銭形平次捕物控 109 二人浜路
野村胡堂
「親分、面白い話があるんだが――」 ガラッ八の八五郎は、妙に思わせぶりな調子で、親分の銭形平次に水を向けました。 「何が面白くて、膝っ小僧なんか撫で廻すんだ。早く申上げないと一帳羅が摺り切れそうで、心配でならねエ」 そういう平次も、この頃は暇でならなかったのです。 「親分が乗り出しゃ、一ペンに片付くんだが、あっしじゃね」 「たいそう投げてかかるじゃないか」
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野村胡堂
「親分、面白い話があるんだが――」 ガラッ八の八五郎は、妙に思わせぶりな調子で、親分の銭形平次に水を向けました。 「何が面白くて、膝っ小僧なんか撫で廻すんだ。早く申上げないと一帳羅が摺り切れそうで、心配でならねエ」 そういう平次も、この頃は暇でならなかったのです。 「親分が乗り出しゃ、一ペンに片付くんだが、あっしじゃね」 「たいそう投げてかかるじゃないか」
野村胡堂
「親分、面白い話があるんだが――」 ガラツ八の八五郎は、妙に思はせ振りな調子で、親分の錢形平次に水を向けました。 「何が面白くて、膝つ小僧なんか撫で廻すんだ。早く申上げないと一帳羅が摺り切れさうで、心配でならねエ」 さう言ふ平次も、この頃は暇でならなかつたのです。 「親分が乘り出しや、一ペンに片付くんだが、あつしぢやね」 「大層投げてかゝるぢやないか」 「折
野村胡堂
「親分、飯田町の上總屋が死んださうですね」 ガラツ八の八五郎は、またニユースを一つ嗅ぎ出して來ました。江戸の町々がすつかり青葉に綴られて、時鳥と初鰹が江戸ツ子の詩情と味覺をそゝる頃のことです。 「上總屋が死んだところで俺の知つたことぢやないよ」 錢形平次は丹精甲斐もない朝顏の苗を鉢に上げて、八五郎の話には身が入りさうもありません。 「ところが、聞き捨てになら
野村胡堂
「親分、飯田町の上総屋が死んだそうですね」 ガラッ八の八五郎は、またニュースを一つ嗅ぎ出して来ました。江戸の町々がすっかり青葉に綴られて、時鳥と初鰹が江戸っ子の詩情と味覚をそそる頃のことです。 「上総屋が死んだところで俺の知ったことじゃないよ」 銭形平次は丹精甲斐もない朝顔の苗を鉢に上げて、八五郎の話には身が入りそうもありません。 「ところが、聞き捨てになら
野村胡堂
「親分、良い陽気じゃありませんか。植木の世話も結構だが、たまには出かけてみちゃどうです」 ガラッ八の八五郎は、懐ろ手を襟から抜いて、虫歯が痛い――て恰好に頬を押えながら、裏木戸を膝で開けてノッソリと入って来ました。 「朝湯の帰りかえ、八」 平次は盆栽の世話を焼きながら、気のない顔を挙げます。 「へッ、御鑑定通り。手拭が濡れているんだから、こいつは銭形の親分で
野村胡堂
「親分、良い陽氣ぢやありませんか。植木の世話も結構だが、たまには出かけて見ちやどうです」 ガラツ八の八五郎は、懷ろ手を襟から拔いて、蟲齒が痛い――て恰好に頬を押へ乍ら、裏木戸を膝で開けてノツソリと入つて來ました。 「朝湯の歸りかえ、八」 平次は盆栽の世話を燒き乍ら、氣のない顏を擧げます。 「へツ、御鑑定通り。手拭が濡れてゐるんだから、こいつは錢形の親分でなく
野村胡堂
「親分、面白い話があるんだが――」 ガラッ八の八五郎は、木戸を開けて、長い顔をバアと出しました。 「あ、驚いた。俺は糸瓜が物を言ったかと思ったよ。いきなり長い顔なんか出しゃがって」 銭形平次は大尻端折りの植木の世話を焼く恰好で、さして驚いた様子もなく、こんな馬鹿なことを言うのです。それが一の子分ガラッ八に対する、何よりの好意であり、最上等の歓迎の辞であること
野村胡堂
「親分、面白い話があるんだが――」 ガラツ八の八五郎は、木戸を開けて、長んがい顏をバアと出しました。 「あ、驚いた。俺は糸瓜が物を言つたかと思つたよ。いきなり長い顏なんか出しやがつて」 錢形平次は大尻端折の植木の世話を燒く恰好で、さして驚いた樣子もなく、こんな馬鹿なことを言ふのです。それが一の子分ガラツ八に對する、何よりの好意であり、最上等の歡迎の辭であるこ
野村胡堂
「江戸中の評判なんですがね、親分」 「何が評判なんだ」 ガラツ八の八五郎が、何にか變なことを聞込んで來たらしいのを、錢形の平次は浮世草紙の繪を眺め乍ら、無關心な態度で訊き返しました。 「兩國の女角力と錢形の親分」 「馬鹿野郎、俺を遊ぶ心算か」 平次は威勢の良いのを浴びせて、コロリと横になります。斯うすると軒に這はせた、貧弱な朝顏がよく見えるのでした。 「へツ
野村胡堂
「江戸中の評判なんですがね、親分」 「何が評判なんだ」 ガラッ八の八五郎が、何か変なことを聞込んで来たらしいのを、銭形の平次は浮世草紙の絵を眺めながら、無関心な態度で訊き返しました。 「両国の女角力と銭形の親分」 「馬鹿野郎、俺を遊ぶ心算か」 平次は威勢の良いのを浴びせて、コロリと横になります。こうすると軒に這わせた、貧弱な朝顔がよく見えるのでした。 「へッ
野村胡堂
「親分、ちよいと逢つてお願ひし度いといふ人があるんだが――」 ガラツ八の八五郎は膝つ小僧を揃へて神妙に申上げるのです。 「大層改まりやがつたな。金の工面と情事の橋渡しは御免だが、外のことなら大概のことは引受けるぜ」 平次は安直に居住ひを直しました。粉煙草もお小遣も、お上の御用までが種切れになつて、二三日張合もなく生き伸びてゐる心持の平次だつたのです。 「へツ
野村胡堂
「親分、ちょいと逢ってお願いしたいという人があるんだが――」 ガラッ八の八五郎は膝っ小僧を揃えて神妙に申上げるのです。 「大層改まりゃがったな。金の工面と情事の橋渡しは御免だが、外のことなら大概のことは引受けるぜ」 平次は安直に居住いを直しました。粉煙草もお小遣も、お上の御用までが種切れになって、二三日張合いもなく生き延びている心持の平次だったのです。 「へ
野村胡堂
「親分、変なことがあるんだが――」 ガラッ八の八五郎が、少し鼻の穴を脹らませて入って来ました。 「よくそんなに変なことに出っくわすんだね、俺なんか当り前のことで飽々しているよ。借りた金は返さなきゃならないし、時分どきになれば腹は減るし、遊んでばかりいると、女房は良い顔をしないし」 銭形の平次はそう言いながら、せっせと冬仕度の繕い物をしている恋女房のお静の方を
野村胡堂
「親分、變なことがあるんだが――」 ガラツ八の八五郎が、少し鼻の穴を脹らませて入つて來ました。 「よくそんなに變なことに出つ逢すんだね、俺なんか當り前のことで飽々してゐるよ。借りた金は返さなきやならないし、時分どきになれば腹は減るし、遊んでばかりゐると、女房は良い顏をしないし」 錢形の平次はさう言ひ乍ら、せつせと冬仕度の繕ひ物をしてゐる戀女房のお靜の方をチラ
野村胡堂
「親分、近頃は胸のすくやうな捕物はありませんね」 ガラツ八の八五郎は先刻から鼻を掘つたり欠伸をしたり、煙草を吸つたり全く自分の身體を持て餘した姿でした。 「捕物なんかない方がいゝよ。近頃俺は十手捕繩を返上して、手内職でも始めようかと思つてゐるんだ」 平次は妙に懷疑的でした。江戸一番の捕物の名人と言はれてゐる癖に、時々『人を縛らなければならぬ渡世』に愛想の盡き
野村胡堂
「親分、近頃は胸のすくような捕物はありませんね」 ガラッ八の八五郎は先刻から鼻を掘ったり欠伸をしたり、煙草を吸ったり全く自分の身体を持て余した姿でした。 「捕物なんかない方がいいよ。近ごろ俺は十手捕縄を返上して、手内職でも始めようかと思っているんだ」 平次は妙に懐疑的でした。江戸一番の捕物の名人と言われているくせに、時々「人を縛らなければならぬ渡世」に愛想の
野村胡堂
銭形平次が門口の雪をせっせと払っていると、犬っころのように雪を蹴上げて飛んで来たのはガラッ八の八五郎でした。 「親分、お早う」 「なんだ、八か。大層あわてているじゃないか」 「あわてるわけじゃないが、初雪が五寸も積っちゃ、ジッとしている気になりませんよ。雪見と洒落ようじゃありませんか」 そう言う八五郎は、頬冠りに薄寒そうな擬い唐桟の袷、尻を高々と端折って、高
野村胡堂
錢形平次が門口の雪をせつせと拂つてゐると、犬つころのやうに雪を蹴上げて飛んで來たのは、ガラツ八の八五郎でした。 「親分、お早やう」 「何んだ、八か。大層あわててゐるぢやないか」 「あわてるわけぢやないが、初雪が五寸も積つちや、ヂツとしてゐる氣になりませんよ。雪見と洒落やうぢやありませんか」 さう言ふ八五郎は、頬冠りに薄寒さうな擬ひ唐棧の袷、尻を高々と端折つて
野村胡堂
錢形平次はお上の御用で甲府へ行つて留守、女房のお靜は久し振りに本所の叔母さんを訪ねて、 「しいちやんのは鬼の留守に洗濯ぢやなくて、淋しくなつてたまらないから、私のやうなものを思ひ出して來てくれたんだらう」などと、遠慮のないことを言はれながら、半日油を賣つた歸り途、東兩國の盛り場に差しかゝつたのは、かれこれ申刻(四時)近い時分でした。 平次と一緒になる前、一二
野村胡堂
銭形平次はお上の御用で甲府へ行って留守、女房のお静は久し振りに本所の叔母さんを訪ねて、 「しいちゃんのは鬼の留守に洗濯じゃなくて、淋しくなってたまらないから、私のようなものを思い出して来てくれたんだろう」などと、遠慮のないことを言われながら、半日油を売った帰り途、東両国の盛り場に差しかかったのは、かれこれ申刻(四時)に近い時分でした。 平次と一緒になる前、一
野村胡堂
「親分ちょいと――」 ガラッ八の八五郎は、膝小僧で歩くように、平次のとぐろを巻いている六畳へ入って来ました。 「なんだ八、また、お客様をつれて来たんだろう。今度はなんだえ、若い人のようだが――」 「どうしてそんなことが判るんで? 親分」 「お前の顔にそう書いてあるじゃないか」 「ヘエ――」 ガラッ八は平手で長い顔をブルブルンと撫で廻すのです。 「平手で面を掻
野村胡堂
「親分ちよいと――」 ガラツ八の八五郎は、膝つ小僧で歩くやうに、平次のとぐろを卷いてゐる六疊へ入つて來ました。 「なんだ八、また、お客樣をつれて來たんだらう。今度は何んだえ、若い人のやうだが――」 「どうしてそんなことが判るんで? 親分」 「お前の顏にさう書いてあるぢやないか」 「へエ――」 ガラツ八は平手で長んがい顏をブルブルンと撫で廻すのです。 「平手で
野村胡堂
本郷菊坂の六軒長屋――袋路地の一番奧の左側に住んでゐる、烏婆アのお六が、その日の朝、無慘な死骸になつて發見されたのです。 見付けたのは、人もあらうに、隣に住んでゐる大工の金五郎の娘お美乃。親孝行で綺麗で、掃溜に鶴の降りたやうな清純な感じのするのが、幾日か滯つた日濟しの金――と言つても、緡に差した鳥目を二本、袂で隱してそつと裏口から覗くと、開けつ放したまゝの見
野村胡堂
本郷菊坂の六軒長屋――袋路地のいちばん奥の左側に住んでいる、烏婆アのお六が、その日の朝、無惨な死骸になって発見されたのです。 見付けたのは、人もあろうに、隣に住んでいる大工の金五郎の娘お美乃。親孝行で綺麗で、掃溜に鶴の降りたような清純な感じのするのが、幾日か滞った日済しの金――といっても、緡に差した鳥目を二本、袂で隠してそっと裏口から覗くと、開けっ放したまま