ねむい
チェーホフアントン
夜ふけ。十三になる子守り娘のワーリカが、赤んぼの臥ている揺りかごを揺すぶりながら、やっと聞こえるほどの声で、つぶやいている。―― ねんねんよう おころりよ、 唄をうたってあげましょう。…… 聖像の前に、みどり色の燈明がともっている。部屋の隅から隅へかけて、細引が一本わたしてあって、それにお襁褓や、大きな黒ズボンが吊るしてある。燈明から、みどり色の大きな光の輪
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チェーホフアントン
夜ふけ。十三になる子守り娘のワーリカが、赤んぼの臥ている揺りかごを揺すぶりながら、やっと聞こえるほどの声で、つぶやいている。―― ねんねんよう おころりよ、 唄をうたってあげましょう。…… 聖像の前に、みどり色の燈明がともっている。部屋の隅から隅へかけて、細引が一本わたしてあって、それにお襁褓や、大きな黒ズボンが吊るしてある。燈明から、みどり色の大きな光の輪
チェーホフアントン
朝の八時といえば、士官や役人や避暑客連中が蒸暑かった前夜の汗を落しに海にひと浸りして、やがてお茶かコーヒーでも飲みに茶亭へよる時刻である。イン・アンドレーイチ・ラエーフスキイという二十八ほどの、痩せぎすなブロンドの青年が、大蔵省の制帽をかぶり、スリッパをひっかけて一浴びしに来てみると、もう浜には知合いの連中が大分あつまっていた。そのなかに、日ごろから親しい軍
岸田国士
郊外にある例の小住宅向き二軒長屋。形ばかりの竹垣で仕切られた各々二十坪ほどの庭――霜枯れ時の寂寥さを想はせる花壇に、春の終りゆえ、色取り/″\の草花が咲き乱れてゐる。 その庭を、朝七時、両家の主人、目木と久慈とが、何れも歯楊枝をくはへ、手拭を、一方は肩にかけ、一方は腰に下げて、ぶら/\歩きまはつてゐる。 目木 どうも近頃の天気予報はなか/\よく当りますね。
岸田国士
宇治少佐の居間。――夕刻 従卒太田が軍用鞄の整理をしてゐる。 宇治少佐が和服姿で現はれる。 少佐。もう大概揃つたか。太田。はあ。少佐。家の者には会つとかんでもいゝのか。太田。…………。少佐。なんなら、此処で会つてもいゝぞ。お母さんに来るやうに云つたらどうだ。太田。駄目です。泣かれると却つて五月蠅いですから……。少佐。ぢや、もう、今日はいゝから、隊へ帰れ。明日
岸田国士
宇治少佐の居間――夕刻 従卒太田(騎兵一等卒)が軍用鞄の整理をしてゐる。 鈴子夫人が現れる。 夫人 さ、此の毛糸のチヨツキをどこかへ入れといて頂戴。――あとから送つてもいゝけれど、どさくさ紛れに失くなされでもするとつまらないから……。それに、もう、あつちは、九月になると寒いつて云ふぢやないの。――何もかも、あんたのお世話になるのね。ほんとに、よろしく頼むわ
岸田国士
人物 周蔵 周一 兼子 美代 医師 宮下 東京の裏町――周蔵一家の住居 座敷に通ずる茶の間 座敷は周蔵の病室になつてゐる。屏風の陰から時々、力のない咳が聞える。 兼子 (茶の間で火をおこしながら)又、お咳が出ますね。今すぐお薬をあげますから、独りでお起きになつちやいけませんよ。周蔵 …………。兼子 急ぐ時には、ほんとに困つちまふ、この炭は……。(かう云
岸田国士
人物 三好大尉 三好夫人 女中 隣の細君 忠坊 東京の郊外――初秋の午後。 三好大尉の家――庭に面した八畳の座敷。 縁先に腰をかけ、一心に写真ブツクの写真に見入つてゐるのが隣の細君である。 そこへからだを乗り出すようにして、頻りに写真の説明をしてゐるのが三好大尉夫人。 三好夫人 早いもんですね。もう今年で六年目ですからね。隣の細君 ほんとにね。でも、お子
岸田国士
山上のホテル――食堂のベランダ、夏のをはり――午後九時頃。 テーブルに、青年とその母が向ひ合つてゐる。 青年 もうおやすみになつたら如何です。だいぶん冷えて来ました。母 こんなに晴れた空を見るのは久しぶりだね。――寝るのが惜しいやうだ。青年 僕は少し考へごとがあるんですから、しばらく一人きりにして下さい。――お部屋からでも空は見えるでせう。母 そんな
岸田国士
真夏――雨の日 ある海岸の旅館――海を見晴らせる部屋 夫 (腹這ひになり、泳ぎの真似をしてゐる)妻 (絵葉書を出す先を考へてゐる)女中 (はひつて来る)夫 (泳ぎの真似をやめて、新聞を読んでゐる風をする)女中 ほんたうに毎日お天気がわるくつて、御退屈でございませう。妻 ええ、でも、海へは何時でもはひれるんだから、かうして、静かな処で、雨の音を聴い
岸田国士
人物 文六 五十五歳 おせい―その妻 四十五歳 廉太―その悴 二十三歳 おちか―その娘 十七歳 常吉―丁稚 十六歳 京作―止宿人 四十二歳 万籟―新聞記者 三十八歳 時 大正×十×年の冬 処 首都の場末
岸田国士
時 一九二〇年の晩秋 処 墺伊の国境に近きチロル・アルプスの小邑コルチナ。 人 アマノ ステラ エリザ ホテル・パンシヨンの食堂。午後七時。 ストーブの火が燃えてゐる。 ステラ、喪服、ヴエールで眼を覆つてゐる。珈琲を飲みながら、書物の頁を繰る。 エリザ、珈琲注ぎを持ちたるまま、傍らに立つ。 ほかに誰もゐない。 エリザ 明日はあなたがおたち、明後日はアマ
岸田国士
夫 妻 夫の同僚 茶の間 朝 妻 (チヤブ台の上に食器を並べながら)あなた、さ、もう起きて下さい。夫 (奥より)起きてるよ。一体何時だい。妻 毎朝、わかつてるぢやありませんか。夫 そんな時間か。妻 いやね、どんな時間だと思つてらつしやるの。夫 (跳ね起きるらしく)さうか。(間)カマキリは、まだ来ないだらう。妻 (あたりに気を兼ね)およしなさい
岸田国士
時 千九百××年の夏より秋にかけて 処 仏蘭西 人物 白川留雄 ルイーズ・モオプレ 手塚房子 手塚正知 ポオレット マルセル ルイーズの下女 手塚の下女 ホテルの女中 無言役――老婦人、若い男二人、労働者風の男女。
岸田国士
荒廃した庭園の一隅。 藻屑に覆はれた池のほとり。 雑草の生ひ茂つた中に、枯れ朽ちた梅の老樹。 晩春――薄暮。 少年が一人、ぽつねんと蹲つてゐる。手に持つた竹竿で、時々、狂ほしく草叢を薙ぐ。顔は泣いてゐるが、涙は出てゐない。 帽子が傍らに脱ぎ棄てゝある。 少女の声が池の彼方に聞える。 ――もう遅いから、あたし、帰るわ。 別の声が之に応へる。 ――えゝ、ぢや、ま
岸田国士
人物 母 娘 時 四月下旬の真昼 所 母の居間――六畳 開け放された正面の丸窓から、葉桜の枝が覗いてゐる。 母は、縫ひものをしてゐる。 娘は、その傍らで、雑誌の頁を繰つてゐる。 ――間。 娘 (顔をあげ、無邪気らしく)あたし、どうでもいゝわ。母 (わざと素気なく)母さんもどうでもいゝ。(間)どうでもいゝことはないよ。(間)お前も少しはかんがへたら……
岸田国士
保根の家――八畳の座敷――机が二つ部屋の両隅に並んでゐる。 保根は一方の机に向つて、何か調べものをしてゐる。 野見は縁側に座蒲団を持ち出して日向ぼつこをしてゐる。 野見 この家もわるくはないが、折角、これだけの庭があるんだから、もう少しなんとかできないもんかな。せめて、季節季節の花だけでも欠かさないやうにするんだね。椿、躑躅、ぼけ、こんなもんなら、一株二十
岸田国士
人物 遠藤又蔵 妻 なほ 娘 きぬ 学生 床屋の主人 若い男 老紳士 隣の細君 職人 場所 東京の場末 時 冬のはじめ 煙草店の主人遠藤又蔵は、夕刊を読みながら、傍の娘きぬに話しかけてゐる。 又蔵 そんなこと云つて、お加代はあれでいくら取つてると思ふ。きぬ 先月から三十円になつたのよ。又蔵 だからさ、その三十円は、お前、みんな電車代とお化粧代になつちま
岸田国士
人物 十倉奥造 五十 娘 汲子 二十二 和久井幕太郎 二十八 従兄亜介 三十一 平木曾根 四十 ある結婚媒介所の見合室――二階。 洋風にしつらへた八畳の日本間――事務室とも応接室ともつかぬ家具装飾。所長平木曾根が、十倉奥造と、その娘汲子を案内してはいつて来る。 曾根 (右手の椅子を薦め)さ、お嬢さまはこちらがおよろしうございませう。あんまり
岸田国士
最近、同じ作者の「にんじん」がいろいろな事情に恵まれて短期間に不思議なくらい版を重ねたのであるが、訳者はもちろん、この「ぶどう畑」が「にんじん」のごとく一般の口に合うとは思っておらぬ。ただ、「にんじん」によって作者ルナアルの一面を識った読者に、あらためて「ぶどう畑」の一面を紹介することにより、このたぐいまれな芸術家の風貌をやや全面的に伝えることができたら、訳
岸田国士
ジュウル・ルナアル(Jules Renard 1864―1910)の作品のうちで最もひろく読まれ、世人に親しまれているのは、この「にんじん」である。原名は Poil de Carotte 直訳すると「にんじん毛」、すなわち、にんじんのように赤ちゃけた髪の毛という意味になる。この種の髪の色は、ブロンドや栗色などとちがい、生々しくどぎつい感じのために、あまり見ば
岸田国士
時 昭和二十二年、春から夏にかけて 処 東京の都心に遠い某区ならびに沼津海岸 人 速水桃子 六十九 速水女塾旧塾長 同 秀策 七十二 その夫、元代議士 同 思文 二十六 その息子 八坂登志子 三十五 その娘、元満洲国官吏八坂直光の妻、新塾長 相馬佐 四十 元ハルビン・オリエンタル・ホテル支配人 平栗高民 五十五 女塾の幹事 木原基
岸田国士
舞台は黒幕の前、左手と右手にそれぞれ室内を暗示する簡単な装置。中央は街路。照明の転換によつて、この三つの部分が順々に利用される。 最初は、中央の街路上に二つの人影。 老人 ひとりつきりになつたね。少女 おぢいさんは、さつきから、なにしてるの?老人 なんにもしてない。歩いてゐるだけだ。お前が、そこに立つてるのとおなじさ。少女 あたしたちは、たゞ立つてる
岸田国士
海底の美しい景観のなかに、若い海女が一人、自由奔放な姿で現れる。腰に綱をつけてゐるのがはつきりわかる。海女は、岩の間を潜り、海草の茂みを分け、アハビ貝を探してゐる。アハビを二つ腰にさげた網に入れる。そして、綱を激しく手で引く。綱は上から手繰りあげられ、やがて、海女は水面に顔を出す。 水面には、一艘の小舟が待つてゐる。海女が舟べりに手をかけるのと、小舟の上の男
岸田国士
序文 岸田國士 マルセル・プルウスト 四十六 アンリ・モルビエ 三十四 ジャック・グランジュ 五十二 看護婦 二十五 下男 四十 巴里――プルウストの病室 プルウストは、寝台の上に半身を起し、看護婦に脈を取らせてゐる。 モルビエ (黙つて、傍らの新仏蘭西評論を取り上げ、バラバラと頁を繰る。看護婦が出て行