Vol. 2May 2026

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坂本竜馬手帳摘要

坂本竜馬

壬丑歳    慶応元年 四月廿五日、坂ヲ発ス。 五月朔、麑府ニ至ル。 五月十六日、鹿府ヲ発ス。時午ヲ過グ、鹿児ヨリ四里、伊集院四里。 市来港止宿四リ、川内宿二リ。 十七日 川内川あり、海辺迄三里計ト云。然ニ海船ヲ入ル、水深シ、大川泊二リ。 阿久根宿二リ。 十八日 野田二リ半。 此辺野田島町皆地巻士也、泉米津までの間平原然ニ水少シ物多シ、ハゼノ木多シ。 泉米津

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坂本竜馬手記 イロハ丸航海日記

坂本竜馬

四月廿三日夜危難之後明光丸ニ移り鞆の港ニ上陸ス。時に廿四日朝五ツ時頃也。市太郎、英四郎に命じて士官水夫の宿をとらしむ。独り梅太郎、高柳楠之助のまねきによりて道越町魚屋万蔵の家にいたりて高柳ニ会ス。(但、高柳ハ明光丸頭取)高柳曰ク此度明光丸ハ於長崎ニ、船の求め方ニ付て急ニ参らねバ数万金にかゝわり候事なれバ、御気毒ながら此度の論議ハ長崎まで御まち被レ下候や、かく

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坂田の場合 ――「小悪魔の記録」――

豊島与志雄

坂田さん、じゃあない、坂田、とこう呼びずてにしなければならないようなものが、俺のうちにある。というのはつまり、彼自身のうちにあるのだ。 母親がまだ達者で、二人の女中を使って家事一切のことをやってくれている。家の中はこぎれいに片付き、畳や唐紙も古くなく新らしくなく、家具調度の類も過不足なくととのい、座敷の床の間にはいつも花が活けてある。中流社会の生活伝統といっ

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坂道

新美南吉

東京のさる專門學校の生徒である草野金太郎は、春休みで故郷の町に歸省してゐたが、春休みも終つたので、あと二時間もするとまた一人で東京にたつのである。 荷物はまとめて驛に出してしまひ、まだ明るいけれど夕飯も風呂もすましてしまつた。これから二時間のあいだ、もう何もすることがない。 忘れてゐることはないかと考へて見るが、萬事手筈は整つてゐる。そこで金太郎は、二時間と

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坂道の孤独参昧

牧野信一

何故俺は些う迄性のない愚図なんだらう、これツぱかりの事を何も思ひ惑ふにはあたらない、手取り早く仕度さへすれば二時間も掛らないで出来上る……が、純造は「明日こそは――」と叱るやうに決心した。前々の日に出掛ける筈で既に叔母から旅費はちやんと貰つて大切に机の抽出に蔵つてはあるのだが、つい出遅れて、これも度重なつて具合も悪く、この日は午後から到々頭痛がすると称して二

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くろん坊

岡本綺堂

このごろ未刊随筆百種のうちの「享和雑記」を読むと、濃州徳山くろん坊の事という一項がある。何人から聞き伝えたのか知らないが、その附近の地理なども相当にくわしく調べて書いてあるのを見ると、全然架空の作り事でもないらしく思われる。元来ここらには黒ん坊の伝説があるらしく、わたしの叔父もこの黒ん坊について、かつて私に話してくれたことがある。若いときに聞かされた話で、年

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坊や

中原中也

山に清水が流れるやうに その陽の照つた山の上の 硬い粘土の小さな溝を 山に清水が流れるやうに 何も解せぬ僕の赤子は 今夜もこんなに寒い真夜中 硬い粘土の小さな溝を 流れる清水のやうに泣く 母親とては眠いので 目が覚めたとて構ひはせぬ 赤子は硬い粘土の溝を 流れる清水のやうに泣く その陽の照つた山の上の 硬い粘土の小さな溝を さらさらさらと流れるやうに清水のや

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坐辺師友

北大路魯山人

益友と交わることの有益を説き聞かせた者は孔子である。誰しも生まれながらに、それを感付いていない者はなかろうが、孔子のような人から明瞭に言われてみると、また感を更たにすると言うもの。しかし、それは生存中の人間のことを指していると決められてはいないだろうか。益を受くる者固より生存者、益を与うる者固より現存者なるかのように世の多くは解釈している。しかし、益友を人間

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坪内先生を憶ふ

相馬御風

先生は逝きたまひけりその事のあまり大きく語るに惑ふ 生き死にのさかひはすでに打越えてゐたまひにけむしかは思へど もぐ/\とみくち大きくうごかしてハムレット、マクベス講じたまひし みそとせの昔もすでに老先生と呼びまゐらすにふさひたまひし ふる城の大き旗竿倒れしにたとへし人の言うべなはむ 老いてます/\創作欲のつのり來しに逆らはずぐん/\生き了せましき 先生の亡

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坪田譲治の味

尾崎士郎

私の文壇生活をとおして、交遊関係の、もっとも古いのは坪田君であるかも知れぬ。大正十一年か、十二年か、――数えて、そろそろ四十年になる筈だ。今まで、そんなことを考えてみたこともなかったが、うかうかと時が過ぎてしまったらしい。人生五十という標準年齢を対象的に考えると、私たちはもう人生の外へ一歩踏みだしたかんじでもある。文壇生活四十年なぞというのは、自慢にならぬど

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垂水

神西清

二十年ほども昔のこと、垂水の山寄りの、一めんの松林に蔽はれた谷あひを占める五泉家の別荘が、幾年このかた絶えて見せなかつた静かなさざめきを立ててゐた。その夏浅いころ、別荘の古びた冠木門を、定紋つきの自動車に運ばれて来た二人の人物が、くぐつて姿を消したのである。その日ののち、通りかかる里の人々の目は、崩れかけた築地のひまから、松林の奥に久方ぶりの燭火の幽かにまた

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垣隣り

宮城道雄

垣隣り 宮城道雄 普通の目の見える人が、自分の家のあたりの景色に親しみを持って見るのと同様に、私には自分の住んでいる近所の音が、私の生活の中に入っているわけである。これは自分の住んでいる周囲の音が懐しいのである。 気候が暖かになると、戸障子を明けるので、近所の音が非常に近くなる。私の住んでいる家の直ぐ裏で、垣一重へだてた向うの家で、いつも年とった御主人の懐し

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埃及雑記

浜田青陵

埃及雜記 濱田耕作 一 埃及の入口ポートセイドの騷々しい港に船を降りて、一望百里鹽澤の外、何者も眼の前に見えない茫漠たる景色に接した私と倉田君とは、何處にナイルの恩惠たる黒土の埃及が横つてゐるかを疑つたのである。これは丁度二十年前、私が太沽の沖合に船が著いて、何處に支那の國があるかを怪しんだと同じ感じであつた。併し暫くすると兩側に青い畑も見え、椰子と駱駝も現

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埋れた幻想

今野大力

慰める様な ぬるい南風に衣を なびかせ なびかせ 大地の精が臥している 小高い丘の殺風景な(けれども希望に輝いた)処で 大地の精はつぶやいている ああ古風な幻想よ 大地は忍従の革命家 秋を送り冬を迎え 地上すべて荒廃に帰せしめ 殺した大地の世界から 生命を呼び ま夏の 新緑あふるる青さを生む (かくて神話の世紀から幾代の力を創った事か) 丘は今安らかな暁方の

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埋もれた漱石伝記資料

寺田寅彦

熊本高等学校で夏目先生の同僚にSという○物学の先生がいた。理学士ではなかったがしかし非常に篤学な人で、その専門の方ではとにかく日本有数の権威者だという評判であった。真偽は知らないが色々な奇行も伝えられた。日本にたった二つとか三つとかしかない珍しい標本をいくつか持っているという自慢を聞かされない学生はなかったようである。服装なども無頓着であったらしく、よれよれ

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カフカフランツ

Kが到着したのは、晩遅くであった。村は深い雪のなかに横たわっていた。城の山は全然見えず、霧と闇とが山を取り巻いていて、大きな城のありかを示すほんの微かな光さえも射していなかった。Kは長いあいだ、国道から村へ通じる木橋の上にたたずみ、うつろに見える高みを見上げていた。 それから彼は、宿を探して歩いた。旅館ではまだ人びとがおきていて、亭主は泊める部屋をもってはい

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ウォリクの城

野上豊一郎

ウォリクは城で持つ町で、ウォリクの城は「イギリスの封建時代の貴族の居城のうちでも最も壯大なもので、今も貴族の住居のままである」といふことに依つて有名である。ストラトフォド・オン・エイヴォンへは南西八マイル、バーミンガムへは北西二十マイルで、ロンドンからいへば北西百八マイルの位置にある。 すぐ近く(北方四マイル)にはケンルワスの古城があり、ウォリクと兩兩相竝ん

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城山のことなど

桜間中庸

城山は冬がいゝ。 あの峰の城趾の熊笹原の中に立つて、笹の葉裏を白くかへし、老松の幹をゆるがせて音高く吹き過ぎてゆく風の聲を聞くのはたまらなくいゝものだ。冷たい、身を切るやうな風だ。どこからともなく、どこへともなくの感を眞實、風に感じるのはこの時だ。 私は少年時代、よく獨りであの城趾のあちこちをやたらに走り廻つた。 崩れかけた石垣を逼ひ登つて、石垣の上に立ち、

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城ヶ島の春

牧野信一

城ヶ島といふと、たゞちに北原白秋さんを連想する――といふより白秋さんから、わたしは城ヶ島を知り、恰度酒を飲みはじめた十何年か前のころ、わたしたちは酔ひさへすれば、城ヶ島の雨を合唱したものである。白秋さんが、三崎から小田原へ移つて何年か経ち、恰も、千鳥の唄をつくられて間もないころではなかつたらうか。 わたしは白秋さんが、かなりながく住んでをられた小田原の天神山

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城ヶ島の春

牧野信一

城ヶ島の春 牧野信一 城ヶ島といふと、たゞちに北原白秋さんを連想する――といふより白秋さんから、わたしは城ヶ島を知り、恰度酒を飮みはじめた十何年か前のころ、わたしたちは醉ひさへすれば、城ヶ島の雨を合唱したものである。白秋さんが、三崎から小田原へ移つて何年か經ち、恰も、千鳥の唄をつくられて間もないころではなかつたらうか。 わたしは白秋さんが、かなりながく住んで

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城のある町にて

梶井基次郎

「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」 片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える。――そんな老人が朗らかにそう言い捨てたまま峻の脇を歩いて行った。言っておいてこちらを振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれといったふうに石垣のは

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おいてけ堀

田中貢太郎

おいてけ堀 田中貢太郎 本所のお竹蔵から東四つ目通、今の被服廠跡の納骨堂のあるあたりに大きな池があって、それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」であった。其の池には鮒や鯰がたくさんいたので、釣りに往く者があるが、一日釣ってさて帰ろうとすると、何処からか、おいてけ、おいてけと云う声がするので、気の弱い者は、釣っている魚を魚籃から出して逃げて来るが、気の強い者

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堀切橋の怪異

田中貢太郎

荒川放水路に架けた堀切橋、長い長いその橋は鐘淵紡績の女工が怪死した事から怪異が伝えられるようになった。 それを伝える人の話によれば、その女工の怪死は、四番目におこった怪異であるとのことであった。 第一番目は、開橋式が済んで間もない夜の八時頃、千住の紙工場に通っているお時という女工が、橋の中程、ちょうど女工の怪死していた上の方まで往くと、霧の中から真黒な目も鼻

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