Vol. 2May 2026

Sách

Thư viện tri thức thế giới miền công cộng

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日本無政府主義者陰謀事件経過及び付帯現象

石川啄木

明治四十三年(西暦一九一〇)六月二日 東京各新聞社、東京地方裁判所檢事局より本件の犯罪に關する一切の事の記事差止命令を受く。各新聞社皆この命令によつて初めて本件の發生を知れり。命令はやがて全國の新聞社に通達せられたり。 同年六月三日 本件の犯罪に關する記事初めて諸新聞に出づ。但し主として秋水幸徳傳次郎が相州湯ヶ原の温泉宿より拘引せられたるを報ずるのみにして、

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消息

石川啄木

本誌の編輯は各月當番一人宛にてやる事に相成り、此號は小生編輯致し候。隨つて此號編輯に關する一切の責任は小生の負ふ所に候。 締切までに小生の机上に堆積したる原稿意外に多く爲めに會計擔任者と合議の上、紙數を増す事豫定より五十頁の多きに達し、從つて定價を引上ぐるの止むなきに到り候ひしも、猶且その原稿の全部を登載する能はず、或は次號にし、或は寄稿家に御返却したるもの

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小説「墓場」に現れたる著者木下氏の思想と平民社一派の消息

石川啄木

木下尚江著小説「墓場」。 明治四十一年(一九〇八)十二月十三日東京本郷弓町一丁目二番地昭文堂宮城伊兵衞發行。翌四十二年二月再版。著者の著作の順序からいへば「乞食」の後、「勞働」の前。 著者の小説は概して二つの種類に分けることが出來る。一は或思想を説明若くは主張する爲に其處に或事件を空想的に脚色したもの、さうして他は著者自身の實際の事歴を經として叙述したもの。

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雲間寸観

石川啄木

大木頭◎二十三日の議會は豫報の如く所謂三派連合の氣勢の下に提出せられたる内閣不信任の決議案の討議に入り、小氣味よき活劇を演出したるものの如く候。同日午后一時十分開會、諸般の報告終りてより首相の施政方針演説あり、續いて松田藏相より豫算編制に關する長々しき説明ありたる後、憲政本黨の澤代議士より政府の中心何處にあるやとの質問出で首相は政府の中心に政府あり、現政府は

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歌集「嘲笑」序文

石川啄木

私はこの集の著者に一度も會つたことが無い。その作つた歌もあまり讀んだことが無い。隨つてどんな性格の人、どんな傾向の人かも知る筈が無い。しかし斯ういふことは容易に想像することが出來る――この集の著者も年をとり、經驗を重ねるに隨つて、人生に對する態度が變つて來るに違ひない。人生に對する態度が變つて來れば、この集に對する態度も變つて來るに違ひない。 實際變るに違ひ

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いろ/\の言葉と人

石川啄木

少年の頃、「孝」といふ言葉よりも、「忠」といふ言葉の方が強く私の胸に響いた。「豪傑」といふ言葉よりも、「英雄」といふ言葉の方に親しみがあつた。そして、「聖人」とか「君子」とかいふ言葉は、言ふにしても書くにしても、他處行の着物を着るやうな心持が離れなかつた。 「豪傑」といふ言葉には、肥つた人といふ感じが伴つてゐた。私は幼い時から弱くて、痩せて小さかつた。同じ理

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一日中の楽しき時刻

石川啄木

復啓、以前は夕方に燈火のつく頃と、夜が段々更けて十二時が過ぎ、一時となり一時半となる頃が此上なき樂しきものに候ひしが、近頃はさる事も無御座候。樂しき時刻といふもの何日よりか小生には無くなり候、拂曉に起き出でて散歩でもしたら氣が清々するかと存じ候へども、一度も實行したことはなし、何か知ら非常に急がしき事の起り來るを待設くる樣の氣持にて、其日々々を意氣地なく送り

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新しい歌の味ひ

石川啄木

人聲の耳にし入らば、このゆふべ、 涙あふれむ、―― もの言ふなかれ。(哀果) 「妻よ、子よ、また我が老いたる母よ、どうか物を言はないで呉れ、成るべく俺の方を見ないやうにして呉れ、俺はお前達に對して怒つてるのぢやない、いや、誰に對しても怒つてなぞゐない。だが今は、何とか言葉でもかけられると、直ぐもうそれを切掛けに泣き出しさうな氣持なのだ。さうでなければ、また何

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呼子と口笛

石川啄木

一九一一・六・一五・TOKYO われらの且つ読み、且つ議論を闘はすこと、 しかしてわれらの眼の輝けること、 五十年前の露西亜の青年に劣らず。 われらは何を為すべきかを議論す。 されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 ‘V NAROD!’と叫び出づるものなし。 われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、 また、民衆の求むるものの何なるかを知る、 しか

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心の姿の研究

石川啄木

心の姿の研究 石川啄木 夏の街の恐怖 焼けつくやうな夏の日の下に おびえてぎらつく軌条の心。 母親の居睡りの膝から辷り下りて 肥った三歳ばかりの男の児が ちょこ/\と電車線路へ歩いて行く。 八百屋の店には萎えた野菜。 病院の窓掛は垂れて動かず。 閉された幼稚園の鉄の門の下には 耳の長い白犬が寝そべり、 すべて、限りもない明るさの中に どこともかく、芥子の花が

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鳥影

石川啄木

小川静子は、兄の信吾が帰省するといふので、二人の小妹と下男の松蔵を伴れて、好摩の停車場まで迎ひに出た。もと/\、鋤一つ入れたことのない荒蕪地の中に建てられた、小さい三等駅だから、乗降の客と言つても日に二十人が関の山、それも大抵は近村の百姓や小商人許りなのだが、今日は姉妹の姿が人の目を牽いて、夏草の香に埋もれた駅内に、常になく艶いてゐる。 小川家といへば、郡で

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二筋の血

石川啄木

二筋の血 石川啄木 夢の様な幼少の時の追憶、喜びも悲みも罪のない事許り、それからそれと朧気に続いて、今になつては、皆、仄かな哀感の霞を隔てゝ麗かな子供芝居でも見る様に懐かしいのであるが、其中で、十五六年後の今日でも猶、鮮やかに私の目に残つてゐる事が二つある。 何方が先で、何方が後だつたのか、明瞭とは思出し難い。が私は六歳で村の小学校に上つて、二年生から三年生

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天鵞絨

石川啄木

理髪師の源助さんが四年振で来たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた様に、口から口に伝へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。 村といつても狭いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶と北に走つた。坦々たる其一等道路(と村人が呼ぶ)の、五六町並木の松が断絶えて、両側から傾き合つた茅葺勝の家並の数が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央程に向合つてゐ

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病院の窓

石川啄木

病院の窓 石川啄木 野村良吉は平日より少し早目に外交から帰つた。二月の中旬過の、珍らしく寒さの緩んだ日で、街々の雪がザクザク融けかかつて来たから、指先に穴のあいた足袋が気持悪く濡れて居た。事務室に入つて、受付の広田に聞くと、同じ外勤の上島も長野も未だ帰つて来ないと云ふ。時計は一時十六分を示して居た。 暫時其処の暖炉にあたつて、濡れた足袋を赤くなつて燃えて居る

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漂泊

石川啄木

漂泊 石川啄木 一 曇ツた日だ。 立待崎から汐首の岬まで、諸手を拡げて海を抱いた七里の砂浜には、荒々しい磯の香りが、何憚らず北国の強い空気に漲ツて居る。空一面に渋い顔を開いて、遙かに遙かに地球の表面を圧して居る灰色の雲の下には、圧せられてたまるものかと云はぬ許りに、劫初の儘の碧海が、底知れぬ胸の動揺の浪をあげて居る。右も左も見る限り、塩を含んだ荒砂は、冷たい

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葉書

石川啄木

××村の小学校では、小使の老爺に煮炊をさして校長の田辺が常宿直をしてゐた。その代り職員室で用ふ茶代と新聞代は宿直料の中から出すことにしてある。宿直料は一晩八銭である。茶は一斤半として九十銭、新聞は郵税を入れて五十銭、それを差引いた残余の一円と外に炭、石油も学校のを勝手に用ひ、家賃は出さぬと来てるから、校長はどうしても月に五円宛得をしてゐる。此木田老訓導は胸の

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葬列

石川啄木

葬列 石川啄木 久し振で帰つて見ると、嘗ては『眠れる都会』などと時々土地の新聞に罵られた盛岡も、五年以前とは余程その趣を変へて居る。先づ驚かれたのは、昔自分の寄寓して居た姉の家の、今裕福らしい魚屋の店と変つて、恰度自分の机を置いた辺と思はれるところへ、吊された大章魚の足の、極めてダラシなく垂れて居る事である。昨日二度、今朝一度、都合三度此家の前を通つた自分は

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赤痢

石川啄木

凸凹の石高路、その往還を右左から挾んだ低い茅葺屋根が、凡そ六七十もあらう、何の家も、何の家も、古びて、穢くて、壁が落ちて、柱が歪んで、隣々に倒り合つて辛々支へてる様に見える。家の中には、生木の薪を焚く煙が、物の置所も分明ならぬ程に燻つて、それが、日一日、破風から破風と誘ひ合つては、腐れた屋根に這つてゐる。両側の狭い浅い溝には、襤縷片や葫蘿蔔の切端などがユラユ

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札幌

石川啄木

札幌 石川啄木 半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ/″\思出される土地の多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地は無い。あの大きい田舎町めいた、道幅の広い、物静かな、木立の多い、洋風擬ひの家屋の離れ/″\に列んだ――そして甚大きい建物も見涯のつかぬ大空に圧しつけられてゐる様な、石狩平原の中央の都の光景は、やゝもすると

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雲は天才である

石川啄木

雲は天才である 石川啄木 一 六月三十日、S――村尋常高等小学校の職員室では、今しも壁の掛時計が平常の如く極めて活気のない懶うげな悲鳴をあげて、――恐らく此時計までが学校教師の単調なる生活に感化されたのであらう、――午後の第三時を報じた。大方今は既四時近いのであらうか。といふのは、田舎の小学校にはよく有勝な奴で、自分が此学校に勤める様になつて既に三ヶ月にもな

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菊池君

石川啄木

菊池君 石川啄木 一 私が釧路の新聞へ行つたのは、恰度一月下旬の事、寒さの一番酷しい時で、華氏寒暖計が毎朝零下二十度から三十度までの間を昇降して居た。停車場から宿屋まで、僅か一町足らずの間に、夜風の冷に頤を埋めた首巻が、呼気の湿気で真白に凍つた。翌朝目を覚ました時は、雨戸の隙を潜つて空寒く障子を染めた暁の光の中に、石油だけは流石に凍らぬと見えて、心を細めて置

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足跡

石川啄木

冬の長い国のことで、物蔭にはまだ雪が残つて居り、村端の溝に芹の葉一片青んではゐないが、晴れた空はそことなく霞んで、雪消の路の泥濘の処々乾きかゝつた上を、春めいた風が薄ら温かく吹いてゐた。それは明治四十年四月一日のことであつた。 新学年始業式の日なので、S村尋常高等小学校の代用教員、千早健は、平生より少し早目に出勤した。白墨の粉に汚れた木綿の紋付に、裾の擦切れ

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火星の芝居

石川啄木

『何か面白い事はないか?』 『俺は昨夜火星に行って来た』 『そうかえ』 『真個に行って来たよ』 『面白いものでもあったか?』 『芝居を見たんだ』 『そうか。日本なら「冥途の飛脚」だが、火星じゃ「天上の飛脚」でも演るんだろう?』 『そんなケチなもんじゃない。第一劇場からして違うよ』 『一里四方もあるのか?』 『莫迦な事を言え。先ず青空を十里四方位の大さに截って

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