幸福に暮らした二人
小川未明
南洋のあまり世界の人たちには知られていない島に住んでいる二人の土人が、難船から救われて、ある港に着いたときでありました。 砂の上に、二人の土人がうずくまってあたりの景色に見とれていました。その港はかなり開けたにぎやかな港でありましたから、華やかなふうをしたいろいろな人が歩いていました。またりっぱな建物も見られました。そして、あちらには、煙突から黒い煙が上がっ
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小川未明
南洋のあまり世界の人たちには知られていない島に住んでいる二人の土人が、難船から救われて、ある港に着いたときでありました。 砂の上に、二人の土人がうずくまってあたりの景色に見とれていました。その港はかなり開けたにぎやかな港でありましたから、華やかなふうをしたいろいろな人が歩いていました。またりっぱな建物も見られました。そして、あちらには、煙突から黒い煙が上がっ
素木しづ
幸福への道 素木しづ 『上れますか。』 高い、こまかい階段の前に、戀人の聲が、彼女の弱い歡樂の淡絹エルをふりおとした。 彼女は、立止まつた、その瞬間、いま賑かな街を俥で飛んで來た、わづか十五分間の、眩惑されるやうな日のなかの、うれしさの心まどひが、彼女の心の底に常にひそんでゐる孤獨と悲哀の恐ろしさに、つゝまれてしまつた。『私の幸福を、私の弱さがさまたげやしな
小川未明
寒い、北の方の小さな町に、独り者の男が住んでいました。べつに不自由はしていなかったが、口癖のようにつまらないといっていました。 「もっと、おもしろく、暮らされないものかな。」と、知った人にあうごとに、たびたびもらしていました。 また、同じ町に、かわったおじいさんが、住んでいたのです。このおじいさんは、昔の古い本を見ていました。なんでも、当世のことよりか、昔の
宮本百合子
幸運の手紙というものは、私自身としては送られたことがない。もし送られたら、多分そのまますててしまうだろうと思うけれども、立ちどころに厄災来る、というようなことが書かれていたら、やっぱりいい心持はしないであろう。あら、いやね、こんなものが来た、というだろうと思う。 幸運の手紙というのは、絶えず地球をまわっていて、時々日本へもめぐって来るというものなのだろうか。
海野十三
幸運の黒子 海野十三 「どうして、おれはこう不運なんだろう」 病院の門を出ると、怺えこらえた鬱憤をアスファルトの路面に叩きつけた月田半平だった。 院長は、なーに大丈夫ですよ、こんな病気なら注射の五十本もやれば造作なく治りますよ。ただし五十本が一本欠けても駄目ですよ、それをお忘れのないように――と言った。一回三円として、百五十円の金がいるわけだ。ああ、これがた
豊島与志雄
祖母はいつも綺麗でした。痩せた細そりした身体付で、色が白く、皮膚が滑かでした。殊に髪の毛が美事でした。多くも少くもないその毛は、しなやかに波うって、ぼーっと薄暮の色を呈していました。際立った白髪の交らない、全体の黒みがいちどに褪せたそういう髪を、私は他に見たことがありません。 祖母は病身のようでしたが、別に寝つくこともありませんでした。仕事という仕事をしたこ
夏目漱石
幻影の盾 夏目漱石 一心不乱と云う事を、目に見えぬ怪力をかり、縹緲たる背景の前に写し出そうと考えて、この趣向を得た。これを日本の物語に書き下さなかったのはこの趣向とわが国の風俗が調和すまいと思うたからである。浅学にて古代騎士の状況に通ぜず、従って叙事妥当を欠き、描景真相を失する所が多かろう、読者の誨を待つ。 遠き世の物語である。バロンと名乗るものの城を構え濠
豊島与志雄
幻の彼方 豊島与志雄 一 岡部順造は、喧嘩の余波で初めて秋子の姙娠を知った。 いつもの通り、何でもないことだったが、冗談半分に云い争ってるうちに、やたらに小憎らしくなってきて、拳固と肱とで秋子をこづき廻した揚句、ぷいと表へ飛び出してみたけれど、初夏の爽かな宵の空気に頭が落着くと、先刻からのことが馬鹿々々しくなり、秋子が可愛くなって、また家に帰ってきた。顔を膨
宮沢賢治
濁みし声下より叫ぶ 炉はいまし何度にありや 八百といらへをすれば 声なくて炭を掻く音 声ありて更に叫べり づくはいまし何度にありや 八百といらへをすれば またもちえと舌打つひゞき 灼熱のるつぼをつゝみ むらさきの暗き火は燃え そがなかに水うち汲める 母の像恍とうかべり 声ありて下より叫ぶ 針はいま何度にありや 八百といらへて云へば たちまちに階を来る音 八百
豊島与志雄
どぶろく幻想 豊島与志雄 四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。糸をこんぐらかしたようだ。あちこちに、鉄の柱の上高く、または地面低く、赤や青の灯がともり、線路のレールを無気味に照らしている。ぱっと明るくなり、轟々と響く。それが右往左往する。電車や汽車が通るのだ。長く連結した、窓々の明るい、汽車、電車。姿も黒く、窓々も
寺田寅彦
何もない空虚の闇の中に、急に小さな焔が燃え上がる。墓原の草の葉末を照らす燐火のように、深い噴火口の底にひらめく硫火の舌のように、ゆらゆらと燃え上がる。 焔の光に照らされて、大きな暖炉の煤けた空洞が現われる。焔は空洞の腹を嘗めて頂上の暗い穴に吸い込まれる。穴の奥でひとしきりゴオと風の音がすると、焔は急に大きくなって下の石炭が活きて輝き始める。 炉の前に、大きな
マンパウル・トーマス
僕は白状する。あの妙な男の話したことは、僕をまるっきり混乱させてしまったのである。だからあの晩僕自身が感動した通り、他人に感動してもらえるように、あの男の話を繰り返すことは、僕には今もってできそうもない気がする。どうもあの話の効果というのは、まったく一面識もない男が、呆れるほど率直に僕に語ってくれた、その率直さのみにかかっているらしい。―― あの見知らぬ男が
中谷宇吉郎
日本のある大學の若い教授P君が、アメリカの某所へ、研究員として暫く來ていた。そこの主任教授は、そう世界的な大學者というほどでもなかったが、何分こっちは餘所者なので、神妙に控えて、勉強していたそうである。 しかし、何分、P君は既に、日本では大學教授として、たくさんの助手たちをもっていたのに、アメリカに來ると、何から何まで自分でしなければならない。それに言葉も不
田中貢太郎
幻術 田中貢太郎 寛文十年と云えば切支丹で世間が騒いでいる時である。その年の夏、某城下へ二人の怪しい男が来て、不思議な術を行って見せたので、藩では早速それを捕え、死刑にすることにして刑場へ引出したが、切支丹ではどんな魔法があって逃げだすかも判らないと云うので、警護の士が厳しく前後を取り囲んでいた。また刑場の四方には竹矢来を結って、すこしの隙もないようにしてあ
宮沢賢治
チュウリップの幻術 宮沢賢治 この農園のすもものかきねはいっぱいに青じろい花をつけています。 雲は光って立派な玉髄の置物です。四方の空を繞ります。 すもものかきねのはずれから一人の洋傘直しが荷物をしょって、この月光をちりばめた緑の障壁に沿ってやって来ます。 てくてくあるいてくるその黒い細い脚はたしかに鹿に肖ています。そして日が照っているために荷物の上にかざさ
野村胡堂
駿河太郎は、首尾よく千代田城本丸の石垣のかげに身をひそめました。時は寛永十六年(西暦一六三九年)三月、いまから三百十二年まえの、夢みるようにかすんだうつくしい春のま夜中です。 西丸のうしろから、紅葉山の一角をめぐって、ここまでつづいた長い道灌堀、その水草のなかを半分はもぐって、本丸にたどりついた駿河太郎は、当代の将軍、徳川家光を討って取ろうという、おそろしい
豊島与志雄
幻覚記 豊島与志雄 一 筑後川右岸の、平坦な沃野である。消く水を湛えた川べりに、高い堤防があって、真直に続いている。堤防の両側には、葦や篠笹が茂っていて、堤防上の道路にまで蔽いかぶさり、昼間も薄暗く、夜は不気味である。 その堤防の上を、まだ夜明け前の頃、私は母と二人で歩いていた。私は七八歳だったが、別に恐さも不気味さも感ぜず、自分の村から半里余りも来たろうと
幸田露伴
こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出られないでいますが、その代り小庭の朝露、縁側の夕風ぐらいに満足して、無難に平和な日を過して行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落着い
上村松園
父 私が生まれたのは明治八年四月二十三日ですが、そのときには、もう父はこの世にいられなかった。 私は母の胎内にあって、父を見送っていたのであります。 「写真を撮ると寿命がない」 と言われていた時代であったので、父の面影を伝えるものは何ひとつとてない。しかし私は父にとても似ていたそうで、母はよく父のことを語るとき、 「あんたとそっくりの顔やった」 と言われたも
萩原朔太郎
いもうとよ、 そのいぢらしき顏をあげ。 みよ兄は手に水桃をささげもち、 いつさんにきみがかたへにしたひよる、 この東京の日くれどき、 兄の戀魚は青らみてゆきて、 日毎にいたみしたたり、 いまいきもたえだえ、 あい子よ、 ふたり哀しき日のしたに、 ひとしれず草木の種を研ぐとても、 さびしきはげに我等の素脚ならずや。 ああいとけなきおんみよ。 ―一九一四、五、三
今野大力
チビコは今年三つになりました、 チビコのお父さんは肺病でねています、 チビコのお母さんは又稼ぎに行くと言っています、 稼がなければ喰べられないから チビコはある晩ばあちゃんに抱かれてねながら 「メメが痛いメメが痛い」とパッチリ目あけたまま 泣いて泣いて眠りませんでした、 そして翌日、ゲッゲッと食べ物を吐き出しました、 メメは目ではなく腹のようでした、 「チビ
正宗白鳥
今から二十年あまりも前の事である。ロンドンからエデインボロウに向ひ、グラスゴーだのリバプールだのを経て、ロンドンへ帰るまでに、沙翁の故郷であつたストラツトフオード・オン・エボンへ立ち寄ることにした。途中の田舎町で、汽車の乗り換へを間違へたりして、まごまごしてゐた。それで、田舎の停車場にゐた学校帰りらしい数人の女学生に、ストラツトフオードへ行くには、どの汽車に
金鍾漢
ひるさがり とある大門のそとで ひとりの坊やが グライダアを飛ばしてゐた それが 五月の八日であり この半島に 徴兵のきまつた日であることを 知らないらしかつた ひたすら エルロンの糸をまいてゐた やがて 十ねんが流れるだらう すると かれは戦闘機に乗組むにちがひない 空のきざはしを 坊やは ゆんべの夢のなかで 昇つていつた 絵本で見たよりも美しかつたので
堀辰雄
私は自分の幼年時代の思い出の中から、これまで何度も何度もそれを思い出したおかげで、いつか自分の現在の気もちと綯い交ぜになってしまっているようなものばかりを主として、書いてゆくつもりだ。そして私はそれらの幼年時代のすべてを、単なるなつかしい思い出としては取り扱うまい。まあ言ってみれば、私はそこに自分の人生の本質のようなものを見出したい。 私は四つか五つの時分ま