「古代感愛集」読後
堀辰雄
「古代感愛集」讀後 堀辰雄 お寒くなりました しかしそれ以上に寒ざむしい世の中の變り果てた有樣のやうでございますね ときどき東京に行つて歸つてきた友人などに東京の話を聞くたびに、先生などいかがお暮らしかと、心の痛いやうな思ひをいたします さういふ折など、いつぞや頂戴いたした御手づつの「古代感愛集」を披いては、さういふ一切を超えられた、先生の搖ぎもなさらぬやう
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堀辰雄
「古代感愛集」讀後 堀辰雄 お寒くなりました しかしそれ以上に寒ざむしい世の中の變り果てた有樣のやうでございますね ときどき東京に行つて歸つてきた友人などに東京の話を聞くたびに、先生などいかがお暮らしかと、心の痛いやうな思ひをいたします さういふ折など、いつぞや頂戴いたした御手づつの「古代感愛集」を披いては、さういふ一切を超えられた、先生の搖ぎもなさらぬやう
中谷宇吉郎
『東と西』の問題は、人類にとって、最大の課題といわれる。東洋人としての立場からこの問題を考える場合、中国における古代の神仙思想というものが、どうしても逸することの出来ない要素のように、この頃思われてきた。齢のせいかもしれない。 直接の誘因は、露伴先生の神仙ものを、少しばかり読んだところにある。そのなかでも『仙書参同契』にひどく心を惹かれたので、その紹介を主と
折口信夫
一 生活の古典 明治中葉の「開化」の生活が後ずさりをして、今のあり様に落ちついたのには、訣がある。古典の魅力が、私どもの思想を単純化し、よなげて清新にすると同様、私どもの生活は、功利の目的のついて廻らぬ、謂はゞむだとも思はれる様式の、由来不明なる「為来り」によつて、純粋にせられる事が多い。其多くは、家庭生活を優雅にし、しなやかな力を与へる。門松を樹てた後の心
折口信夫
古代生活に見えた恋愛 折口信夫 一 今日伺ひまして、お話を聴かして頂かうと思ひました処が、かへつて私がお話をせなければならない事になりました。恋愛の話は、只今の私には、最不似合な話であります。併し、歴史的な話でもといふので、何かさせていたゞきます。 此恋愛といふものは、段々進化して、知識的になつて来て居りまして、大分、そこに遊びが這入つて来て居る。或は、知識
折口信夫
古代研究 追ひ書き 折口信夫 この書物、第一巻の校正が、やがてあがる今になつて、ぽっくりと、大阪の長兄が、亡くなつて行つた。さうして今晩は、その通夜である。私は、かん/\とあかるい、而もしめやかな座敷をはづして、ひっそりと、此後づけの文を綴つてゐるのである。夜行汽車の疲れをやすめさせようと言ふ、肝いり衆の心切を無にせまい為、この二階へあがつて来たのであつた。
片山広子
古い伝説 片山廣子 いつ、どんな本で読んだ伝説かはつきり覚えてゐない、夢のなかでどこかの景色を見て、蒼ぐらい波の上に白い船が一つみえてゐたやうに、伝説の中の女の姿を思ひ出す、美しい女である。世界最初の女、イヴよりもずつと前にこの世界にゐた美しいリリスである。 神は七日のあひだに、つまり七千年か七万年か計算することはむづかしいが、天地とその中の万物をお造りなさ
宮本百合子
古典からの新しい泉 宮本百合子 世界が到るところで大きい動きと変化とをみせていて、この状態はおそらく五年や六年でおさまるものとは考えられない。 第一次の欧州大戦ののち世界の文学は非常に変化して、日本も文学の歴史に一つの転換を示した。 今日から明日へかけて私たちの吸う空気のなかに感じられている現代の波立ちは、その間からどんな文学を生み出して行くのだろう。そのこ
太宰治
きのうきょう、狂せむほどに苦しきこと起り、なすところなく額の油汗拭うてばかりいたのであるが、この苦しみをよそにして、いま、日本文学に就いての涼しげなる記述をしなければならない。こうしてペンを握ったまま、目を閉じると、からだがぐいぐい地獄へ吸い込まれるような気がして、これではならぬと、うろうろうろうろ走り書きしたるものを左に。 日本文学に就いて、いつわりなき感
太宰治
古典風 太宰治 ――こんな小説も、私は読みたい。(作者) A 美濃十郎は、伯爵美濃英樹の嗣子である。二十八歳である。 一夜、美濃が酔いしれて帰宅したところ、家の中は、ざわめいている。さして気にもとめずに、廊下を歩いていって、母の居間のまえにさしかかった時、どなた、と中から声がした。母の声である。僕です、と明確に答えて、居間の障子をあけた。部屋には、母がひとり
北大路魯山人
古唐津というものの良さは、日本陶器として古瀬戸、古備前、古萩、古伊賀、古信楽等の類品と共にいずれを姉とし、いずれを妹とすべくもないまでに、著しく他に優れた良さと日本趣味に富む野趣を存する。 古唐津は最初全く朝鮮の手法になっているが、漸を逐って、日本固有の美形を具えて、一種の体をかまえて来る。随って、底力を欠く朝鮮陶から救われて、力強き作風と変化し、純然たる日
北大路魯山人
在銘 高サ 七寸六分 胴廻 五寸七分 口径 二寸九分 この壺の銘には「太平十年五月十六日造」とある。「太平」は遼の年号で、その十年は宋の仁宗の天聖八年(西暦一〇三〇)にあたり、天下が宋の太祖によって半ば統一されてまだ間もないころで、しかも、宋の文物が漸く盛大を告げようとした矢先だった。 ところで一説には朱銘の宋赤絵のものには偽作が多いともいう以上、これ
木暮理太郎
古図を閲覧するに当りて何人も抱く可き疑問は、其図が輯製の当時既に知られたる事実を、果して如何程まで広く採録せりや否やといえることなる可し。ここに所謂古図とは主として徳川時代に出版されたる地理に関する絵図類をいう。此等の図に拠りて地形の正確なる説明を大要なりとも知らんとするが如きは、欲する者の無理なるは言う迄もなく、唯だ山川都邑道路等に就て其概念を得ば以て満足
野村胡堂
「ああ退屈だ。こう世間が無事ではやり切れないなア」 文学士碧海賛平は、鼻眼鏡をゆすり上げながら、女の子のように気取った欠伸をいたしました。 「全くだ、何んか斯う驚天動地の面白い事件が無いものかネ」 百舌の巣のような乱髪を、無造作に指で掻き上げるのは、朝山袈裟雄というあまり上手でない絵描きです。 十五六人集った倶楽部の会員は、いずれも金と時間の使い途に困ると言
小川未明
つばめが帰るとき 真紅な美しい夕焼けに、 少年はらっぱを鳴らして 遊んでいた。 つばめがきたとき 家の周囲を幾たびも飛びまわった。 すると、少年の吹いていたらっぱは 窓の下に捨てられて、 赤いさびがところどころに出ていて、泥に塗れていた。 ●図書カード
中原中也
古る摺れた 外国の絵端書―― 唾液が余りに中性だ 雨あがりの街道を 歩いたが歩いたが 飴屋がめつからない 唯のセンチメントと思ひますか? ――額をみ給へ―― 一度は神も客観してやりました ――不合理にも存在価値はありませうよ だが不合理は僕につらい―― こんなに先端に速度のある 自棄 々々 々々 下駄の歯は 僕の重力を何といつて土に訴へます 「空は興味だが役
長谷川時雨
坪内先生は、御老齢ではあったけれど、先生の死などということを、考えもしなかったのは我ながら不覚だった。去年朝日講堂で、あの長講朗読にもちっとも老いを見せないで、しかもお帰りのおり、差上げた花束を侍者に持たせて、人ごみの出口で後から、とてもはっきりとした声で私の名を呼ばれ、笑い顔で帽子をつまみあげられた元気さに、今年五月早大内の演劇博物館で挙行される、御夫妻の
チェスタートンギルバート・キース
オープンショウ教授は、もしだれかに心霊主義者だとか心霊主義の信者だとか言われると、ガタンと卓を叩いて、いつもかんしやくをおこすのであつた。しかし、これだけで持前の爆発がおさまるわけではなかつた。というのはもしだれかに心霊主義の否認者だと言われても、やはりかんしやくをおこしたからである。自分の一生をささげて心霊現象を研究してきたのは彼の誇りであつた。そういう心
豊島与志雄
終戦後、柴田巳之助は公職を去り、自宅に籠りがちな日々を送りました。隙に任せ、大政翼賛会を中心とした戦時中の記録を綴りかけましたが、それも物憂くて、筆は渋りがちでありました。一方、時勢を静観してみましたが、大きな転廻が感ぜられるだけで、将来の見通しは一向につきませんでした。そして索莫たる月日を過すうち、病気に罹りました。 初めは、ちょっとした感冒だと思われまし
中原中也
夕飯を終へると、彼はがつかりしたといつた風に夕空を眺めながら、妻楊子を使ひはじめた。やがて使ひ終つてその妻楊子を彼の前にある灰皿の中に放つた時、フツと彼は彼の死んだ父親を思ひだした、その放る時の手付や気分やが、我ながら父親そつくりだつたやうな気がした。続いて、「俺も齢をとつたな……」と、さう思つた。 それから彼は夕刊をみながら、煙草を吹かすのであつた。 年来
永井荷風
古本評判記 永井荷風 一、そも/\都下の古本屋に二種ありなぞと事々しく説明するまでもなし。其の店先に立てば一目直に瞭然たり。一は活字本当世新刊和洋の書籍雑著を主として和本唐本を置かず、他は和本唐本を主となし活版本は僅に古書の翻刻物を売買す。 一、後者は東京書林組合と云ふものを設け行事世話人を選び春秋折々両国美術倶楽部にて古書珍本現金即売展覧会を開く事已に年あ
薄田泣菫
古松研 薄田泣菫 先日硯と阿波侯についての話しを書いたが、姫路藩にも硯について逸話が一つある。藩の家老職に河合寸翁といふ男があつて、頼山陽と硯とが大好きなので聞えてゐた。 頼山陽を硯に比べたら、あの通りの慷慨家だけに、ぷり/\憤り出すかも知れないが、実際の事を言ふと、河合寸翁は山陽よりもまだ硯の方が好きだつたらしい。珍しい硯を百面以上も集めて、百硯箪笥といつ
北大路魯山人
明の古染付に対する大体の観察は上巻に於てこれを述べた。ここでは特にその絵付及び模様に就てすこしばかり考へて見度いと志した。 言ふ迄もなく明の古染付なるものは、その時代の文化を最も能く具体的に反映させてゐるものであつて、そこにこれが発生の必然性も共に十分認められるのである。 殊にこれは元時代の興隆期を承けて、この明時代につながる南画の命脈的発展と照合させる事に
折口信夫
古歌新釈 折口信夫 自分は、かね/″\従来の文章の解釈法、殊に和歌に就いて、先達諸家のやりくちに甚だ慊らぬふしが多い様に思うて居る。もと/\、解釈と訓詁とは主従の関係に立つもので、前者が全般的なるに対して、後者は部分的である。徹頭徹尾後者は部分的といふ絶対性をもつて居る。部分的なるものゝ全般的に拡充するには、数多の部分性の集合を要する。畢竟部分性は物の一面で
高浜虚子
一人の女が鍋を洗つて居る。其れは石崖の裾から半身を現はしたのである。其の鍋を洗つてゐる水の波紋が起る。無花果の樹が蔽ひかぶさるやうに延びてゐる。其の波紋が静まると思ふと、又別の波紋が遥か向うの別の無花果の樹の蔭から起る。 向うに立つて居る人が、 「こちらへ来て御覧なさい。」 とさしまねく。其方へ行つて見ると、其の向うの無花果の樹の蔭から波紋を起してゐるところ