谷崎潤一郎
谷崎潤一郎 · 日本語
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谷崎潤一郎 · 日本語
冒頭段落プレビュー
原文 (日本語)
○ 東京座の一と幕見が非常な大入で、場内へギツシリ詰まつた黒山のやうな見物人の波をウムと力んで背中で堰き止めながら、前列に居る私は、一生懸命鉄棒に掴まつて居た。鉄棒はざらざらに錆びて居て、人いきれの為めに熱く火照つた私の頬へ、ひいやりと触れて居るのが、大変好い心持ちである。さう思ひながら、私はぢツと顔を舞台の方へ向けて居る。あまり後ろから押し付けられる息苦しさに、時々背伸びをしようとしたり、肩を揺す振らうとして見るが、立錐の余地もない雑沓で、殆んど身動きが出来ぬ。まるで枷を篏められたやうである。 「………さうだ、己は人肉の枷を篏められて居るのだ。」 と、私は考へた。右や左の人の体が、びツたりと私にくツ着いて居る。折々は先方の手が、懐へ入つて来たり、脚が両膝の間へ割り込んだりする程、くツついて居る。何処迄が自分の体で、何処までが他人の体だか、判らない位である。さうして、お互に芝居の方へ気を取られて居ながら、精神のお留守になつた肉体同士が、狭い暗い羽目板の蔭で、僅かの隙を求めては少しでも前へ出ようと藻掻き合ひ、縺れ合ひつゝ、犬のぢやれるやうに盲動して居た。 窮屈ではあるが、仕方がないから、
谷崎潤一郎
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