不軽菩薩
宮沢賢治
あらめの衣身にまとひ 城より城をへめぐりつ 上慢四衆の人ごとに 菩薩は礼をなしたまふ (われは不軽ぞかれは慢 こは無明なりしかもあれ いましも展く法性と 菩薩は礼をなし給ふ) われ汝等を尊敬す 敢て軽賤なさざるは 汝等作仏せん故と 菩薩は礼をなし給ふ (こゝにわれなくかれもなし たゞ一乗の法界ぞ 法界をこそ拝すれと 菩薩は礼をなし給ふ) ●図書カード
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宮沢賢治
あらめの衣身にまとひ 城より城をへめぐりつ 上慢四衆の人ごとに 菩薩は礼をなしたまふ (われは不軽ぞかれは慢 こは無明なりしかもあれ いましも展く法性と 菩薩は礼をなし給ふ) われ汝等を尊敬す 敢て軽賤なさざるは 汝等作仏せん故と 菩薩は礼をなし給ふ (こゝにわれなくかれもなし たゞ一乗の法界ぞ 法界をこそ拝すれと 菩薩は礼をなし給ふ) ●図書カード
竹久夢二
たどんの與太さん 竹久夢二 「なんだってお寺の坊さんは、ぼくに與太郎なんて名前をつけてくれたんだろう」 と、與太郎は考えました。 「飴のなかから與太さんが出たよ」街の飴屋の爺さんが、そう節をつけて歌いながら大きなナイフで飴の棒を切ると、なかから、いくらでも與太郎の顔が出てくるのでありました。これには與太郎も困りました。 「よんべ、よこちょの、よたろうは」 そ
加能作次郎
私が伯父を頼つて、能登の片田舎から独り瓢然と京都へ行つたのは、今から二十年前、私の十三の時であつた。 私の父は京都生れの者で、京都には二人の兄と一人の姉とが居た。長兄は本家の後を嗣いで万年寺通に仏壇屋をやつて居たし、次兄は四条橋畔に宿屋と薬屋とをやつて居り、姉は六条の本願寺前に宿屋を営んで居た。そして私の姉は、その三年前、十三の年に京都へ行つて、六条の伯母の
小川未明
たいそう外科的手術を怖ろしがっている、若い婦人がありました。 もし、すこしぐらいの痛さを我慢をして、手術を受けるなら、十分健康を取り返すことができるのを、どうしても、その婦人は、手術を受けることを欲しなかったのです。 季候の変わりめになると、婦人は、青い顔色をしていました。 「あなたほどの若さで、そんな青い顔色をなさっていてはいけません。早く手術をお受けにな
小川未明
毎日雨が降りつづくと、いつになったら、晴れるだろうと、もどかしく思うことがあります。そして、もうけっして、この雨はやまずに、いつまでもいつまでも降るにちがいないと、一人できめて、曇った空を見ながら、腹立たしく感じ、あの空へ向かって、大砲でも打ってみたらと空想することがあります。 「どうした天気だろうな。」と、人の顔を見さえすればうったえるのでした。 ところが
小川未明
正吉の記憶に、残っていることがあります。それは、小学校を卒業する、すこし前のことでした。ある日、日ごろから仲のいい三人は、つれあって、受け持ちの田川先生をお訪ねしたのであります。先生は、まだ独身でいられました。アパートの狭いへやに住んでいられて、三人がいくと喜んで、お茶を入れたり、お菓子を出したりして、もてなしてくださいました。 「君たちの卒業も、だんだん近
宮本百合子
私たちの日々の生活というものは、極めて現実なものであって、どんなひとでも、その人々の生きている時代とその人の生活の属している社会環境とから離れて生活を持つということはない。どんなに目立たない朝夕をつつましく送っているひとの一生をとってみても、その人の存在は先ず地球の上に現われている一個の人間であるということからはじまって永い人類進化の歴史につながっている。更
知里真志保
アイヌ語の地名を調べていると、海岸、または河岸の洞窟に、あの世へ行く道の入口だというものが意外に多い。それらの洞窟は、だいたい次のような名で呼ばれている。 (一)アふンパ Ahn-par(入る・口)。アふンパロ Ahn-paro(入る・その口)。――胆振地方で。(二)アふンルパ Ahn-ru-par(入る・道・口)。アふンルパロ Ahn-ru-paro(入る
坂口安吾
私は少年期にはスポーツに熱中していたので、小説なぞには興味がなく、立川文庫のほかにはスポーツ関係の読書が主であった。野球界という雑誌は当時からあったし、ファンという野球雑誌、それに陸上競技の雑誌もあった。しかし技術面の指針となるような記事が少いので、私が外国の本をはじめて買ったのもスポーツ関係のものであった。豊山中学の同級生にボクシングに凝ったのがいて、この
岸田国士
世帯休業 岸田國士 人物 夫 渋谷八十一 妻 詩人 鳥羽 妻の母 君い女 かも子 夫の友人 茶木 八百や 第一場 舞台は、すべて戸締りをした家の内部。正面やゝ高きところに鉄格子をはめたスリ硝子の小窓。外の光がその小窓から射し込んで、茶の間の一部をかすかに浮き出させてゐる。 表で戸をたゝく音。 声 留守ですか、僕です。おい、僕ですよ、奥さん、鳥羽ですつたら…
小川未明
ここにかわいらしい、赤ちゃんがありました。赤ちゃんは、泣きさえすれば、いつも、おっぱいがもらわれるものだと思っていました。まことに、そのはずであります。いつも赤ちゃんが泣きさえすれば、やさしいお母さんはそばについていて、柔らかな、白いあたたかな乳房を赤ちゃんの唇へもっていったからであります。 それから、まただいぶ日がたちました。 赤ちゃんは、もとよりまだもの
宮本百合子
ヴォルフの世界 宮本百合子 この間さがさなければならない本があって銀座の紀伊国屋へよったらば、欲しいものはなかったかわり、思いがけずパウル・ヴォルフの傑作写真集が飾窓に出ているのに気がついた。もうかえろうとして飾窓をふりかえったら、そこにある。見たくなって、もう一遍混雑をきわめた店内へ戻って、奥の方で開けて眺めているうち、大決心をして到頭買って来た。 ヴォル
宮本百合子
日本原理の上に樹つ新日本諸学を建設し、全国民に日本文化の神髄を深く自覚せしめるための日本文化中央連盟が、松本学氏などを中心として実業家、役人、学校経営者などによって結成された。百万円をかけて、日本文化大観を編纂するのもよいであろう。しかしこの事業内容が発表された時、先日来、山川菊栄女史によって発表されていた現代日本の女学生気質についての批判をおのずから思いお
岸田国士
日本語の研究をしてゐるポリテクニツクの学生を紹介された。採鉱や金の専攻らしい。青年の家庭には、父君が外国貿易商であるせゐか、いろ/\珍しい人物が出入してゐた。 お茶の会をするといふので、僕は出かけて行つた。ほんたうをいふと、僕はあまりかういふ場所を好まない。殊にパリへ流れ込んで来てゐる外国人が、容易に出入できるやうな家は、たゞ雑然たるエキゾチズムの刺激がある
槙村浩
今より凡そ八年前大正三年の六月も将にくれんとする時、突如天の一方より来った飛電は全欧否全世界の人民を驚倒せしめ、わづか九日の間で英仏独墺露の五強国は戈をふるって立った。我大日本帝国も独国が東洋根拠地と頼んだチンタオを攻落し、英海軍と協力し南洋の敵を討ち遠く地中海にまで出動して聯合軍を助けた。かくて此の戦は伊、米の二強国も加はり華麗なる都は炎の苞にかはり修羅の
宮本百合子
世界の寡婦 宮本百合子 八月十五日に戦争が終って、はじめて日本じゅうの家々に明るく電燈がついた。久しぶりにうす暗いかさをとりはずし、隅々までくっきりと照らしだされた炉ばたに坐って一家のものがあらためて互の顔を眺めあった刹那、湧きあがった思いと新たな涙こそ忘れがたいと思う。冴え冴えとした夜の明りは、何ヵ月も薄くらがりにかくしていた家の様子をはっきりと目に見させ
宮本百合子
世界は平和を欲す 宮本百合子 日本の新聞はアメリカの良心的な市民が読んだら怒るだろうほどおく面ない調子で、アメリカに原子爆弾よりも殺リク力を持った、放射線の雲を作ることが発明されたと報じています。建物を破壊しないで人間はセン滅するから原子爆弾よりも有効であるなどと人間ならば言いかねる言葉を日本の新聞は書いております。しかしまた同じ日本の新聞はほんの小さく世界
牧逸馬
一、僕の「世界怪奇実話全集」である。読物として、文句なしに面白いものでありたい。これが僕の念願だ。一、世界怪奇実話――怪奇は、謂わば荒唐だ。同時に実話は、文字通り厳正に事実だ。荒唐さと事実と、その表面背馳する二つの概念が混然一致するところに「世界怪奇全集」のイットが潜む。一、僕は過般欧米を漫遊中、この実話に「事実は小説よりも奇」なる興味と、血の通っている把握
岡本綺堂
序 外国にも怪談は非常に多い。古今の作家、大抵は怪談を書いている。そのうちから最も優れたるものを選ぶというのはすこぶる困難な仕事であるので、ここでは世すでに定評ある名家の作品のみを紹介することにした。したがって、その多数がクラシックに傾いたのはまことに已む得ない結果であると思ってもらいたい。 怪談と言っても、いわゆる幽霊物語ばかりでは単調に陥る嫌いがあるので
プーシキンアレクサンドル・セルゲーヴィチ
一 近衛騎兵のナルモヴの部屋で骨牌の会があった。長い冬の夜はいつか過ぎて、一同が夜食の食卓に着いた時はもう朝の五時であった。勝負に勝った組はうまそうに食べ、負けた連中は気がなさそうに喰い荒らされた皿を見つめていた。しかし、シャンパン酒が出ると、とにかくだんだんに活気づいて来て、勝った者も負けた者もみんなしゃべり出した。 「で、君はどうだったのだい、スーリン」
ビアスアンブローズ
一 粗木のテーブルの片隅に置かれてあるあぶら蝋燭の光りを頼りに、一人の男が書物に何か書いてあるのを読んでいた。それはひどく摺り切れた古い計算帳で、その男は燈火によく照らして視るために、時どきにそのページを蝋燭の側へ近寄せるので、火をさえぎる書物の影が部屋の半分をおぼろにして、そこにいる幾人かの顔や形を暗くした。書物を読んでいる男のほかに、そこには八人の男がい
ゴーチェテオフィル
一 わたしがかつて恋をしたことがあるかとお訊ねになるのですか。あります。わたしの話はよほど変わっていて、しかも怖ろしい話です。わたしは六十六歳になりますが、いまだにその記憶の灰をかき乱したくないのです。 わたしはごく若い少年の頃から、僧侶の務めを自分の天職のように思っていましたので、すべて私の勉強はその方面のことに向けていました。二十四のころまでのわたしの生
ディケンズチャールズ
「おぅい、下にいる人!」 わたしがこう呼んだ声を聞いたとき、信号手は短い棒に巻いた旗を持ったままで、あたかも信号所の小屋の前に立っていた。この土地の勝手を知っていれば、この声のきこえた方角を聞き誤まりそうにも思えないのであるが、彼は自分の頭のすぐ上の嶮しい断崖の上に立っている私を見あげもせずに、あたりを見まわして更に線路の上を見おろしていた。 その振り向いた
デフォーダニエル
この物語は事実であるとともに、理性に富んだ人たちにも、なるほどと思われるような出来事が伴っている。この物語はケント州のメイドストーン治安判事を勤めている非常に聡明な一紳士から、ここに書かれてある通りに、ロンドンにいる彼の一友人のところへ知らせてよこしたもので、しかもカンタベリーで、この物語に現われて来るバーグレーヴ夫人の二、三軒さきに住んでいる上記の判事の親