慈悲
岡本かの子
ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものを遣る人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人の為に辞せない人、こう極めて仕舞うのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。 然し、原則というのは結局原則であります。ものごとが凡て、原則どおり単純に行って済むのなら世の中は案外やさしいものです。お医者でも
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岡本かの子
ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものを遣る人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人の為に辞せない人、こう極めて仕舞うのが普通でしょう。それはそうに違いないでしょう、それが慈悲ぶかい人の他人に対する原則ですから。 然し、原則というのは結局原則であります。ものごとが凡て、原則どおり単純に行って済むのなら世の中は案外やさしいものです。お医者でも
岡本かの子
愚なる(?!)母の散文詩 岡本かの子 わたしは今、お化粧をせつせとして居ます。 けふは恋人のためにではありません。 あたしの息子太郎のためにです。 わたしの太郎は十四になりました。 そして、自分の女性に対する美の認識についてそろそろ云々するやうになりました。 太郎の為にも、わたしはお化粧をしなくてはなりません。太郎が、いまにいくら美しい恋人を持つとしても、マ
岡本かの子
人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、彼と此の区別を無みする単直なものが残っている
岡本かの子
おめしちりめんといふ名で覚えてゐる――それでつくられてゐた明治三十年代、私の幼年時代のねんねこ。それも母のきものをなほしたねんねこだつたからそれよりずつとむかし、明治二十年前後の織物だつたかもしれない。そのねんねこで若いきれいな守女におぶさるのがうれしかつた。柄は紫の矢はづだつたと思ふ。きめが細かくて、そのくせ、しぼが、さらつとして柔かく、しんにぴんとした感
岡本かの子
ある男の死 岡本かの子 A! 女学校では、当時有名な話でありました。それは 『二時間目事件。』 といふのでした。 新学期がはじまつてから二ヶ月程後のある日、朝から二時間目の歴史の時間に起つたこと。と書きたてるほど大げさなことでもないのに、それをそれほど有名にしたのは、まつたく、その男の――つまり、その歴史の時間での先生である溝口文学士の性格によるのでした。
岡本かの子
秋雨の追憶 岡本かの子 ○ 十月初めの小雨の日茸狩りに行つた。山に這入ると松茸の香がしめつた山氣に混つて鼻に泌みる。秋雨の山の靜けさ、松の葉から落ちる雨滴が雜木の葉を打つ幽かな音は、却つて山の靜寂を増す。水氣を一ぱいに含んだ青苔を草履で踏む毎に、くすぐつたい感觸が足の甲をつゝむ。咲きおくれた桔梗の紫が殊更鮮かだ。濕つた羊齒をかき分けると可愛らしい松茸が雀の子
岡本かの子
五月の朝の花 岡本かの子 ものものしい桜が散った。 だだっぴろく……うんと手足を空に延ばした春の桜が、しゃんら、しゃらしゃらとどこかへ飛んで行ってしまった。 空がからっと一たん明るくなった。 しんとした淋しさだ。 だが、すこし我慢してじっと、その空を仰いでいた。 じわじわと、どこの端からかその空がうるんみ始めましたよ、その空が、そして、空じゅうそのうるみが拡
梶井基次郎
『青空』のことなど 梶井基次郎 文藝部から嶽水會雜誌の第百號記念號へ載せる原稿をと請はれたが、病中でまとまつたものへ筆を起す氣力もなく、とりとめもない「青空」のことなどで私に課せられた責を塞ぐことにする。 「青空」といふ雜誌は大正十四年の一月から昭和二年の央まで發行されてゐた。僕達三高卒業生の據つてゐた同人雜誌であつた。皆が三高を出てから東京へ行つて出したの
梶井基次郎
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせた
梶井基次郎
喬は彼の部屋の窓から寝静まった通りに凝視っていた。起きている窓はなく、深夜の静けさは暈となって街燈のぐるりに集まっていた。固い音が時どきするのは突き当っていく黄金虫の音でもあるらしかった。 そこは入り込んだ町で、昼間でも人通りは少なく、魚の腹綿や鼠の死骸は幾日も位置を動かなかった。両側の家々はなにか荒廃していた。自然力の風化して行くあとが見えた。紅殻が古びて
梶井基次郎
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか? 否。まったく猫の耳の持っている一種不可思
萩原朔太郎
芥川君と僕との交際は、死前わづか二三年位であつたが、質的には可なり深いところまで突つ込んだ交際だつた。「君と早く、もつと前から知り合ひになればよかつた。」と、芥川君も度々言つた。僕の方でも、同じやうな感想を抱いて居たので、突然自殺の報告に接した時は、裏切られたやうな怒と寂しさを感じた。 芥川君の性格には、一面社交的の素質があつたので、友人が非常に多かつた。し
萩原朔太郎
本書を書き出してから、自分は寝食を忘れて兼行し、三カ月にして脱稿した。しかしこの思想をまとめる為には、それよりもずっと永い間、殆ど約十年間を要した。健脳な読者の中には、ずっと昔、自分と室生犀星等が結束した詩の雑誌「感情」の予告に於て、本書の近刊広告が出ていたことを知ってるだろう。実にその頃からして、自分はこの本を書き出したのだ。しかも中途にして思考が蹉跌し、
樋口一葉
空に月日のかはる光りなく、春さく花のゝどけさは浮世萬人おなじかるべきを、梢のあらし此處にばかり騷ぐか、あはれ罪なき身ひとつを枝葉ちりちりの不運に、むごや十四年が春秋を雨にうたれ風にふかれ、わづかに殘る玉の緒の我れとくやしき境界にたゞよふ子あり。 母は此子が四つの歳、みづから家を出でゝ我れ一人苦をのがれんとにもあらねど、かたむきゆく家運のかへし難きを知る實家の
樋口一葉
口に出して私が我子が可愛いといふ事を申したら、嘸皆樣は大笑ひを遊ばしましやう、それは何方だからとて我子の憎いはありませぬもの、取たてゝ何も斯う自分ばかり美事な寶を持つて居るやうに誇り顏に申すことの可笑しいをお笑ひに成りましやう、だから私は口に出して其樣な仰山らしい事は言ひませぬけれど、心のうちではほんに/\可愛いの憎いのではありませぬ、掌を合せて拜まぬばかり
樋口一葉
夕暮の店先に郵便脚夫が投込んで行きし女文字の書状一通、炬燵の間の洋燈のかげに讀んで、くる/\と帶の間へ卷收むれば起居に心の配られて物案じなる事一通りならず、おのづと色に見えて、結構人の旦那どの、何うぞしたかとお問ひのかゝるに、いえ、格別の事でも御座りますまいけれど、仲町の姉が何やら心配の事が有るほどに、此方から行けば宜いのなれど、やかましやの良人が暇といふて
樋口一葉
哀れ手向の花一枝に千年のちぎり萬年の情をつくして、誰れに操の身はひとり住、あたら美形を月花にそむけて、世は何時ぞとも知らず顏に、繰るや珠數の緒の引かれては御佛輪廻にまよひぬべし、ありしは何時の七夕の夜、なにと盟ひて比翼の鳥の片羽をうらみ、無常の風を連理の枝に憤りつ、此處閑窓のうち机上の香爐に絶えぬ烟りの主はと問へば、答へはぽろり襦袢の袖に露を置きて、言はぬ素
樋口一葉
あきあはせ 樋口一葉 あやしうつむりのなやましうて、夢のやうなるきのふ今日、うき世はしげるわか葉のかげに、初ほとゝぎすなきわたる頃を、こぞの秋袷ふるめかしう取出ぬる、さりとは心もなしや。垣の竹の子きぬゝぎすてゝ、まき葉にかゝる朝露の新らしきを見るもいと恥かしうこそ。 雨の夜 庭の芭蕉のいと高やかに延びて、葉は垣根の上やがて五尺もこえつべし。今歳はいかなれば、
伊藤左千夫
石川啄木君は、齢三十に至らずして死なれた。『一握の砂』と『悲しき玩具』との二詩集を明治の詞壇に寄与した許りで死なれた。 石川君とは鴎外博士宅に毎月歌会のあつた頃、幾度も幾度も逢つた筈である。処が八度の近視眼鏡を二つ掛ける吾輩は、とう/\其顔を能く見覚える事も出来なくて終つた。 さうして今此遺著を読んで見ると、改めて石川君に逢着したやうな気がする。かすかな記憶
伊藤左千夫
近来不良勝なる先生の病情片時も心にかからぬ事はない。日本新聞に墨汁一滴が出る様になってから猶一層である。或は喜び或は悲み日毎に心を労している いくらか文章に勢が見えて元気なことなどの出た日には。これ位ならばなどと心細い中にも少しく胸が休まるような感じがするものの実際は先生の病情少しも文章の上では推測が出来ないのが普通であるのだ。 歌の会俳句の会すべてを止めて
伊藤左千夫
秀麗世にならひなき二荒の山に紅葉かりせはやと思ひたち木の芽の箱をは旅路の友と頼みつゝ丙申の秋神無月廿日の午の後二時半と云ふに上野の山のふもとより車にこそうち乘りけれ いかはかり紅葉の色や深からん山また山のおくをわけなは赤羽さわらひ浦和大宮なと夢の間に打過て上野の國宇都宮にそ日は暮にける はる/\ときしやに訪へはや紅葉しゝ紅葉のかけの猶もまたるゝしはしやすろふ
伊藤左千夫
○九月十日 表具屋を呼びて是真筆朝顔の掛軸の表装仕直を命ず。 ○十一日 萩見に行く。猶早し。法恩寺は二分、萩寺は三分。 ○十二日 小雨、稍寒し。台子を出し風炉に火を入る。花買いに四目の花屋に行く。紫と女郎花とを択びて携え帰る。茶を飲みながら兼題の歌、橋十首を作る。 ○十三日 岡来る。共に香取を訪う。狭き庭の中垣ともいわず手水鉢ともいわず朝顔を這いつかせたり。
伊藤左千夫
午前運動の為め亀井戸までゆき。やや十二時すぐる頃帰て来ると。妻はあわてて予を迎え。今少し前に巡査がきまして牛舎を見廻りました。虎毛が少し涎をたらしていました故鵞口瘡かも知れぬと申して。男共に鼻をとらして口中をよおく見ました。どうも判然はわからぬけれど念のため獣医を呼んで一応見せるがよかろうと申して。今帰ったばかりです どうしましょうと云う。予はすぐ其の足で牛
伊藤左千夫
潤いのある歌と、味いのある歌と、そこにどういう差があるかと考えて見た。単に詞の上で見るならば、潤いのあるということは、客観的な云い方で味いのあるということは、主観的な云い方であるとも云える。しかし細微に両者の意味を推考して見ると、両者に幾分の相違があるようにも思われる。 味いのある歌であるが、つまらぬ歌であるというような歌があるであろうか。またそれに反して、