植物記
牧野富太郎
これまで発行せられたいろいろの雑誌に私の書いた小品文はそう鮮くなかった。今回桜井書店主人の需めを快諾してその中の興趣ありと濫りに自分勝手に認めるもの三十七題を択んで、ここにこれをこの一書に纏め読書界に送った。 読書界の人々が果してこれを歓迎して下さるか、あるいは嫌厭せられるか、将亦風馬牛に遇せらるるか、いわゆる知らぬは亭主ばかりでそれは私の暁とり得ん所だが、
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牧野富太郎
これまで発行せられたいろいろの雑誌に私の書いた小品文はそう鮮くなかった。今回桜井書店主人の需めを快諾してその中の興趣ありと濫りに自分勝手に認めるもの三十七題を択んで、ここにこれをこの一書に纏め読書界に送った。 読書界の人々が果してこれを歓迎して下さるか、あるいは嫌厭せられるか、将亦風馬牛に遇せらるるか、いわゆる知らぬは亭主ばかりでそれは私の暁とり得ん所だが、
牧野富太郎
ジャガタライモ、すなわちジャガイモ(Solanum tuberosum L.)を馬鈴薯ではないと明瞭に理解している人は極めて小数で、大抵の人、否な一流の学者でさえも馬鈴薯をジャガイモだと思っているのが普通であるから、この馬鈴薯の文字が都鄙を通じて氾濫している。が、しかしジャガイモに馬鈴薯の文字を用うるのは大変な間違いで、ジャガイモは断じて馬鈴薯そのものではな
邦枝完二
おせん 邦枝完二 虫 一 「おッとッとッと。そう乗出しちゃいけない。垣根がやわだ。落着いたり、落着いたり」 「ふふふ。あわててるな若旦那、あっしよりお前さんでげしょう」 「叱ッ、静かに。――」 「こいつァまるであべこべだ。どっちが宰領だかわかりゃァしねえ」 が、それでも互の声は、ひそやかに触れ合う草の草ずれよりも低かった。 「まだかの」 「まだでげすよ」
アーヴィングワシントン
「サクソンの畏き神に縁みてぞ、けふをば『ヱンスデイ』といふ。その神見ませ、よるよりも暗くさびしき墳墓に、降りゆくまで我が守る宝といふは誠のみ。」カアトライト ホトソンに沿うて登つて行つたことのある旅人は、屹度ケエツキルの山を覚えて居ませう。これはアパラツチエン山の幹から出た小枝で、遙に西に向つて、仰いで見れば、麓は河の畔に垂れて、巓は空に聳え、自づと近隣の地
アーヴィングワシントン
年よりの年経た頭につくられた一つの古い歌がある、 年とった立派なだんながありまた、大きな地所をもっていて、 広い広い古邸、そこで気前のよい暮らし、 門では年より門番が貧乏人を助けてた。 古い書斎はかたくるしい昔の本でいっぱいだ、 偉い牧師は年よりで、一目でそれとすぐわかる、 食堂の御馳走運ぶその窓の戸なんぞこわれて取れている、 年経た厨に年経たコック、その数
アーヴィングワシントン
聖フランシス様、聖ベネディクト様。 この家を悪しきものからお守り下さい。 悪い夢や、ロビンという名の人のいいお化けから すべての悪霊、 妖精、鼬、鼠、白鼬からお守り下さい。 晩鐘の時から、 暁の勤行まで。 ――カートライト 皎々と月のさえた夜だったが、寒さははげしかった。わたしたちの駅伝馬車は、凍てついた大地を矢のように走った。馭者はたえず鞭を打ちならし、馬
アーヴィングワシントン
だが、あのなつかしい、思い出ふかいクリスマスのお爺さんはもう逝ってしまったのだろうか。あとに残っているのは、あの年とった頭の白髪と顎ひげだけなのか。それでは、それをもらおう。そのほかにクリスマスのお爺さんのものはないのだから。 ――クリスマスを追う声 あのころのクリスマスには、 どこの家でも見たものだ。 寒さを払う火もあたたかく、 肉のご馳走が山ほどあった、
アーヴィングワシントン
わたしはホーマーと同じ考えである。ホーマーの考えというのは、カタツムリが、殻からはい出して、やがてガマになると、そのために腰掛けをつくらなければならなくなる。それと同じように、旅人も生れ故郷からさまよい出ると、たちまち奇妙なすがたになるので、その生活様式にふさわしいように住む家を変え、住めさえすれば、たとえのぞみの場所ではなくとも、そこに住まなければならなく
アーヴィングワシントン
彼の人の夕餉の支度はととのった、 今宵は冷たく横たわるやもしれぬ彼の人の。 昨夜はわたしが寝間に招じいれたが、 今宵は剣の床が待っている。 ――イーガー卿、グレーム卿、グレイスティール卿 マイン河とライン河の合流しているところからそう遠くない、上ドイツの荒れはてた幻想的な地方、オーデンヴァルトの高地のいただきに、ずっとむかしのこと、フォン・ランドショート男爵
アーヴィングワシントン
船よ、船よ。大海原の真只中でも わたしはお前を見つけ出す。 わたしは行ってお前にたずねよう、 何を護っているのか、 何をもくろんでいるのか、 お前のめざす目的は何なのだ。 ある船は外国へ行って商業取引をする。 ある船は母国にとどまり、外敵を防ぐ。 またある船は高価な荷物を山と積んで家路をいそぐ。 おーい、空想よ、お前はどこへ行くのだ。 ――古謡 ヨーロッパを
アーヴィングワシントン
深海の宝の貴さも、 女の愛につつまれた 男のひそかな慰めには及ばない。 ただ家に近づくだけで、わたしは幸福の気配を感ずる。 結婚はなんと甘美な香りをはなつものか。 菫の花壇もそれほど芳しくはない。 ――ミドルトン わたしはしばしば機会があって、女性が忍耐強く、抗しがたいような逆境にたえてゆくのを見たことがある。男性の心をひしぎ、一敗地にまみれさせる災難が、女
アーヴィングワシントン
わたしは聞いたことがない 悩みのないまことの愛というものを。 世にもかぐわしい春の書物バラの花びらにも似た愛の心を 毛虫のように悩みは蝕む。 ――ミドルトン たいていの人は、年をとって青春の感受性を失ってしまったり、あるいは真実の愛情のない放埒な遊蕩生活をしたりして育つと、恋物語をあざわらい、恋愛小説を小説家や詩人の単なる虚構にすぎないと考えるものである。わ
アーヴィングワシントン
年老いた人をいたわりなさい。その銀髪は、 名誉と尊敬をつねに集めてきたのです。 ――マーロウ作「タムバレーン」 わたしは田舎に住んでいるころ、村の古い教会によく行ったものだ。ほの暗い通路、崩れかかった石碑、黒ずんだ樫の羽目板、過ぎさった年月の憂鬱をこめて、すべてが神々しく、厳粛な瞑想にふける場所ににつかわしい。田園の日曜日は浄らかに静かである。黙然として静寂
アーヴィングワシントン
すべてよし。 何して遊ぼと 叱られない。 時はきた。 さっさと 本など投げだそう。 ――休日に歌った昔の学校唱歌 前の章で、わたしはイギリスのクリスマスの催しごとについて概括的な観察をしたので、今度は、その実例を示すために、あるクリスマスを田舎ですごしたときの話を二つ三つ述べたいと思う。読者がこれを読まれるにあたって、わたしが切におすすめしたいのは、学者のよ
アーヴィングワシントン
深いおどろきにうたれて、 名高いウェストミンスターに 真鍮や石の記念碑となって すべての王侯貴族が集まっているのをみれば、 今はさげすみも、ほこりも、見栄もない。 善にかえった貴人の姿、 華美と俗世の権勢をすてた けがれのない帝王の姿がみえるではないか。 いろどられた、おもちゃのような墓石に 今は静かに物云わぬ魂がどんなに満足していることか。 かつてはその足
アーヴィングワシントン
いざ、これより樂しまむ、 仕置を受くる憂なく、 遊びたのしむ時ぞ來ぬ、 時ぞ來ぬれば、いちはやく、 讀本などは投げ捨てて行く。 ――學校休暇の歌 前章で述べたのは、イギリスに於けるクリスマス祝祭に就ての幾つかの一般的な觀察であつたが、今わたしは誘惑を感ずるままに、その具體的な例證として田舍で過したクリスマスの逸話を記してみたいと思ふ。讀者が之を讀まれる際に、
アーヴィングワシントン
聖フランシス樣、聖ベネディクト樣、 この家を惡しき者共からお守り下さい。 夢魔と、あのロビン殿と呼ばれる 物の怪からお守り下さい。 惡靈共が襲ひ入りませぬやぅぅ、 妖精や鼬鼠、鼠、狸などの入りませぬやぅぅ、 夕の鐘の鳴る時から 翌朝までお守り下さい。 カートライト 皓々と月照る夜であつた、けれど寒さは嚴しかつた。わたし達の馬車は凍てついた大地をりんりんと疾驅
アーヴィングワシントン
水曜日の名が由来した、 サクソン人の神ウォーデンに 誓って言う。 真理をこそ、わたしは常に守ろう、 おくつきに入るその日まで。 ――カートライト 〔この物語は、ニューヨークの一老紳士、故ディードリッヒ・ニッカボッカー氏の記録のなかに発見されたものである。彼はこの地方のオランダ人の歴史や、その初期の移民の子孫たちの風習に、たいへん興味をもっていた。しかし、彼の
アーヴィングワシントン
そこは心地よいまどろみの国。 夢は半ばとじた眼の前にゆれ、 きらめく楼閣は流れる雲間にうかび、 雲はたえず夏空に照りはえていた。 ――倦怠の城 ハドソン河の河幅がひろがり、むかしオランダ人の航海者がタッパン・ジーと名づけていたところでは、彼らは用心していつでも帆をちぢめ、航海者の守り、聖ニコラスに加護をねがいながら、横断したものだ。そこの東側の岸にくいこんで
石井研堂
数日前、船頭の許に、船を用意せしめおきしが、恰も天気好かりければ、大生担、餌入れ岡持など提げ、日暮里停車場より出て立つ。時は、八月の二十八日午后二時という、炎暑真中の時刻なりし。 前回の出遊には、天気思わしからず、餌も、糸女のみなりしに、尚二本を獲たりし。今日の空模様は、前遊に比べて、好くとも悪しき方には非ず。殊に袋餌の用意有り、好結果必ず疑い無し。料理界に
石井研堂
東京市騒擾中の釣 石井研堂 騒擾と違警罪 明治三十八年九月五日の、国民大会より、「警察焼打」といふ意外の結果を来せしかば、市内は俄に無警察の状態に陥り、これ見よといふ風に、態々袒ぎて大道を濶歩するもの、自慢げに跣足にて横行するもの、無提灯にて車を曳くものなど、違警罪者街上に充ち、転た寒心すべきこと多かりし。 されば、人心恟々として、安き心も無く、後日、釣船の
石井研堂
釣好隠居の懺悔 石井研堂 中川の鱸に誘き出され、八月二十日の早天に、独り出で、小舟を浮べて終日釣りけるが、思はしき獲物も無く、潮加減さへ面白からざりければ、残り惜しくは思へども、早く見切りをつけ、蒸し暑き斜陽に照り付けられながら、悄々として帰り途に就けり。 農家の前なる、田一面に抽き出でたる白蓮の花幾点、かなめの樹の生垣を隔てゝ見え隠れに見ゆ。恰も行雲々裡に
石井研堂
研堂釣規 石井研堂 人は、遊ばんが為めに職業に勉むるに非ず、職業に勉めしが為めに遊ぶなり。釣遊に、前後軽重の分別有るを要す。 日曜一日の休暇は、其の前六日間職業に勉めし賞与にして、其の後六日間の予備に非ず。若し、未だ勤苦せざるに、先づ休養を名として釣遊に耽らば、身を誤り家を破るの基、酒色の害と何ぞ択ばん。 単に、魚のみを多く獲んことを望むべからず、興趣多きを
石井研堂
元日の釣 石井研堂 上 元日に雨降りし例なしといふ諺は、今年も亦中りぬ。朝の内、淡雲天を蔽ひたりしが、九時ごろよりは、如何にも春らしき快晴、日は小斎の障子一杯に射して、眩しき程明るく、暖かさは丁度四五月ごろの陽気なり。 数人一緒に落合ひたりし年始客の、一人残らず帰り尽せるにぞ、今まで高笑ひや何かにて陽気なりし跡は、急に静かになりぬ。 机の前の座に着けば、常に