湯どうふ
泉鏡花
昨夜は夜ふかしをした。 今朝……と云ふがお午ごろ、炬燵でうと/\して居ると、いつも來て囀る、おてんばや、いたづらツ兒の雀たちは、何處へすツ飛んだか、ひつそりと靜まつて、チイ/\と、甘えるやうに、寂しさうに、一羽目白鳥が鳴いた。 いまが花の頃の、裏邸の枇杷の樹かと思ふが、もつと近い。屋根には居まい。ぢき背戸の小さな椿の樹らしいなと、そつと縁側へ出て立つと、その
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泉鏡花
昨夜は夜ふかしをした。 今朝……と云ふがお午ごろ、炬燵でうと/\して居ると、いつも來て囀る、おてんばや、いたづらツ兒の雀たちは、何處へすツ飛んだか、ひつそりと靜まつて、チイ/\と、甘えるやうに、寂しさうに、一羽目白鳥が鳴いた。 いまが花の頃の、裏邸の枇杷の樹かと思ふが、もつと近い。屋根には居まい。ぢき背戸の小さな椿の樹らしいなと、そつと縁側へ出て立つと、その
泉鏡花
梅や漬梅――梅や漬梅――は、……茄子の苗や、胡瓜の苗、……苗賣の聲とは別の意味で、これ、世帶の夏の初音である。さあ、そろ/\梅を買はなくては、と云ふ中にも、馴染の魚屋、八百屋とは違つて、此の振賣には、値段に一寸掛引があつて、婦たちが、大分外交を要する。……去年買つたのが、もう今に來るだらう、あの聲か、その聲か、と折から降りみ降らずみの五月雨に、きいた風流では
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京師の張廣號は、人參の大問屋で、聞えた老鋪。銀座で一番、と云ふづツしりしたものである。 一日の事で、十八九の一人の少年、馬に打乘り、荷鞍に着けた皮袋に、銀貨をざく/\と鳴して來て、店頭へ翻然と降り、さて人參を買はうと云ふ。 馬に銀袋を積んで來たくらゐ、人參の價値は思ふべしである。が、一寸素人には相場が分らぬ。ひそかに心覺に因ると、我朝にても以前から、孝行な娘
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上總國上野郡に田地二十石ばかりを耕す、源五右衞と云ふ百姓の次男で、小助と云ふのがあつた。兄の元太郎は至極實體で、農業に出精し、兩親へ孝行を盡し、貧しい中にもよく齊眉き、人づきあひは義理堅くて、村の譽ものなのであるが、其の次男の小助は生れついたのらくらもの。晝間は納屋の中、鎭守の森、日蔭ばかりをうろつく奴、夜遊びは申すまでもなし。色が白いのを大事がつて、田圃を
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蠅を憎む記 泉鏡花 上 いたづら為たるものは金坊である。初めは稗蒔の稗の、月代のやうに素直に細く伸びた葉尖を、フツ/\と吹いたり、たけた顔を斜めにして、金魚鉢の金魚の目を、左から、又右の方から視めたり。 やがて出窓の管簾を半ば捲いた下で、腹ンばひに成つたが、午飯の済んだ後で眠気がさして、くるりと一ツ廻つて、姉の針箱の方を頭にすると、足を投げて仰向になつた。
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処方秘箋 泉鏡花 一 此の不思議なことのあつたのは五月中旬、私が八歳の時、紙谷町に住んだ向うの平家の、お辻といふ、十八の娘、やもめの母親と二人ぐらし。少しある公債を便りに、人仕事などをしたのであるが、つゞまやかにして、物綺麗に住んで、お辻も身だしなみ好く、髪形を崩さず、容色は町々の評判、以前五百石取の武家、然るべき品もあつた、其家へ泊りに行つた晩の出来事で。
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人から受けた印象と云うことに就いて先ず思い出すのは、幼い時分の軟らかな目に刻み付けられた様々な人々である。 年を取ってからはそれが少い。あってもそれは少年時代の憧れ易い目に、些っと見た何の関係もない姿が永久その記憶から離れないと云うような、単純なものではなく、忘れ得ない人々となるまでに、いろいろ複雑した動機なり、原因なりがある。 この点から見ると、私は少年時
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一寸怪 泉鏡花 怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談、怨霊などという方で。後のは、天狗、魔の仕業で、殆ど端睨すべからざるものを云う。これは北国辺に多くて、関東には少ない様に思われる。 私は思うに、これは多分、この現世以外に、一つの別世界というような物があって、其処には例の魔だの天狗など
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傳へ聞く、唐土長安の都に、蒋生と云ふは、其の土地官員の好い處。何某の男で、ぐつと色身に澄した男。今時本朝には斯樣のもあるまいが、淺葱の襟に緋縮緬。拙が、と拔衣紋に成つて、オホン、と膝をついと撫でて、反る。 風流自喜偶歩、と云ふので、一六が釜日でえす、とそゝり出る。懷中には唐詩選を持參の見當。世間では、あれは次男坊と、敬して遠ざかつて、御次男とさへ云ふくらゐ。
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こゝに信州の六文錢は世々英勇の家なること人の能く識る處なり。はじめ武田家に旗下として武名遠近に轟きしが、勝頼滅亡の後年を經て徳川氏に歸順しつ。松代十萬石を世襲して、松の間詰の歴々たり。 寶暦の頃當城の主眞田伊豆守幸豐公、齡わづかに十五ながら、才敏に、徳高く、聰明敏達の聞え高かりける。 晝は終日兵術を修し、夜は燈下に先哲を師として、治亂興廢の理を講ずるなど、頗
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金澤の正月は、お買初め、お買初めの景氣の好い聲にてはじまる。初買なり。二日の夜中より出立つ。元日は何の商賣も皆休む。初買の時、競つて紅鯛とて縁起ものを買ふ。笹の葉に、大判、小判、打出の小槌、寶珠など、就中、緋に染色の大鯛小鯛を結付くるによつて名あり。お酉樣の熊手、初卯の繭玉の意氣なり。北國ゆゑ正月はいつも雪なり。雪の中を此の紅鯛綺麗なり。此のお買初めの、雪の
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女客 泉鏡花 一 「謹さん、お手紙、」 と階子段から声を掛けて、二階の六畳へ上り切らず、欄干に白やかな手をかけて、顔を斜に覗きながら、背後向きに机に寄った当家の主人に、一枚を齎らした。 「憚り、」 と身を横に、蔽うた燈を離れたので、玉ぼやを透かした薄あかりに、くっきり描き出された、上り口の半身は、雲の絶間の青柳見るよう、髪も容もすっきりした中年増。 これはあ
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当世女装一斑 泉鏡花 こゝに先づ一個の裸美人ありと仮定せよ、一代女に記したる、(年紀は十五より十八まで、当世顔は少し丸く、色は薄花桜にして面道具の四つ不足なく揃ひて、目は細きを好まず、眉濃く、鼻の間せはしからず次第高に、口小さく、歯並あら/\として皓く、耳長みあつて縁浅く、身を離れて根まで見透き、額はわざとならず自然の生えどまり、首筋立伸びて後れなしの後髪、
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逗子より 泉鏡花 拝啓、愚弟におんことづけの儀承り候。来月分新小説に、凡兆が、(涼しさや朝草門に荷ひ込む)趣の、やさしき御催しこれあり、小生にも一鎌仕れとのおほせ、ゐなかずまひのわれらにはふさはしき御申しつけ、心得申して候。 まづ、何処をさして申上げ候べき。われら此の森の伏屋、小川の芦、海は申すまでも候はず、岩端、松蔭、朝顔、夕顔、蛍、六代御前の塚は凄く涼し
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若菜のうち 泉鏡花 春の山――と、優に大きく、申出でるほどの事ではない。われら式のぶらぶらあるき、彼岸もはやくすぎた、四月上旬の田畝路は、些とのぼせるほど暖い。 修善寺の温泉宿、新井から、――着て出た羽織は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッキの片手の荷になる。つれの家内が持って遣ろうというのだけれど、二十か、三十そこそこで双方容子が好いのだと野山の景色にもなろ
泉鏡花
もとの邸町の、荒果てた土塀が今もそのままになっている。……雪が消えて、まだ間もない、乾いたばかりの――山国で――石のごつごつした狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く。 弥生の末から、ちっとずつの遅速はあっても、花は一時に咲くので、その一ならびの塀の内に、桃、紅梅、椿も桜も、あるいは満開に、あるいは初々しい花に、色香を装っている。石垣の草に
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雪靈記事 泉鏡花 一 「此のくらゐな事が……何の……小兒のうち歌留多を取りに行つたと思へば――」 越前の府、武生の、侘しい旅宿の、雪に埋れた軒を離れて、二町ばかりも進んだ時、吹雪に行惱みながら、私は――然う思ひました。 思ひつゝ推切つて行くのであります。 私は此處から四十里餘り隔たつた、おなじ雪深い國に生れたので、恁うした夜道を、十町や十五町歩行くのは何でも
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雛がたり 泉鏡花 雛――女夫雛は言うもさらなり。桜雛、柳雛、花菜の雛、桃の花雛、白と緋と、紫の色の菫雛。鄙には、つくし、鼓草の雛。相合傘の春雨雛。小波軽く袖で漕ぐ浅妻船の調の雛。五人囃子、官女たち。ただあの狆ひきというのだけは形も品もなくもがな。紙雛、島の雛、豆雛、いちもん雛と数うるさえ、しおらしく可懐い。 黒棚、御廚子、三棚の堆きは、われら町家の雛壇には些
泉鏡花
実は好奇心のゆえに、しかれども予は予が画師たるを利器として、ともかくも口実を設けつつ、予と兄弟もただならざる医学士高峰をしいて、某の日東京府下の一病院において、渠が刀を下すべき、貴船伯爵夫人の手術をば予をして見せしむることを余儀なくしたり。 その日午前九時過ぐるころ家を出でて病院に腕車を飛ばしつ。直ちに外科室の方に赴くとき、むこうより戸を排してすらすらと出で
寺田寅彦
知と疑い 寺田寅彦 物理学は他の科学と同様に知の学であって同時にまた疑いの学である。疑うがゆえに知り、知るがゆえに疑う。暗夜に燭をとって歩む一歩を進むれば明は一歩を進め暗もまた一歩を進める。しかして暗は無限大であって明は有限である。暗はいっさいであって明は微分である。悲観する人はここに至って自棄する。微分を知っていっさいを知らざれば知るもなんのかいあらんやと
国木田独歩
遺言 国木田独歩 今度の戦で想い出した、多分太沽沖にあるわが軍艦内にも同じような事があるだろうと思うからお話しすると、横須賀なるある海軍中佐の語るには、 わが艦隊が明治二十七年の天長節を祝したのは、あたかも陸兵の華園口上陸を保護するため、ベカ島の陰に集合していた時である。その日の事であった。自分は士官室で艦長始め他の士官諸氏と陛下万歳の祝杯を挙げた後、準士官
国木田独歩
畫の悲み 国木田独歩 畫を好かぬ小供は先づ少ないとして其中にも自分は小供の時、何よりも畫が好きであつた。(と岡本某が語りだした)。 好きこそ物の上手とやらで、自分も他の學課の中畫では同級生の中自分に及ぶものがない。畫と數學となら、憚りながら誰でも來いなんて、自分も大に得意がつて居たのである。しかし得意といふことは多少競爭を意味する。自分の畫の好きなことは全く
国木田独歩
あの時分 国木田独歩 さて、明治の御代もいや栄えて、あの時分はおもしろかったなどと、学校時代の事を語り合う事のできる紳士がたくさんできました。 落ち合うごとに、いろいろの話が出ます。何度となく繰り返されます。繰り返しても繰り返しても飽くを知らぬのは、またこの懐旧談で、浮き世の波にもまれて、眉目のどこかにか苦闘のあとを残すかたがたも、「あの時分」の話になると、
太宰治
撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり ヴェルレエヌ 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 ノラもまた考えた。廊下へ出てうしろの扉をばたんとしめたときに考えた。帰ろうかしら。 私がわる