太宰治

駈込み訴え 太宰治 申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。 はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさい

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駒のいななき

橋本進吉

「兵馬の権」とか「弓馬の家」とかいう語もあるほど、遠い昔から軍事の要具とせられている勇ましい馬の鳴声は、「お馬ヒンヒン」という通り詞にあるとおり、昔からヒンヒンときまっていたように思われるが、ずっと古い時代に溯ると案外そうでなかったらしい。『万葉集』巻十二に「いぶせくも」という語を「馬声蜂音石花蜘」と書いてあって、「馬声」をイに宛て、「蜂音」をブに宛てたのを

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駒台の発案者

関根金次郎

駒台の発案者 関根金次郎 京橋の新富町に、小松将棋所といふのがあつた。こゝの主人は小松三香と云ひ、将棋は四段であつたが、ある日、わたしがたづねて行くと、 「ちやうどいゝところへきた。――品川に川島楼といふ貸座敷があるが、その飯塚といふ主人が将棋が好きで、そこへ行くと飲ましてくれるし、また褒美にありつけるかも知れぬ。もし、暇だつたら行つてみたらよからう。」と、

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駒鳥の胸

牧野信一

「黄金の羽虫、どこから来たの。蜜飲の虫、あらあら、いけないわ。そんなに私の傍へ寄つてはいやよ、日向の雛鳥、あつちへお行きよ。」 レオナさんは緑石の様に輝いた美しい瞳をうつとりとかすめて独言のやうに呟きました。 「まあ、随分酷いわレオナさん。私のことを羽虫だつて、そばへ寄つてはいけない、あつちへお行き、ですつて。いゝわいゝわ、どうせ私が傍に居てはお嫌なんでせう

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ぼろぼろな駝鳥

高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。 動物園の四坪半のぬかるみの中では、 脚が大股過ぎるぢゃないか。 頚があんまり長過ぎるぢゃないか。 雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。 腹がへるから堅パンも喰ふだらうが、 駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢゃないか。 身も世もない様に燃えてゐるぢゃないか。 瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢゃないか。

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騎士と姫

末吉安持

春の弥生の夜は仄に 天地ひくゝ垂れあひて、 情のにほひいちめんに おぼろおぼろの花ぐもり、 精舎の壁の地獄絵も 温き霞を纏ふらむ。 森の木立の月かげを 避けて、まぶかき黒鉄の 甲に、なほも色白の 面凛々しく、瑠璃青の 瞳きよげに、花ぐさを わけつゝしのぶ騎士ひとり。 『たそがれがたの戦闘に 十騎の敵を殺したれ、 胸にさしたる紅薔薇 二輪色濃くちりもせず、 西

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騎士屋

土田耕平

私どもが小学四年生のときの受持は、牛島先生でありました。牛島先生は、色が黒くて目がギロリとして、いかにも怖さうな顔つきでしたが、笑ふと、まるで別の人のやうにやさしい顔になりました。 先生は、その年の春中学を卒業したばかりで、まだ大さう若い人でした。やがて南米へ行くのだと云つて、英語の勉強をしてをられました。休み時間には一人教室へ残つて、厚い辞書と首引をしてゐ

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驚いた話

牧野信一

去年の冬であつた。私は非常に憂鬱であつた。身も世もなく憂鬱であつた。真夜中に至るに伴れて私のそれは私の魂をも奪つた。私は、何うする事も出来なくなつて、床の間に人型を作つて飾つてある鎧を身につけ、面当を被り、冑も執つて、真夜中の床の間に幾時間も凝つと模型になつてゐることがあつた。そして吾身の、此世に在ることを、せめても忘れたかつた。―― その夜も私は灯火を消し

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驢馬の びっこ

新美南吉

驢馬の びつこ 新美南吉 張が かはいゝ 驢馬を 一匹 買ひました。ところが 歩かせて 見ると その 驢馬は びつこを ひくのです。 「なぜ びつこを ひくのだらう。」と 考へて 見ましたが わかりません。ちようど とほりかゝつた 物しりを よびとめて たづねて 見ると、物しりは、驢馬の 體を よく しらべてから いひました。 「耳と 耳の 間に 錢ほどの 

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骨仏

久生十蘭

骨仏 久生十蘭 床ずれがひどくなって寝がえりもできない。梶井はあおのけに寝たまま、半蔀の上の山深い五寸ばかりの空の色を横眼で眺めていると、伊良がいつものように、「きょうはどうです」と見舞いにきた。 疎開先で看とるものもなく死にかけているのをあわれに思うかして、このごろは午後か夜か、かならず一度はやってくる。いきなり蒲団の裾をまくって足の浮腫をしらべ、首をかし

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骨を削りつつ歩む ――文壇苦行記――

佐左木俊郎

惑いし途 私が作家として立とうと決心したのは、廿一の秋で、今から五年前の事である。そうと意志のきまるまでは、随分種々と他動的に迷わされていたが、私を決心に導いてくれたものは私の病気だった。 私は廿一の歳に二度病気をした。第一回目は関節炎で、神田の馬島病院に二週間入院して、弁護士の今村力三郎先生から――私はその頃、今村先生のお宅に書生をしていたのだが――入院料

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骨のうたう(原型)

竹内浩三

戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ とおい他国で ひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや ふるさとの風や こいびとの眼や ひょんと消ゆるや 国のため 大君のため 死んでしまうや その心や 苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや こらえきれないさびしさや なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ 白い箱にて 故国をながめる 音もなく なにも

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骨董

幸田露伴

骨董 幸田露伴 骨董というのは元来支那の田舎言葉で、字はただその音を表わしているのみであるから、骨の字にも董の字にもかかわった義があるのではない。そこで、汨董と書かれることもあり、また古董と書かれることもある。字を仮りて音を伝えたまでであることは明らかだ。さてしかし骨董という音がどうして古物の義になるかというと、骨董は古銅の音転である、という説がある。その説

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