Vol. 2May 2026

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あの星はいつ現はれるか

岸田国士

あの星はいつ現はれるか 岸田國士 一 葉絵子は父の書斎に呼ばれました。 父は生物学者です。今、調べものゝ手を休めて、葉絵子の方に向き直りました。 父  まあ、そこへお坐り。葉絵子  また、お煙草の煙でいつぱいですわ。父  窓をあけると寒いからね。少し我慢をおし。葉絵子  御用つて、なんですの。父  葉絵子は、今年、幾年になつたんだつけな。葉絵子  あら、いや

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浅間山

岸田国士

浅間山 岸田國士 浅間山の麓 萱の密生した広漠たる原野の中に、白樺、落葉松などの疎林が点在し、土地を区劃するための道路が、焼石の地肌をみせて縦横に延びてゐる。 緩やかな斜面に沿つて、粗末な小舎が一棟。斜面の尽きるあたりに、水量の乏しい渓流。温泉鑿掘のための櫓が、その岸に立つてゐる。 この物語の中に現れる人物 丹羽州太 同 二葉   その娘 時田思文   郵便

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富士はおまけ(ラヂオ・ドラマ)

岸田国士

富士を遠景に、霞のなかに浮ぶ峠の古風な掛茶屋。軒先に山桜の一株が綻び始めてゐます。 茶屋の主、東定臣が、ネルのシヤツにコオルテンの半ズボンを穿き、店の前の道を鍬で平らしてゐます。時々、腰を伸ばし、空を見上げるのですが、やがて、 定臣  ああ、やつとこの峠にも春が来た。それにしても昨日までの冬はどこへ行つた? 満洲か? 西比利亜か? さうだ、ここんところ、東北

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風俗時評

岸田国士

医師  どうも不思議だねえ。どこも、なんともないが、それでも痛むかね?患者  痛むかはひどいですよ、先生、このしかめつ面がわかりませんか!医師  もともとさういふ顔かと思つとつたよ。どれ、もう一度見せなさい。こゝだね、押へてちや駄目だ、手をどけなくつちや……。これで痛むかね? 痛む? どういふ風に痛むね?患者  いやだなあ、口で言へるやうなもんぢやありません

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秘密の代償

岸田国士

人物 生田 是則  四十九 妻  数子  四十六 息子 是守  二十五 小間使てる  二十一 七月の半ば過ぎである。某省の高級官吏生田是則は、休暇を取つて、家族と共に海岸の別荘へ来てゐる。家族と云つても、妻の数子と、長男の是守。次男の是高は、海が嫌ひだと称し、その代り、夏になると山登りの病気がはじまる。別荘には、番人夫婦がゐるから、本宅からは小間使のてる一人

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空の悪魔(ラヂオ・ドラマ)

岸田国士

酒井欽蔵   (四十八) 妻 いく   (四十五) 娘 加代   (二十四) 息子 鉄蔵  (十八) 娘 美代   (十六) 店員 庄市  (三十) 其他 解説  東京山の手の裏通りに、さゝやかな店を構へてゐる時計商、酒井欽蔵の一家、物語の中心はこの一家であります。帝都は既に敵機襲来に備へて、警戒管制が敷かれてゐるのです。蒸し暑い真夏の夜のことです。 店先に

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職業(教訓劇)

岸田国士

職業(教訓劇) 岸田國士 ある新劇団の稽古場。 正面に黒の無地幕。部屋の中央に一脚のベンチ。ほかの家具類は悉く片隅に寄せてある。そこには、椅子卓子などの外に、若干の小道具――乳母車、バケツ、洋刀、パラソル、三脚、毛布などが纏めて置いてある。右手に柱時計。 数名の男女俳優(又は研究生)が、思ひ思ひの姿勢で雑談を交してゐる。 男優B  本を読むと、どんなもんでも

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帆船の絵について

岸田国士

もう十年も前のこと、私が友人A君に、ふとした話の序に、佐伯祐三の絵が好きだといふと、その友人は、それからしばらくたつて、これはどうだといつて、小さな風景のスケッチをもつて来てくれた。パリ郊外のムードンあたりと思はれる佐伯にしては珍しく色彩の明るい、包装紙かなにかにサラリと描いた初秋の森である。私は、うれしかつた。 ところが、戦争がはじまつて、A君は、報道班員

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新協劇団を観る

岸田国士

有楽座の「千万人と雖も我行かん」は上演を期待してゐたもので、今度新劇協同公演といふ興味のある企画の下に、この久板栄次郎君の力作がとりあげられたことは当然であると思ふ。 この作品は以前雑誌に発表されたものに作者が大部分手を加へたらしく、それだけ全体として緊密の度を増し、前篇「北東の風」との関連において、なるべく独立性をもたせるやう工夫されたことがわかる。主人公

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文学オリンピツク ――主催国としてどうするか――

岸田国士

オリンピツク大会が今度東京で行はれるについて、その一部門たる文学オリンピツクをどうするかといふ問題が当局の間で評議に上つてゐるといふ話を聞いた。 この文学オリンピツクなるものが、従来の大会ではどういふ結果を収めたか、日本の新聞などは一向報道もしてゐないし、世間もその事情を知らずにゐるのだが、私は偶然、去年のベルリン大会前に画家のH君から芸術オリンピツクに日本

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昭和十年度劇界への指針

岸田国士

拝復 別に新しい意見でもありませんが、小生の持論を要約します。 一、歌舞伎劇は旧きが故に、純化されたるが故に善いのであつて、これを現代向きに、或は、通俗的にしてしまつては切角の値打がなくなる。それ故、これを営利事業と結びつけることは歌舞伎劇のために甚だ危険である。若し、現在の観衆が、髷物をよろこぶと云ふなら、よろしく、歌舞伎劇から分離した大衆時代劇(既にこの

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「白い蛇、赤い蛇」

岸田国士

舟橋聖一氏長篇小説「白い蛇、赤い蛇」は新聞の連載小説として書かれたものだが、なるほどこれなら、大概の読者を満足させることに成功したであらう。 作者は必ずしも通俗味をねらつてはゐないが、さうかと云つて、芸術家気取りの独りよがりを売物にしてもゐない。人情と世相の上に、やゝ早熟とも思はれるほどの眼を向け、これに同君一流の官能描写を織り込んで、心理的ドラマの多彩な絵

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甘い話

岸田国士

僕は小供の時分、どんな菓子が好物だつたか、今思ひ出さうとしても思ひ出せないが、生れてから十年近くを過した四ツ谷塩町附近に、松風堂といふ菓子屋のあつたことを覚えてゐるのは不思議である。 その頃写した写真に、巻煎餅をしつかり握りしめてゐる写真がある。 おやぢがはじめて、モルトンといふ西洋風の菓子を買つて帰つて来た。その後、近所の遊び友達も同じモルトンをしやぶつて

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「古い玩具」あとがき

岸田国士

『古い玩具』は、一九二三年、パリの旅舎で書いた私の最初の戯曲である。私が戯曲を書くことを思ひ立つたのは、当時、親しくその劇団に出入してゐたピトエフ夫妻のすゝめによつて、自分で同劇団のために脚本を書くことを試みたのである。題を『黄色い微笑』として、それを仏文で書いてピトエフ夫妻に示した。戯曲を夫妻に手渡すと同時に、私は、突然肺患の再発のためにパリを去つて、ピレ

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「序文」まへがき

岸田国士

この四篇を特に撰んでくれたのは、私の若い友人内村直也君であるが、戦後ほかから出版された戯曲集と重複しないやうにといふ配慮のほかに、私の全作品を通じて、それぞれ異つた傾向を示すものを一つづゝ拾ひ出すつもりだつたやうである。その目的はたしかに達せられてゐると思ふ。そして、作者が自分でさういふ撰び方をするよりも、ある意味では面白い結果が生じてゐる。なぜなら、この目

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「速水女塾」あとがき

岸田国士

私はこゝでこの作品の解説をするつもりはない。たゞ、中央公論七月号に発表した「速水女塾」は、原稿を渡したあとで、急に手を入れる気になり、可なり書き足したところもあつて、それを決定稿としたかつたのであるが、雑誌発行の都合でその希望は達せられず、やむなく旧稿のまゝ公表しなければならなくなつた関係上、すぐ追つかけて第二稿を単行本として出すことにしたことだけ、読者にお

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「風俗時評」あとがき

岸田国士

旧作のなかからいくつかの戯曲を選んで一冊に纏めたわけだが、特に発行所の希望をも容れて、比較的長いものの大部分が収まることになつた。長いから力作だとも云へまいが、かうしてみると、なるほどそれぞれの時代に於ける紀念作といふやうなものばかりである。 「牛山ホテル」は、昭和三年の秋に、ふと、当り前の戯曲を書いてみようと思ひ、それまではわざと避けてゐた「筋」を織り込み

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「生活と文化」序

岸田国士

「文化」といふ言葉に、私は少し食傷しはじめた。こんな生な言葉を仕事のやうに使つてゐると、空恐しくなる。日本国民の心あるものは、従来の指導者たちの精神的貧困に対し、暗黙の抗議をし続けて来た、その結果が「文化」といふ合言葉の氾濫になつて現はれたものと私は解したい。ところが、翻つて、抗議する側の、同じことを同じ調子で繰りかへす半身不随の症状にも、大に警戒しなければ

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「新日本文学全集第三集・岸田國士集」あとがき

岸田国士

私は最初戯曲家として出発し、今でもその方が専門のつもりでゐるが、戯曲を書きつづけるためには、なにかしらもつと刺激がいるといふ気がする。芝居そのものに興味がもてるやうな状態でなければ駄目である。 そこへいくと、小説の方は、少くとも新聞雑誌の長篇小説といふものは、引受けたら最後、責任を果すまでは、ある軌道に乗せられて、目に見えない力と取つ組みあつて行かねばならぬ

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「博物誌」の序に代へて

岸田国士

「博物誌」といふ題は“Histoires Naturelles”の訳であるが、これはもうこれで世間に通つた訳語だと思ふから、そのまま使ふことにした。 フランスに於ける原書の最初の出版は一八九六年で、フラマリオン社から出てゐる。ヴァロトンの挿絵が二十枚はいつてゐるが、内容は四十五の項目しかない。 一八九九年に、フルウリイ書店から、百部限定の贅沢版が出た。トゥウ

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「葡萄畑の葡萄作り」後記

岸田国士

私はこの書物を大正十四年の一月に訳了し、同年四月に出版した。爾来、二度形を変へて世に送つたが、既刊の分は何れも絶版になつてゐるので、今また白水社の需に応じて、四度目の勤めをさせることにした。 この機会に、出来るだけ手を入れるつもりで原書ともくらべてみたが、思ひがけない誤訳もいくつか発見したし、今日までに得た原作者に関する知識で文体なども多少改める必要を感じた

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「にんじん」の訳稿を終へて

岸田国士

(此の一文は考ふるところあつて特に挟込となす) この翻訳は全く自分の道楽にやつた仕事だと云つていゝ。初めはのろのろ、しまいには大速力で、足かけ五年かゝつた。創作月刊、文芸春秋、作品、新科学的文芸、詩・現実、新青年、改造等の諸雑誌に少しづゝ発表した。 最初に断つておきたいことは、この小説を作者自身が脚色して同じ題の戯曲にした、それを、畏友山田珠樹君がもう七八年

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「浅間山」の序に代へて

岸田国士

私は、嘗て雑誌に発表した作品を、更に単行本に纏める場合、大概、一度は躊躇するのである。これは私に限らず、多くの作家はさうであらうが、時を経て読み返すと、自分の書いたものぐらゐつまらぬものはないからだ。 だがしかし、兎に角、本にしておきたい欲望もあるにはあつて、ひと通り、手を入れたり目次を考へたりする。私は、これで何冊目の戯曲集を出すことになるか、恐らく、今度

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『どん底』ノート

岸田国士

『どん底』の解説(作品) 演出方針 帝政ロシア時代のモスクワの貧民街。 木賃宿。 最下層階級を形づくるある意味で孤立した社会の生態。 希望を失ひ生活にひしがれたといふ共通の性格をもつた人間群のぬきさしならない、ギリギリの表情と叫び、を、一定の空間と時間の中に圧縮した動くタブロオ。 ドラマ的要素は、 一、ともかくも一つの事件を中心として、時が流れ、その時間の経

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