をみな
坂口安吾
母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。 九つくらゐの小さい小学生のころであつたが、突然私は出刃庖丁をふりあげて、家族のうち誰か一人殺すつもりで追ひまはしてゐた。原因はも
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坂口安吾
母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。 私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。 九つくらゐの小さい小学生のころであつたが、突然私は出刃庖丁をふりあげて、家族のうち誰か一人殺すつもりで追ひまはしてゐた。原因はも
牧野富太郎
アケビ 牧野富太郎 野山へ行くとあけびというものに出会う。秋の景物の一つでそれが秋になって一番目につくのは、食われる果実がその時期に熟するからである。田舎の子供は栗の笑うこの時分によく山に行き、かつて見覚えおいた藪でこれを採り嬉々として喜び食っている。東京付近で言えば、かの筑波山とか高尾山とかへ行けば、その季節には必ず山路でその地の人が山採りのその実を売って
新美南吉
ヒトリノ アキナヒガ ヤツテ キマシタ。 ウサギノ ハイツタ カゴヲ モツテ ヲリマシタ。 ソノ クセ、 「ロバノ コハ イリマセンカ、ロバノ コ」 ト ヨンデ アルキマシタ。 チヤウサンハ チヨウド、ロバガ イツピキ ホシイト オモツテ ヰタ トコロデシタノデ、アキナヒノ モツテ ヰル カゴヲ ノゾイテ ミマシタ。 「ヤア、チヒサイネ」 「コドモデスカラネ
野上豊一郎
エトナ 野上豊一郎 一 イタリアとシチリアの海岸は、どこへ行っても、南国らしい澄み透った空と紺碧の海があって、強烈な陽光が燦々と降り濺ぎ、その下に骨ばった火山系の山彙が変化の多い形貌で展開し、古い石造の家屋が密集したり、散在したりして、橄欖・扁桃・柘榴・ぬるで・いちじく等の果樹、或いは赤松・糸杉などの樹林が点綴し、葡萄が茂り草花が咲き出て、自然の装飾の濫費を
林芙美子
クララ 林芙美子 むつは、何か村中が湧きかえるような事件を起してやりたくて寢ても覺めても色々なことを考えていました。窓に頬杖をついて山吹のしだれた枝を見ていると、山吹の長い枝がふわふわ風にゆれています。じっと見ているとだんだん面白くなって來ました。風は神樣に違いないと思い始めました。にんじゅつをつかって姿を見せないで、山吹の葉の下で鼠のようにチロチロ遊んでい
原民喜
コレラが流行り出した。コレラはもう四五町先までやって来た。胃腸の弱い彼はすっかり神経を鋭らせた。買はないと云ふのに魚屋は毎日勝手口からやって来て、お宅の井戸は、と賞めながら勝手に水を飲む。用事もない奴等が出入りする度に彼は冷々した。到頭、我慢がならないので、 コレラ流行につき無用の者出入りすべからずと一筆貼り出した。 すると翌朝、巡査と医者がやって来た。「御
小林多喜二
テガミ 小林多喜二 此処を出入りするもの、必ずこの手紙を読むべし。 君チャンノオ父ッチャハ、工場××デヤスリヲトイデイルウチニ、グルグルマワッテ居ルト石ガカケテトンデキテ、ソレガムネニアタッテ、タオレテ家ヘハコバレテキタノ。オイシャハ氷デヒヤセト云ウケレドモ、氷ガカエナイノ。オ母ッチャハワザワザ三町モアルイドニ、四ドモ五ドモ水ヲクムニユクノ。ソノイドノ水ガイ
堀辰雄
ノオト 堀辰雄 この「窓」(Les Fentres)一卷は、ライネル・マリア・リルケがその晩年餘技として佛蘭西語で試みたいくつかの小さな詩集のうちの一つである。その死後、詩人の女友達の一人だつたバラディンといふ閨秀畫家が十枚の插繪を描いて、一九二七年に巴里のリブレリイ・ド・フランスといふ本屋から五百部限定で刊行せられた。 リルケにはかういふ插話がある。「リル
織田作之助
ヒント 織田作之助 彼は十円持って喫茶店へ行き、一杯十円の珈琲を飲むと、背を焼かれるような後悔に責められた。 隣のテーブルでは、十二三の少年が七つ位の弟と五つ位の妹を連れて、メニューにあるだけのものを全部注文していた。そして、二百円払って出ようとするのを、彼はあわてて引きとめて、きいた。 「君はいくら小遣いをもらうの?」 「一日二百円」 「へえ……? お父さ
三富朽葉
顫へては何処へか咽び入り 跡かたもないメロデイよ、 淡蒼い影を揺かす おまへの指は絶間なく咽び入り、 しなやかな幻にとり縋る。 真白い指の王国は 恣まな圧制を 虐げの歌を掻き鳴らす、 薄明りの上に輝いて 裂けて死ぬ光りのなげき。 けぶりのやうな明るみへ、 秘密を探る指の白よ、」は底本では「白よ、」] 四阿のにほひと色彩に埋められて、 私の心は幾度も幾度も生き
槙村浩
夕方に雨が降り出した 小供は家へ走りこむ ポストは家へはいれない 雷ごろ/\なり出して ポストはシク/\泣いて居る 今まで町で遊んでた 四つ辻かどに立って居る そのまゝ其所で立ずくみ いな妻ピカ/\ 光り出す (大正十一年二月七日綴) ●図書カード
新美南吉
ラツパ 新美南吉 オヂイサンハ イナカニ ヒトリボツチデ クラシテ ヰマシタ。ダンダン ミミガ トホク ナツタノデ、ミヤコニ ヰル ムスコノ トコロヘ、「ミミガ トホク ナツタカラ、ヨク キコエル キカイヲ カツテ オクツテ クレ。」ト イツテ ヤリマシタ。 ムスコハ、イロイロ サガシタガ、アマリ ヨイ キカイガ ナイノデ、ラツパヲ カツテ、「コレヲ サカサ
太宰治
杉野君は、洋画家である。いや、洋画家と言っても、それを職業としているのでは無く、ただいい画をかきたいと毎日、苦心しているばかりの青年である。おそらくは未だ、一枚の画も、売れた事は無かろうし、また、展覧会にさえ、いちども入選した事は無いようである。それでも杉野君は、のんきである。そんな事は、ちっとも気にしていないのである。ただ、ひたすらに、いい画をかきたいと、
堀辰雄
あいびき 堀辰雄 ……一つの小径が生い茂った花と草とに掩われて殆ど消えそうになっていたが、それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを残して、曲りながらその空家へと人を導くのである。もう人が住まなくなってから余程になるのかも知れぬ。それまで西洋人の住まっていたらしいことは、そのささやかな御影石の間に嵌めこまれた標札にかすかに A. ERSKINE と横文字の
ツルゲーネフイワン
このあいびきは先年仏蘭西で死去した、露国では有名な小説家、ツルゲーネフという人の端物の作です。今度徳富先生の御依頼で訳してみました。私の訳文は我ながら不思議とソノ何んだが、これでも原文はきわめておもしろいです。 秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま煖かな日かげも射して、ま
宮沢賢治
あけがた 宮沢賢治 おれはその時その青黒く淀んだ室の中の堅い灰色の自分の席にそわそわ立ったり座ったりしてゐた。 二人の男がその室の中に居た。一人はたしかに獣医の有本でも一人はさまざまのやつらのもやもやした区分キメラであった。 おれはどこかへ出て行かうと考へてゐるらしかった。飛ぶんだぞ霧の中をきいっとふっとんでやるんだなどと頭の奥で叫んでゐた。ところがその二人
佐藤春夫
――あの人があんなふうにして不意に死んだのでなかったら、仮にまあ長い患のあとででもなくなったのであったら、きっと、あなたと私とのことを、たとえばいいとか決していけないとか、何かしらともかくもはっきりと言い置いたろう……わたしはどうもそんな気がするのです。でも、あなたがあれから七年も経つのにどうして今日までひとりでいらっしゃるか、またわたしがどうして時々お説教
永井荷風
駒込辺を散策の道すがら、ふと立寄った或寺の門内で思いがけない人に出逢った。まだ鶴喜太夫が達者で寄席へも出ていた時分だから、二十年ぢかくにもなろう。その頃折々家へも出入をした鶴沢宗吉という三味線ひきである。 「めずらしい処で逢うものだ。変りがなくって結構だ。」 「その節はいろいろ御厄介になりました。是非一度御機嫌伺いに上らなくっちゃならないんで御在ますが、申訳
堀辰雄
……一つの小徑が生ひ茂つた花と草とに掩はれて殆ど消えさうになつてゐたが、それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを殘して、曲りながらその空家へと人を導くのである。もう人が住まなくなつてから餘程になるのかも知れぬ。それまで西洋人の住まつてゐたらしいことは、そのささやかな御影石の間に嵌めこまれた標札にかすかに A. ERSKINE と横文字の讀めるのでも知られ
林芙美子
火の氣がないので、私は鷄介と二人で寢床にはいつてゐた。朝から喋つてゐたので、寢床へはいると喋ることもなく、私は、あをむけになつて、眼の上に兩手をそろへて眺めてゐた。鷄介も兩の手を出した。私は鷄介の大きい掌に自分の手を合はせてみた。「冷い?」鷄介は默つて私の手を大きい掌で包みこむやうに握つた。朝から雨が降つてゐるので、私は落ちついてしまつた。何もする氣がしなか
漢那浪笛
静けき海のかなた、 日影しのびいる、森の奥に、 彩鳥の声すと、きゝぬ。 その音は、裂けし白玉の 一片にも似て、 いささかの悲しみをやる。 いねがたき夏 南国! 浪のよるひるも、起きぶして、 いかばかり彩鳥の音の恋ひしき。 ●図書カード
長谷川時雨
あるとき 長谷川時雨 むさしのの草に生れし身なればや くさの花にぞこころひかるる と口ずさんだりしたが、 「わたしの前生はルンペンだつたのかしらん。遠い昔、野の草を宿としてゐて、冷こんで死んだのかもしれない。それでこんなに家のなかにばかりゐるのかしら?」 門を一足出て、外の風にあたると、一町も千里もおんなじだと氣が輕くなつてしまふのにと、いふと、出おつくうが
坂口安吾
私はそのころ耳を澄ますようにして生きていた。もっともそれは注意を集中しているという意味ではないので、あべこべに、考える気力というものがなくなったので、耳を澄ましていたのであった。 私は工場街のアパートに一人で住んでおり、そして、常に一人であったが、女が毎日通ってきた。そして私の身辺には、釜、鍋、茶碗、箸、皿、それに味噌の壺だのタワシだのと汚らしいものまで住み
坂口安吾
私はそのころ耳を澄ますやうにして生きてゐた。もつともそれは注意を集中してゐるといふ意味ではないので、あべこべに、考へる気力といふものがなくなつたので、耳を澄ましてゐたのであつた。 私は工場街のアパートに一人で住んでをり、そして、常に一人であつたが、女が毎日通つてきた。そして私の身辺には、釜、鍋、茶碗、箸、皿、それに味噌の壺だのタワシだのと汚らしいものまで住み